僕は1年間だけアメリカに"競馬留学"をしていたことがある。
競馬留学なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないが、大学に留学するという名目の下、毎日のようにアメリカの競馬場に通い詰めていたということにすぎない。
僕が本拠地にしていたのは、サンフランシスコ郊外にあるベイメドウ競馬場。レーシングプログラムにある限られた情報を元に、パドックを見て、馬券を買って、レースを楽しむ。いや、当時は楽しむなんて表現は生ぬるくて、生活費を切り崩して、まさに生きるか死ぬかの世界線を生きていた。僕の競馬の原点は、アメリカ競馬にあると言っても過言ではない。
目の前で繰り広げられるレースもまた、Dead or Aliveの激しい競馬ばかりであった。
アメリカの競馬場を初めて訪れたとき、驚かされたのは、その声援の仕方である。日本の競馬場では(これはヨーロッパの競馬場でも同じだが)、各馬がスタートしてから勝負どころに向くまでは静かにレースを見守り、最後の直線に向くあたりで声援や怒号が飛び交い始める。これが当たり前だと思っていると大間違い。
アメリカの競馬場では、スタートしてからすぐに「Go!Go!」とハイテンションで応援が始まり、その勢いのまま勝負どころから最後の直線を迎え、ゴール前は大熱狂に終わる。お気づきの方は多いだろうが、応援の仕方が違うのは、日本やヨーロッパの競馬とアメリカのそれは種類が異なるのである。アメリカの競馬はスタートからガンガン飛ばして、そのうち脱落する馬が出てきて、全馬脚が上がりつつも最後まで踏ん張った馬が勝者となる。
アメリカの競馬と日本のそれが異なることは、競馬留学をする前に勘づいていた。
僕にとって印象に残っている2つのレースがある。ひとつはスキーキャプテンが挑戦して敗れた1995年のケンタッキーダービー、もうひとつはタイキブリザードが惨敗して帰ってきた1996年のブリーダーズカップクラシック。競馬を始めてまだ数年しか経っていないこともあり、正直に言うと、あのスキーキャプテンやタイキブリザードであれば、アメリカのビッグレースでも良い勝負はするのではないかと思い込んでいた。
スキーキャプテンの白い馬体が真っ黒になって引き上げてきた写真を見て、僕の純白な心が汚されたように感じ、重戦車と呼ばれたタイキブリザードがレースについていくことさえできなかったリプレイを観て、僕はしばらく現実を受け入れられなかった。アメリカの競馬に対する畏怖の念を植えつけられたのは、決して僕だけではないだろう。
それ以来、四半世紀が過ぎても、ここ十数年で凱旋門賞は手の届きそうなところまで来ている感触はあっても、ブリーダーズカップは依然として遠いままであった。たとえ日本馬が凱旋門賞を勝つことがあっても、ブリーダーズカップだけは高い壁として立ちはだかるのだろうと思っていた。
特にダートで行われる、ブリーダーズカップクラシックとディスタフ、スプリントあたりは、アメリカの馬たちに敵うわけがないと感じていた。それはパンパンの高速馬場で行われる日本の競馬場で海外の馬が勝てなくなっているのと同じで、極めて特殊な能力が問われるレースであるからだ。
しかもブリーダーズカップには全米から強豪が集まり、レベルの高いレースになるだけに、適性と能力が突出していなければ勝てないのだ。
そういう意味で、ラヴズオンリーユーによるBCフィリー&メアーターフの勝利も素晴らしいものだが、僕たちが、いや全世界の競馬ファンが驚かされたのは、マルシュロレーヌがBCディスタフを勝ったことである。1984年から設立された同レースの勝ち馬を振り返ってみると、1991年のダンススマートリーがカナダ馬として勝利した以外は、36頭の勝ち馬はすべてアメリカ馬。
この事実だけを見ても、今年、日本馬のマルシュロレーヌの勝利がどれだけUpset(大番狂わせ)であったか伝わるだろう。
それにしても、恐ろしいほどのハイペースで進み、序盤で前に行った馬たちは総崩れとなるという、いかにもアメリカ競馬らしいレースであった。このペースを押っ付けることなく追走し、早めに先頭に立って押し切ったのだから、文句なしの完勝である。マルシュロレーヌはアメリカ競馬で問われる、スピードとスタミナ、そして根性を世界トップクラスのレベルで兼備していることを証明したのだ。
また、マルシュロレーヌの父がオルフェーヴルであることも興味深い。
凱旋門賞2着が2度もある名馬でありつつも、種牡馬としては傍流に追いやられようとしている現状を、まさかBCディスタフの勝ち馬を出すという形で打開してくるとは思いもよらなかった。矢作芳人調教師は、レース後のインタビューで「死んでもいい」とコメントしたが、その気持ちはスキーキャプテンやタイキブリザードを知る日本の競馬関係者ならば良く分かるはず。ホースマンが全人生を賭けても成し遂げられないような偉業を成し遂げたのである。
マルシュロレーヌに対して、ラヴズオンリーユーは勝つべくして勝ったレースであったように思う。このメンバーに入っても、牝馬同士では力が一枚上であった。
オークスで激しいレースをした肉体的、精神的な反動により、しばらく勝ち切れないレースが続いたが、今年に入ってから完全に復調した。スランプに陥った馬をあきらめずに使いつつ立て直し、さらに強くしてしまう矢作厩舎の調教ノウハウは驚異的である。レース選択の幅の広さも併せて、矢作厩舎から学ぶべきは多いはず。川田将雅騎手がスタートから積極的にポジションを取りに行き、内の2、3番手に収まった時点でほぼ勝負あった。直線はやや狭くなったが、落ち着いて馬群が開くのを待ってから追い出した。日本で数々の大舞台を経験してきた川田騎手にとっては、着差以上のイージーゲームであったに違いない。
最後に、それぞれのレースに出走した各馬の種牡馬の名前を眺めるだけで、このブリーダーズカップの多様性が分かる。ラヴズオンリーユーが勝ったBCフィリー&メア―ターフには同じ父を持つ馬は1頭もいないし(ディープインパクトでさえ種牡馬の1頭なのである)、マルシュロレーヌが勝利したBCディスタフは、カーリン産駒が2頭いるのみでそれ以外は別々の種牡馬を父にしている。その他のレースも同じような状況である。日本の重賞レースで走る馬たちの父の顔ぶれと比べてみて、日本の競馬ファンそれぞれが多様性とは何かを考えてみてもらいたい。僕の目にはブリーダーズカップの姿は健全に見える。
ブリーダーズカップとは、まさに生産者たちのために創設されたレース。彼らが思い思いの配合で強い馬をつくり、それらを持ち寄って競わせる──まさに、競馬の原点を象徴している一戦と言えよう。そして多様性を体現するブリーダーズカップだからこそ、マルシュロレーヌが勝つことを受け入れられたとも考えられるのではないだろうか。
僕たちは、この歴史的勝利におごることなく、もっと幅広い視野で、多様なサラブレッドを生産していかければ、次は二度とないかもしれない。
写真:Breeders’ Cup