「おい! なに勝手にリモコンをいじっているんだ!」
家の中に怒号が響き渡る。まだ5歳だった自分に、祖父がものすごい剣幕で怒鳴りつけたのだった。
普段は優しい祖父の豹変ぶりに驚いて、思わず号泣する。しかし祖父は構わず続けた。
「この映像は、とっても大事なものになるかもしれないんだ! もし録れていなかったらどうするんだ!」
その映像とは、2005年7月、ラッシュライフの新馬戦。津村明秀騎手を背に5馬身差の快勝を遂げた牝馬は、祖父が一口馬主として出資していた馬だった。
結果として映像は残っていたかとか、自分がどのようにして許してもらえたのかとか、そんなことは全く記憶にない。ただ、その勝ち方が途轍もなく強烈だったのは覚えている。続く函館2歳Sは3着、ファンタジーSは2着。そのどれもがあと一歩の差。あと少しで重賞を勝てる走りを見せていた。
だが、その輝きは2歳で終わってしまう。結局その後は条件戦を1勝するのみにとどまり、7月のジュライSを最後に現役引退となった。そして彼女が引退した2週間後、祖父は体調を崩して入院し、そのまま11月に帰らぬ人となってしまった。
その後、弟のバアゼルリバーが障害で大舞台に挑戦し、ラッシュライフの2番仔アデイインザライフが新潟記念を制して重賞初制覇。我が家では「ラッシュの子が重賞を」と、ちょっとしたニュースになった。
しかしアデイインザライフはその後故障を発症し戦線離脱。復帰後も思うような結果は残せず引退してしまった。
そして、いつしかラッシュライフの子供達の動向を気にすることはなくなっていた。そんなある日、出馬表載った、とある名前が飛び込んできた。
阪神12R 8枠16番 ファストフォース と。
名スプリンター、機はまだ熟せず
父ロードカナロア、母の父サクラバクシンオー。言わずと知れた名スプリンター2頭が血統表に立ち並ぶ黒鹿毛の牡馬である。母ラッシュライフも現役時代に走った一番長い距離は関東オークスの2100mで、基本的には1200~1600mを中心に活躍した馬だった。晩年は専ら1200mが中心で、血統的に見れば完全に短距離馬の血脈だった。
だが、デビュー戦は阪神の芝2400m。それも『6月の未勝利戦』である。世代の頂点を決めるダービーが終わったさらに3週間後という遅さだった。
しかし、ここまでデビューを待ったのに加え、父ロードカナロアはアーモンドアイ、母父サクラバクシンオーはキタサンブラックと、彼らが現役時代には到底考えられなかったクラシックディスタンス以降の距離で活躍していた馬を輩出していた時代だったことも相まってか、未出走ながら3番人気でレースを迎えた。この血統ならもしかして…と、期待を寄せたファンも少なくなかったのだろう。
果たして血統は正直だった。5番手からレースを進めたものの、直線で既に脚はなくズルズル馬群に飲み込まれて12着敗戦。勝ったのは"小さな少女"メロディーレーンだった。
その後も距離短縮を図ってみたりダート戦を試してみたりしたものの、2着2回が最高。
──そして"タイムリミット"により、中央抹消となった。
翌年、門別で3勝して中央に戻ってきたものの、中央では未勝利ということに変わりはない。1勝クラスに帰ってきた彼の評価は4番人気に留まった。
「へぇ、ラッシュの子なんて久々に見るな」
「勝ってくれればいいけど、中央帰りの初戦じゃなぁ…」
かく言う自分も、その程度の期待だった。
ところが、ファストフォースはそんな評価を颯爽と裏切った。
スタートを決めて好位置に取り付き、4コーナーで前を行くアーモロートを交わし抜け出す。そのまま後続を振り切って、中央初勝利を見事に決めて見せた。
「…強い!」
彼に抱いた感情は、シンプルかつ強烈なもの。
それこそ母の初勝利を見たときのような感覚だった。
続く西武スポニチ賞も僅差で制し2連勝となったファストフォース。
「本当にまた、夢を見られるかもしれない」
そんな淡い期待を抱くようになった。
ラッシュの子が、地方から戻ってきて中央で活躍する…そんな夢を。
泡沫の夢は打ち砕かれて
「期待しすぎじゃない?」現実に戻されたのは長篠Sの日だった。ここもファストフォースは2番人気だった。敵はカレンチャンの娘カレンモエ。ここも勝って勇躍OP入りだと話す自分に知人が放った言葉が、前述の言葉だった。
「だって前走の小倉なんてかなりギリギリじゃん。この時点ですんなりいくならもっとぶっちぎって勝ってないと。超速馬場の小倉で前にいたのにあの走りはまだまだ厳しいよ」
而して、その嫌な予言は的中してしまう。先行馬群に取り付きながらも直線全く伸びず6着敗戦してしまったのだ。さらに、続く桂川Sもまるで前走のリプレイを見るかのように8着と敗戦。
