
ダービーへようこそ
「ダービーへようこそ」
このフレーズが日本ダービーで使われ始めた時期はちょうどこの頃だったと思う。
「ようこそ」というフレーズは客を招き入れる際に用いるセリフである。イメージとしては立派な建物で、なにか催しが開かれる際にその主たる存在が堂々と、誇り高く客を受け入れるシーンを想像する。
本来「ようこそ」というべき立場は主催であるJRAなのだが、2015年のダービーで「ようこそ」と構えていた主たる存在は間違いなく二冠を目指す皐月賞馬ドゥラメンテであったように思う。
父はダービー馬のキングカメハメハ、母はエリザベス女王杯連覇のアドマイヤグルーヴ(その父サンデーサイレンス)、祖母はエアグルーヴ(その父トニービン)、曾祖母はダイナカール(その父ノーザンテースト)という国内屈指の血統の持ち主。
馬主はサンデーレーシング(2015年獲得賞金1位)、生産はノーザンファーム(2015年獲得賞金1位)、調教師は堀宣行師(2015年最多勝利・最高勝率調教師)、そして鞍上はミルコ・デムーロ騎手(2015年最多賞金獲得騎手)という完璧な布陣だった。
ドゥラメンテ自身は、皐月賞においては前哨戦の取りこぼしもあり3番人気だったが、レースでその血統を背景とした才能を爆発させていた。
3コーナー~4コーナーで進路が見つからず後方に埋もれていたが、まさに「どけ!」と言わんばかりに馬群の隙間を見つけると他馬を突き飛ばすように大外へと瞬間移動。直線に向いた時点でも先頭のクラリティスカイ(のちのNHKマイルカップ勝ち馬)、それをとらえようとするキタサンブラック(のちの7冠馬)、リアルスティール(ドバイターフ勝ち馬)まではだいぶ差があったが、残り200mの坂を登るところで異次元の末脚を炸裂させ、一気に飲み込む。突き抜けるとデムーロ騎手は手綱を緩める素振りを見せてその末脚に酔いしれたかのように首を横に振りながら1馬身1/2差で一冠目を勝利していた。
その末脚は東京の長い直線でこそさらに輝くであろうという予想が大半。ダービーのレース前は「ドゥラメンテがどのように二冠馬になるか」「相手は誰か」といった会話が多く聞こえた。
11万人を超える観客に対し「ようこそ」と声をかけて向かい入れていたのは、この日の東京競馬場の主であり日本ダービーの主役であるドゥラメンテに他ならなかった。
ドゥラメンテの父であるキングカメハメハが勝利した2004年の日本ダービーは快晴で灼熱の中の日本ダービーだったが、この年の日本ダービーも同じような天気だった(気象庁のサイトで調べると、2015年5月31日の府中市の最高気温は31.2℃)。
馬場状態はもちろん良馬場で、最高のコンディションの中で日本ダービーの発走を迎えることとなった。
筆者はもちろんドゥラメンテに招かれるように赴いた客の一人だが、暑さにもめげずにとにかくドゥラメンテが先頭でゴールを駆け抜けるシーンをただひたすら待ちわびていた。

(筆者撮影)
伝説の2015年日本ダービー
当記事を執筆しているのは2025年なので、ちょうど10年が経つことになるが、この年の日本ダービーは今になるととてつもなく大きな意義のあるレースであることを実感する。
先述の通り圧倒的1番人気はドゥラメンテで、主役はドゥラメンテと言っても過言ではなかった。
ところがほかの出走馬を見返すと、今後大きく歴史を動かす馬たちが集結していたことに気づく。
2番人気のリアルスティールはのちにドバイターフを制することになるが、種牡馬入りしてからは産駒のフォーエバーヤングがサウジカップや東京大賞典など国内外を問わず活躍。
3番人気のサトノクラウンは、のちに香港ヴァーズ、そして宝塚記念を制覇し、種牡馬入りを果たす。初年度産駒のタスティエーラが2023年の日本ダービーを制覇するだけでなく、長いスランプを乗り越えクイーンエリザベス2世カップを勝利し、復活を遂げた。
そしてこのレースでは6番人気の伏兵扱いだったキタサンブラックはのちにG1を7勝し、顕彰馬入りを果たす。そのキタサンブラックは、種牡馬としても素晴らしい活躍をみせる。イクイノックスはG1を6勝しワールドベストホースに選定されたが、他にもウィルソンテソーロ(2024年JBCクラシック)、エコロデュエル(2025年中山グランドジャンプ)、ソールオリエンス(2023年皐月賞)、クロワデュノール(2024年ホープフルS)らのG1馬を輩出(2025年5月25日現在)。これからも種牡馬キタサンブラックは、さらなる名馬を輩出していくことだろう。
ドゥラメンテの10年後については後述するが、当時圧倒的な存在だったドゥラメンテ以外も歴史に名を残す名馬たちが集った、言わば「伝説の日本ダービー」であることは10年後の2025年に証明されている。

