『劇場版ウマ娘』のタイトルともなった「新時代の扉」とは。ジャングルポケットと2001年日本ダービー

1.「新時代の扉」

2024年5月に公開され、興行収入13億円を超えるヒット作となった『劇場版ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』。2025年5月からはサブスクリプションサービスでの配信も開始され、改めて注目が集まっている。タイトルとなった「新時代の扉」は、主人公ジャングルポケットが日本ダービーを制した際の実況でも使われており、作品を象徴するフレーズである。元ネタは2001年の日本ダービーにおける、フジテレビ三宅正治アナウンサーの実況である。

マル外開放元年、新時代の扉をこじ開けたのは、内国産馬ジャングルポケット!
角田晃一、ダービー初制覇!

──フジテレビ 競馬中継より引用

このように、元々の実況には「マル外開放元年」という枕詞が付いている。

2001年は外国産馬に初めてクラシックが開放された年であった。「新時代の扉」は、「勝つのは内国産馬か外国産馬か」という点で注目された日本ダービー、という文脈を踏まえた実況と言える。

一方、映画『新時代の扉』において「新時代の扉」というフレーズは「テイエムオペラオーら覇王世代からの世代交代」という意味で使われている。『ウマ娘』の世界においては内国産/外国産という区別が無いため、上記のような意味の読み替えが行われたものと思われる。しかし、本来、この言葉が使われた際に意識されていたのは、テイエムオペラオーではなく「マル外」であった。

本稿では2001年の日本ダービーを振り返りながら、「新時代の扉」の意味について考えてみたい。

2.「本命不在」のダービー

2001年の牡馬クラシック戦線において最終的に1番人気でダービーに出走し、勝利したのはジャングルポケットなのだが、この馬ははじめから「クラシックの大本命」であった訳ではない。この世代には絶対的な大本命と目された存在がいた。『新時代の扉』でもジャングルポケットのライバルとして描かれた、アグネスタキオンである。

2歳時にGⅢラジオたんぱ杯3歳ステークス(現・GⅠホープフルステークス)をレコードで快勝したアグネスタキオンは3歳初戦の弥生賞、クラシック一冠目の皐月賞も難なく勝利。兄にダービー馬アグネスフライトがいる血統で距離にも不安はなく、シンボリルドルフ以来となる無敗の三冠達成さえ期待された逸材であった。しかしダービーを前に屈腱炎を発症し、無念の戦線離脱(その後復帰することなく引退)。世代王者の座はぽっかり空くこととなった。

ジャングルポケットはアグネスタキオンにはラジオたんぱ杯・皐月賞と連敗している。

一方でダービーと同じ東京競馬場で行われた共同通信杯が完勝と言える勝ち方だったこと、皐月賞では出遅れながらも3着に食い込んだことなどが評価され、ダービー当日、単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持されている。

しかしそれでも圧倒的な1番人気では無かった。皐月賞に出走していない、ある有力馬がダービーに駒を進めてきたからである。

単勝オッズ3.0倍の2番人気に支持されたその馬の名は、クロフネという。

3.「新時代」のダービー

「黒船」に由来するその名が示すように米国産馬のクロフネ。重賞初挑戦となったラジオたんぱ杯ではアグネスタキオンとジャングルポケットを抑えて1番人気に支持された素質馬であった。ここではタキオン・ポケットに次ぐ3着に敗れるものの、3歳初戦の毎日杯では快勝した。

先程も述べたように、この年からクラシックが外国産馬にも開放されていた。ただし皐月賞の開放は翌年からだった。すると管理する松田国英調教師は京都新聞杯や青葉賞といったダービーの前哨戦ではなく、3歳マイル王決定戦のNHKマイルカップへの出走を決める。当時、騎乗拠点をフランスに移していた武豊騎手を鞍上に迎えたこの一戦で、クロフネは後方から直線だけで差し切る強い内容でGⅠ初制覇。ダービーに向けて視界良好と言える勝ち方であった。

それまでもヒシアマゾンやエルコンドルパサーなど、クラシックを制するだけのポテンシャルを持った外国産馬は多くいた。しかし、日本の馬産業を守るために外国産馬のクラシック出走への道は閉ざされてきた。日本競馬が国際化する中で門戸が開かれた日本ダービー有力馬として出走するのが「黒船」の名を持つ馬というのは運命的である。日本競馬が「新時代」を迎える中で、「内国産馬対外国産馬」の戦いが幕を開けようとしていた。