後から考えれば、この敗戦には理由があった。2勝クラスを走っていたときは510㎏の馬体重が、この2戦は大幅に増えて530㎏台。重くなりすぎた馬体では、彼の本来のスピードが殺されていたのだ。
しかし当時はそんなことは知る由もなく、淡い期待が打ち砕かれたことに肩を落とし、次走報も出ない彼の動向を気にしながらも「結局3勝クラスで打ち止めか…」と思っていた。
否、ファストフォースはこのまま終わるような馬ではなかったのだ。
レコードホルダーから一転、苦難の日々へ
半年以上の間隔をあけたファストフォースの復帰戦は、まさかの格上挑戦・CBC賞だった。この年は京都競馬場改修工事の影響で小倉での開催。ここでの彼の馬体重は、-18㎏の518㎏となっていた。
連勝を遂げたときの馬体重に見事に戻してくると、初コンビの鮫島克駿騎手に導かれて先頭を取りレースを引っ張る。2番手にクーファウェヌス、ビオグラフィー、メイショウチタンを従え通過した600mのタイムは32.3。
あの快速馬モズスーパーフレアすら上回るラップタイムを刻んで直線に向くと、追走してきた2番手集団を突き放す。そればかりか、後方から猛追するピクシーナイトとアウィルアウェイまで完封して重賞制覇を成し遂げた。そのタイムは1.06.0。二度と塗り替えられないのではと言われていたアグネスワールドの日本レコードをコンマ5秒も更新する異次元レコードを叩き出してしまったのだから、圧巻というほかない。
規格外のタイムで一躍重賞ホースとなったファストフォースは、次走の北九州記念でもヨカヨカの2着と好走した。G1ホースであるモズスーパーフレアにも先着し、いよいよ本格化かと思われた。
──が、競馬の神様はそう簡単に大舞台での活躍を許してくれはしなかった。
続くスプリンターズSは、先団に取り付けず15着。京阪杯こそ逃げて3着に粘るものの、その後は9戦してセントウルSでの2着1回がやっと。日本レコードホルダーの称号など霞んでしまうほどに凡走を繰り返してしまった。
いつしか私の中での彼の評価は"今にもG1に手が届きそうな新進気鋭のレコードホルダー"から、"短距離重賞戦線でよく見る馬"に変わってしまっていた。
4着好走で見えた、弱点克服の兆し
だが、年末に4着に突っ込んできたタンザナイトSで、彼は変わり身を見せる。今までは馬群に揉まれる競馬になった瞬間走るのをやめていたような節があり、先手を取れるか、取れないまでも2,3番手に付けないとほぼ好走できないという脆さがあった。
このレースでも、上記の凡走パターンに当てはまる後方からの競馬。
『あぁ、またダメか…』と思わざるを得なかった。
だが、この日は様子が違った。
4コーナーで外に回されたファストフォースは、チェアリングソングに馬体をぶつけられても屈せずに伸びる。坂の上りでチェアリングソングを振り払うと、今まで見せたことのないような末脚が炸裂させ4着に食い込んだのだった。馬券圏内に入線こそ叶わなかったものの、前走までとは明らかに馬が変わっていた。
「あんな後ろからも競馬できるようになったのなら、伸びしろアリ、じゃないですか?」
「そうですね。今までのファストフォースじゃないですよ。来年、期待したいです」
この日たまたま訪れていた某所のバーで、マスターとした会話を覚えている。
その期待の蕾は、翌年、最高の形で花開くこととなった。
年明け初戦、彼が選んだのはシルクロードS。連勝中のマッドクール、快速少女ナムラクレア、京阪杯で初重賞制覇を遂げたトウシンマカオ、スプリンターズSで2着に突っ込んだウインマーベルと、上位4頭が明け4歳。新進気鋭の若き世代が台頭する中、7歳になったファストフォースは前年の不振も手伝って10番人気に甘んじた。
しかしレースでは、逃げるマッドクールを前に置きながら、中団に構えたナムラクレアとともに伸びる。ナムラクレアと馬体がぶつかってもラストまで伸び続け、2着で入線した。今までは揉まれると『嫌だ嫌だ』という競馬をしていたのに、7歳になったファストフォースはぶつけられても逆に負けん気を見せるような闘争心を垣間見せたのだった。
──明らかに成長している。
そう信じることができるほどの走りだった。
一つの力、結実の時
そして次走、自身にとって2度目となる高松宮記念を迎えた。G1としては、これが4度目の挑戦だった。
メイケイエールを筆頭に阪急杯を勝ったアグリ、1年ぶりとはいえ3歳でスプリンターズSを制したピクシーナイト、前年の覇者ナランフレグ、前走で後塵を拝したナムラクレア──。一筋縄ではいかぬメンバーたち。シルクロードSで好走したとはいえ、前走で久しぶりに2着となったばかりのファストフォースは、12番人気の低評価でも仕方ないところだった。