(筆者撮影)
阻むものは誰もいなかった
11万人を超える観客が東京競馬場に入り、いよいよ出走の時刻が近づいてくる。本馬場入場を終え、ヴォーカルグループのJammin'Zebによる国歌斉唱を聞き入り、静寂が訪れる。そして斉唱が終わると一気にボルテージが上がり、大歓声。ファンファーレが鳴り響いてスタートの時間を迎えた。

(筆者撮影)
当時はまだゲート前の静粛が注意喚起される前の時代だったため、大歓声の中でゲートが開いたが、全頭ほぼ揃ったスタートで各馬がポジションを確保しにいく。
ミュゼエイリアンの横山典弘騎手が果敢に鞭を入れて積極的にハナを奪いにいった。外からキタサンブラックがそれを追いかけ、戦前ハナが予想されていたスピリッツミノルは必死に追うも3番手からの競馬となる。ドゥラメンテは先団を見るような形で中団の外目につけ、その後ろの集団にリアルスティール、後方にサトノクラウンがつけるような隊列で1コーナー、2コーナーとレースが進んでいった。

(筆者撮影)
向こう正面では特に動かず虎視眈々とレースが進む。3コーナーから4コーナーへと各馬が回るところ──ターフビジョンにドゥラメンテがアップで映ると同時に、デムーロ騎手の手が動く。
直線に向いて内でミュゼエイリアンとキタサンブラックが粘りこみを図るが、後続勢が襲い掛かり、ここで脱落。その頃にはエンジン全開になっていたドゥラメンテが坂を登り、真ん中から抜け出そうとするコメートとサトノラーゼンを先頭に立たせる間もなく、あっという間に残り300mで先頭に立った。
抜け出してからは、追いかけてくる馬とは差があり、ドゥラメンテの勝利はほぼ確実に。2番手争いは粘りこみを図るサトノラーゼンに、同じ勝負服のサトノクラウンが差し込んでくる形となったが、ドゥラメンテにしてみれば何のその。鮮やかに二冠達成を果たした。
必然のように勝利したドゥラメンテは「ダービーへようこそ」と招いた客にしっかりと約束を果たし、ウイニングランで観客の前に帰ってきた。デムーロ騎手はガッツポーズをしつつも、ドゥラメンテの肩や頭をポンポンと叩いてねぎらい、指を指して「ドゥラメンテが一番だよ」とアピールした。そしてウィナーズサークルに戻ってくると、デムーロ騎手おなじみの(?)飛行機ポーズで勝利の歓喜を表現した。
11万人のドゥラメンテに招かれた観客は、ドゥラメンテの約束されたかのようなパフォーマンスに酔いしれたのだった。

(筆者撮影)
10年ぶりの「ダービーへようこそ」
ダービーを制したあと、ドゥラメンテは故障による休養を余儀なくされるが、長期休養明けとなる中山記念で復活の勝利を果たす。そしてドバイシーマクラシックへ歩を進めるが、落鉄の不運に見舞われ2着に敗北。その後、宝塚記念に直行して菊花賞馬となったキタサンブラックらと対戦するも、マリアライトに敗れてレース後に下馬。故障と診断され現役生活の幕を閉じることとなった。
その良血ぶりから多大なる期待を背負って種牡馬となったドゥラメンテは、その期待に応えるように早くから活躍馬を輩出した。初年度産駒からタイトルホルダーが菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念を制覇すると、スターズオンアースが牝馬二冠(桜花賞・オークス)、リバティアイランドが阪神JF・牝馬三冠、ドゥラエレーデがホープフルS、シャンパンカラーがNHKマイルカップ、ドゥレッツァが菊花賞、ルガルがスプリンターズSと、カテゴリを問わず多くの活躍馬を輩出している。
しかし、タイトルホルダーが産駒として初のG1を制覇する頃には、すでにドゥラメンテは急性大腸炎によりわずか9歳の若さで旅立っていた。2021年9月のことだった。
遺された産駒たちはそれを知ってか知らずか、次から次へと勝利を重ね、2023年には父内国産馬による初のリーディングサイアーを獲得した。
そして、2025年の5月。ラストクロップとなる3歳馬世代によるドゥラメンテ産駒最後の日本ダービー挑戦を迎えようとしている。当記事を執筆している時点での登録馬のうち、ドゥラメンテ産駒は4頭(エムズ、ファイアンクランツ、ホウオウアートマン、マスカレードボール)。ドゥラメンテ産駒はまだ日本ダービーを制覇しておらず、この世代が最後のチャンスとなる。
ドゥラメンテの同期であるキタサンブラック産駒から1頭(クロワデュノール)、リアルスティール産駒から1頭(トッピポーン)が登録しており、10年前のように立ちはだかろうとしている。
ドゥラメンテ産駒に残された使命は当然父子、いやキングカメハメハから数えて3代父子連続の日本ダービー制覇である。結果は神のみぞ知るという状態だが、もしかしたら空から見守ってくれているドゥラメンテがすでに知っているのかもしれない。
もしそうだとすれば、2015年から10年経った今年、再びドゥラメンテは我々を東京競馬場に招待してくれているだろう。
「わが子が勝利するダービーへようこそ」と。

(筆者撮影)