4.「新時代の扉」を巡る戦い

この年の日本ダービーに設けられた外国産馬の出走枠は2頭。2番人気のクロフネに加え、4番人気の青葉賞馬ルゼルが出走した。3番人気は『新時代の扉』でもジャングルポケットの親友として登場する皐月賞2着馬ダンツフレームで、上位人気は「内国産馬→外国産馬→内国産馬→外国産馬」という順になっていた。

レースはテイエムサウスポーと和田竜二騎手が大逃げを打つ展開。大外の8枠18番からのスタートとなったジャングルポケットだが、皐月賞の時のような出遅れは無かった。しかし鞍上の角田晃一騎手は10〜11番手でじっくり構える競馬を選択。クロフネと武豊騎手は更に後方に控え、ダンツフレームと河内洋騎手(アグネスタキオンの主戦騎手だったが、アグネスタキオンの戦線離脱に伴いダンツフレームに騎乗していた)は中団でレースを進めた。

最後の直線、先に動いたのはクロフネだった。武豊騎手は馬場の中央から抜け出しを図る。対して角田騎手は大外に持ち出すとクロフネを交わし、一気に先頭に躍り出た。ダンツフレームの猛追も封じ、ジャングルポケットは快勝。「新時代」のダービーは皐月賞に出走した内国産馬のワンツーという結果で幕を閉じ、伸びあぐねたクロフネは5着、好位を追走していたルゼルは直線で力尽きて14着に留まった。

5.「新時代の扉」とは何だったのか?

2001年の日本ダービーの顛末を振り返ったところで、冒頭に紹介した三宅アナウンサーの実況について考えてみたい。

三宅アナウンサーは「新時代の扉をこじ開けた」という表現を遣っている。この「こじ開ける」という言葉を辞書で調べると、

〔閉じてあるものを〕すきまに物をさしこんだりして、無理に開ける。

──「抉じ開ける」の項(『新明解国語辞典 第七版』三省堂、2011年)

とある。つまり、この実況は「新時代の扉を無理に開けたのは内国産馬のジャングルポケットだった」という意味になる。なぜ「無理に」なのか、と考えてみると、第一には大本命と目されていたアグネスタキオンが不在という状況で、新たな世代王者に名乗りを上げた、という点が挙げられる。

しかし、「マル外開放元年」という枕詞を踏まえるならば、もう一つの含意が読み取れる。それは、「外国産馬が優勢になっていく流れに抗うような勝利」ということである。

繁殖馬選定競走という位置づけのダービーというレースを勝つことは、将来的な種牡馬への道が開かれることを意味する。そのレースに外国馬が出走する「マル外開放」は、レースそのものだけでなく、日本の競馬界を大きく変えていく可能性を持った。「才能ある外国産馬が今後の日本競馬を席巻していくのではないか」という予断が、「新時代」という表現には含まれているように感じる。だからこそ、内国産馬のジャングルポケットがこのレースを勝ったことを「こじ開けた」と表現する文脈が生まれたのであろう。

ところが、である。2001年以降、外国産馬のダービー参戦は度々あったが、最高着順は2002年のシンボリクリスエスの2着。その後2024年までの日本ダービーにおいて外国産馬の優勝は無い。「外国産馬が優勢になっていく流れ」は生まれなかったのである。その意味で、外国産馬にクラシックが開放された際に予想されていた「新時代」とは趣が異なっているようだ。

それどころか、21世紀になって内国産馬のレベルは着々と上がっていき、外国馬と互角以上に戦っている。日本ダービーに限って見ても、2020年〜2024年のダービー馬5頭のうち、海外GⅠ馬が3頭(シャフリヤール・タスティエーラ・ダノンデサイル)、ジャパンカップ勝ち馬が2頭(コントレイル・ドウデュース)と、世界トップクラスのレースで結果を残し続けている(2025年5月現在)。

21世紀最初のダービー馬・ジャングルポケットは、日本競馬史のターニングポイントとなった存在であった。「勝つのは内国産馬か外国産馬か」が注目された2001年の日本ダービーで生まれた「新時代の扉」というフレーズ。「新時代の扉」は「内国産馬の時代の扉」だったと言えるだろう。

写真:かず

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