この日の尾張は、土砂降りの不良馬場。
私は本命ナムラクレア、対抗にファストフォース。
2頭軸の3連複馬券を握りしめて、ファンファーレを聴く。
「あぁ、そういえば、ラッシュがアル―リングボイスに負けたあのファンタジーSも、直前まで雨が降っていたっけ…」
祖父の一口馬主としての初重賞制覇が消えたあの瞬間を、なんとなしに思い出して、ゲートインを見つめていた。
「親父、馬券買ったかなあ。よく買い忘れる人だからなあ」
大外、ウインマーベルがゲートに収まって、一瞬の静寂が訪れる。
「頑張れ」
その言葉と共に、ゲートは開いた。
前年の覇者、ナランフレグが若干出遅れるスタート。オパールシャルムが先手を主張するが、前年3着のキルロードがそれを制して先頭に立った。その後ろにウォーターナビレラとダディーズビビッドがつけ、メイケイエールはその直後。今日も池添騎手が手綱を引っ張って"いつも通り"の我儘ぶりを見せていた。一方のファストフォースは、団野大成騎手が促すものの行き脚がつかず中団からの競馬となっていた。
彼の周りには、トゥラヴェスーラ、ウインマーベル、ロータスランド、アグリ、ピクシーナイト、ナムラクレアにヴェントヴォーチェと、ごった返しになっていた。以前までの彼なら上がることすらできず敗戦のパターンに違いない。しかし、7歳になったファストフォースは、もう以前までのファストフォースではない。彼らが周りにいることなどお構いなし。タイミングを見計らいするすると位置をあげ、気づけばメイケイエールのすぐ横、先頭集団の直後にまでつけて4コーナーへと突入した。
600m通過は35.5、土砂降りの不良馬場。
このタフなコンディションではタイムが出るはずもない。各馬、相当なスタミナが消費させられていた。
先団につけた馬たちは早々と4コーナーで飲み込まれ、変わって外からアグリが先頭に立つ。
…が、アグリもそこまで脚がない。その後ろにいたウインマーベルも伸びあぐね、先行勢は軒並み壊滅状態になるかと思われた。
その瞬間、オレンジの黒鹿毛が馬群を縫うように突っ込んで、先頭へと躍り出ようとしている。
「ファストフォースだ!!!」
泥んこになりながら、外のアグリを斬り捨てるような目の覚める直線一気。
タンザナイトSで見せたあの脚が、尾張の直線で炸裂する。
そして、シルクロードSでは追いつけなかったナムラクレアが、今度は外から猛追してくる。
前走とは逆の構図。そしてナムラクレアと馬体が近づく。
だが、今度は並ばせない。鼻面を揃えるところまで行った前走とは違う。
追いつかせない。とらえさせない。
「頼む、頼む! 粘れ、粘れ、粘ってくれ!!!」
母は、すんでのところで同期の少女に勝ちを譲った。
その少女も、雨の仁川で惨敗した。
兄は、土砂降りの府中で最下位のラストランだった。
3歳時、初の尾張で敗北した時も、雨だった。
全てを振り切って、雨中を切り裂いたファストフォースは、ナムラクレアに1馬身差をつけてゴールイン。
中央デビュー後地方へいき、その後返り咲いた馬として、史上初めてのG1制覇。そんな競馬史に残る偉業と共に、12番人気の王者が誕生した。
ゴールの瞬間、声にならない声をあげて、私は泣いた。
その晩、親父から3連単まで完璧にヒットさせたという報告が届いた。
だが、馬券が当たったか当たってないかなどどうでもいい。ラッシュライフの息子が、一時期は中央未勝利で終わっていた子が、7歳にしてG1を取ったのだ。
きっと天国で、祖父も喜んでいる──。
自分たちの競馬人生において、忘れられない1日になった。
『本当の出会い』を感じさせられた、忘れられない高松宮記念
その後、秋はスプリンターズSで春秋スプリントG1制覇を目指していたファストフォースは、6月に電撃引退を発表。結局、高松宮記念が最後のレースとなり、同時に最後の勝利となった。
こんな言葉がある。
「本当の出会いなど、一生に何度あるだろう」
昔、JRAのCMで言われていた言葉だ。
今ならわかる。
あの日、祖父が自分に怒鳴った理由も、ビデオが大事なものになるかもしれないと言った理由も。
祖父が最後に愛した1頭の牝馬が、私たちの競馬において大きな意味を成しているということに繋がる。
ラッシュライフという牝系が、ファストフォースに繋がり、そして、つぎの未来をまた作る──。
今後の競馬人生において、必ずや忘れることのない高松宮記念。
ファストフォースと私の出会いは、"本当の出会い"だったのだろう。
写真:あかひろ、かぼす、エプソムゆま