父メジロマックイーンが残した悔しさを、娘エイダイクインが回収した日 - 1998年クイーンカップ

私はメジロマックイーンが好きだ。

2006年4月に彼が亡くなってから20年が経った今でも、「私の好きな馬第1位」の座は揺らいでいない。おそらくこの先も、永遠に変わることはないだろう。

メジロマックイーンの競走生活、とりわけ“秋”は不運続きだった。

5歳(現4歳)の春、天皇賞(春)を制して父子三代制覇を成し遂げた彼は、京都大賞典を楽勝し、万全の態勢で府中に乗り込んできた。ところが、雨中の天皇賞(秋)では6馬身差の圧勝が斜行により降着。続くジャパンカップは日本馬最先着も4着、有馬記念では単勝1.7倍の絶対的本命ながら、伏兵ダイユウサクの最内強襲に屈する。

振り返れば、私が競馬場で見届けたメジロマックイーンのレースは、なぜか「納得のいかない終わり方」ばかりだった。

翌年、天皇賞(春)を連覇するも骨折が判明し、秋は全休。

そして7歳(現6歳)となった秋、春の宝塚記念制覇に続き京都大賞典を連勝する。とりわけ京都大賞典の直線で見せた走りは、完成されたサラブレッドの強さそのものだった。

「今年の天皇賞(秋)は、99.9999%マックだろう」

そんな空気が漂っていた。一昨年に果たせなかったウイニングラン、念願の府中GⅠ制覇。ゲートに入った瞬間に、すべてが叶う──私は何度も、目の前でメジロマックイーンが先頭でゴールする場面を思い描いていた。

しかし、夢は突然終わりを告げる。

最終追い切り週の水曜日。仕事帰りに五反田駅で手に取った夕刊紙の見出しに、私は立ち尽くした。

「メジロマックイーン 左前脚頸靭帯炎発症 天皇賞断念」

ホームにしゃがみ込み、夕刊紙を破り捨て、線路に向かって投げた。そして周囲の視線も気にならないほど、茫然としゃがみこんでいた。あの瞬間、私の中の“夢時間”は止まった…。

──そして、その時間を再び動かしてくれたのが、彼の子供たちだった。

1997年秋、メジロマックイーンの産駒が競馬場に帰ってくる。

秋の中山開催、土曜日にメジロシャープ、日曜日にエイダイクイン。私は、待ちに待った「マックの子」を初めて競馬場で目にした。父と同じ芦毛だが、どこかほっそりとした馬体。それでも彼女たちは、新馬戦で場内を沸かせてくれた。

やがてエイダイクインは、父の名を背負いながら一歩ずつ階段を上がっていく。

赤松賞で人気薄の勝利を挙げ、中京3歳ステークスでは圧倒的人気エモシオンを撃破。好位から抜け出すその競馬に、確かにメジロマックイーンの面影を見た。

■娘エイダイクインの重賞チャレンジ!

エイダイクインは、中京3歳ステークスの勝利で、関東の牝馬クラッシック戦線の注目馬として名前を上げられるようになる。そして1998年の始動戦は、クイーンカップと発表された。

この年のクイーンカップには15頭がエントリー。1番人気は未勝利勝ち後、今年に入ってバイオレットステークス、クロッカスステークスのオープン特別2連勝中のスギノキューティ。外国産馬でクラッシックレースへの出走権が無いため、100%の仕上げで臨んできている。エイダイクインは2番人気に支持されたものの、桜花賞を大目標にしたローテーションで2か月の休み明け。他には横山典騎乗のエアデジャヴー、ホープフルステークス(当時はオープン特別)を制覇したショウナンハピネスなど、骨っぽいメンバーが揃っていた。

返し馬で1コーナーに向かってくるエイダイクイン。雨の天皇賞(秋)の返し馬、メジロマックイーンを迎えた時と同じ場所で、エイダイクインを待っていた。エイダイクインはゆっくりと、落ち着いた足取りで私の目の前を通過していく。次に私の前を通過するエイダイクインが、先頭で通過してくれることを祈りながら彼女を見送った。

一斉のスタートから、先頭集団に取りつくエイダイクイン。中館騎手のヤマノセンプーが誘導し淡々とした流れの中、4コーナーから直線に入ると、有力馬たちの動きが活発になる。エイダイクインは外を回ってヤマノセンプーに迫る。内に進路を取ったのはエアデジャヴー。スギノキューティは後方のまま。残り200m地点で先頭に並んだショウナンハピネス、ヤマノセンプーの鍔迫り合いを横目に、外からエイダイクインが交わして先頭に立つ。

父メジロマックイーンが得意とした外から抜け出すシーンをダブらせながら、エイダイクインを待つ。あと50m、完全に先頭に立ったエイダイクインは、余裕の足取りでゴールに迫る。内からエアデジャヴーが抜け出し、大外からスギノキューティが矢のように差してくるものの、エイダイクインには追いつかない。結局、1馬身1/4の差をつけての優勝。メジロマックイーンの初年度産駒として、初の重賞制覇を成し遂げた。

私の目の前を、エイダイクインが先頭で通過する。直後にエアデジャヴー、ショウナンハピネスを従えて先頭で通過するシーンは、親子二代にわたり待ちに待ったシーンだった。

5年後の早春。同じ府中のゴール板過ぎの1コーナー。メジロマックイーン初年度産駒の娘が、府中未勝利だった父に代わって、重賞での先頭ゴールシーンを見せてくれた。

私は泣きそうになりながら、エイダイクインの晴れ姿をカメラに収めていた。

 

メジロマックイーン産駒初のクラッシック出走

重賞ウイナーとなったエイダイクインは、堂々と桜花賞へ駒を進める。

シンザン記念、チューリップ賞を連勝したタマモクロス産駒、芦毛のダンツシリウスに次ぐ2番人気に支持されたエイダイクイン。428キロの小柄な馬体も、桜花賞のパドックで輝いている。スポーツ新聞各紙の「マックの娘」「メジロマックイーン産駒エイダイクイン」の見出しを誇らしげに見ながらスタートを待つ。

ロンドンブリッジが軽快に飛ばしていく中、2枠4番のエイダイクインは2番手集団の最内を進む。ターフビジョンに映し出されたエイダイクインは窮屈そうにも見えるが、好位置につけている。結局、4コーナーで外に出すことができなかったのか、菊沢騎手は最内のコースを選択し直線に向かう。

結果は外から伸びて来た武豊騎手のファレノプシスが粘るロンドンブリッジを競り落とし桜花賞馬となった。エイダイクインは内から伸びることができず、6着に敗退。それでもメジロマックイーン産駒の桜花賞出走を見届けた私にとっては、満足な一日となった。

後日、エイダイクインがレース中に骨折していたことが発表され、オークスへの出走断念とともに、「府中のクラッシックレース出走の夢」は途切れてしまう。

エイダイクインが担った役割り

エイダイクインの骨折が治癒して、再び競馬場に姿を現したのは1年後のダービー卿CT。結局、桜花賞後12戦出走したものの勝つことはできず、6歳(現5歳)暮れに引退する。

それでもエイダイクインは、メジロマックイーン産駒として初の重賞ウイナーとなり、父の種牡馬生活の“第2章”を切り開いた存在となった。

メジロマックイーン産駒は牝馬に活躍馬が多く、中央競馬での牡馬の重賞ウイナーは、ホクトスルタン(目黒記念)のみに留まるが、牝馬はタイムフェアレディ、ヤマニンメルベイユ、ディアジーナなどが重賞ウイナーとして名を連ねている。

更にメジロマックイーン牝馬産駒の活躍は、重賞制覇した彼女たちだけではない。競走生活を終え、母になったオリエンタルアート、ポイントフラッグがオルフェーヴル、ゴールドシップを競馬場へ送り出し、メジロマックイーンの血を未来へ継承した。

それでも、クイーンカップの季節が来るたびに思い出すのは、小柄な芦毛の牝馬が府中を駆け抜けた、あの一瞬だ。

父が叶わなかった府中での勝利。雨中の府中に父が置いて行った「悔しさ」を、初重賞挑戦で回収してみせた娘。

偉大なる父と、立派な孝行娘──。

早春の府中は今年も変わらず、冷たくても清らかな“風”が吹いている。

Photo by I.Natsume

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