天才と同時代に生きられるのは、幸運である。
たとえば、1998年にメジャーデビューした、宇多田ヒカルさん。
翌1999年にリリースした初のアルバム「First Love」は、邦楽史上最高のセールスを記録し、日本音楽史に燦然と輝いている。
洗練されたメロディライン。
その旋律に、叙情的に言葉を和合させていく歌詞。
何よりも、比類なき圧倒的な歌唱力……。
この音楽が十代半ばの少女によって紡がれていることに、多くの人が衝撃を覚え、その歌声の虜になった。
優れたアーティストは、人々が無意識のうちに感じている、言葉になる以前の微細な想い、あるいは声なき声を、詩、歌、踊り、音楽に乗せて昇華させる。宇多田ヒカルさんもまた、そうした人々の集合的な無意識のレベルにおける、やるせない想い、どうしようもない切なさ、深い孤独感、あるいはこの身を焦がす愛おしさといったものを、その音楽で表現しているようだった。あの当時を生きた人が、彼女の歌声に胸を打たれ、自分の想いを代弁してもらい、そして内に秘めた願いを託して聴いた。ラジオからは毎日彼女の歌声が流れ、ワイドショーでは彼女の書いた歌詞の分析をするなど、宇多田ヒカルの登場は社会現象にまでなった。
多くの人が、そして時代が、彼女に恋をした。
2013年8月25日もまた、天才少女が世に知られるようになった日だった。
晩夏の新潟の風物詩でもある、新潟2歳ステークス。
函館2歳ステークスに続く、2歳世代におけるふたつ目の重賞である。
2002年より施行距離が1,600mになったことにより、翌年のクラシック戦線で活躍する優駿を輩出することも出てきた。勝ち馬には、2歳GⅠを制したマイネルレコルトとショウナンタキオンや、皐月賞・菊花賞3着のセイウンワンダー、あるいは桜花賞・オークス2着のエフティマイアなどが並ぶ。
この年、2013年の新潟2歳ステークスには、フルゲート18頭の若駒が揃った。
その中で、ハープスターは1番人気に支持されていた。
彼女は、北海道・安平町のノーザンファームで生を受けた。
父は、空飛ぶ七冠馬・ディープインパクト。
2010年よりデビューしたその産駒は瞬く間にターフを席巻し、すでに偉大な種牡馬としての確固たる地位を築き始めていた。
そして母系に目を移すと、母の母に燦然と輝く「ベガ」の名前。
1993年の牝馬2冠を制した名牝であり、引退後はアドマイヤベガ、アドマイヤドンというGⅠ馬を輩出した稀代の繁殖牝馬でもある。
そのベガが産んだ唯一の牝馬が、ハープスターの母・ヒストリックスターだった。
ハープスターの名前自体も、こと座の一等星であり、七夕の織姫星として知られる「ベガ」の別名である。
生まれながらの選良たる、ハープスター。
彼女は、デビューからその期待にそぐわぬ走りを披露する。
2013年7月13日、川田将雅騎手を背に、中京の芝1,400mの新馬戦を、4角後方3番手から鮮やかに差し切り勝ちを収める。上り3ハロンはメンバー最速の34秒5。当レースの出走馬中、34秒台を記録したのはハープスターだけであり、まさに出色の末脚であった。
──良血・選良にして、この走り。
次走に選ばれた新潟2歳ステークスでも人気を集めたのは、自然なことと言えた。
ハープスターに続く2番人気には、同じ新潟のマイル戦を好タイムで買っていたダウトレスと横山典弘騎手。
3番人気には、同じ新潟のオープン特別・ダリア賞2着の実績があったマイネグラティアと柴田大知騎手。
6月の東京での新馬戦勝利以来の出走だったイスラボニータと蛯名正義騎手は、4番人気だった。
この時期の2歳戦の人気というのは、完成度の高さとスケールの大きさとのせめぎ合いのようだ。
処暑を過ぎた新潟で、若い駿馬たちがそのスピードと未来を競うレースのゲートが開く。
新潟コースの向こう正面のゲートから、18頭が飛び出す。
キャリアの浅い若駒らしく、バラついたスタート。
3番のイスラボニータが、新馬戦と同じようにダッシュがつかず1馬身ほどで遅れる。
外の17番枠からスタートのハープスターも、出はよかったものの行くそぶりを見せず最後方近くまで下がっていく。
長い向こう正面を使っての先行争い、ハナを切ったのは7番のアポロムーンと西田雄一郎騎手。
内から同じ勝負服のアポロスターズ、その外にマーブルカテドラルが番手で追走する展開。
人気のダウトレス、マイネグラティアはちょうど中団あたり、イスラボニータも出遅れから徐々にポジションを押し上げていく。ハープスターは、まだ最後方から動かない。
3コーナーをゆったりとカーブしていく。
まだ、隊列に動きはない。
4コーナーに差し掛かり、徐々に各騎手の手が動き出す。
直線を向く。
659mを誇る、日本一長い新潟の直線。
各馬、横に広がり、追い出しにかかる。
ハープスターは──。
まだ、最後方だ。
川田騎手は大外に持ち出し、最後の直線に賭けたようだ。
先頭はマーブルカテドラルに替わり、マイネルメリエンダ、ピークトラム、ウインフェニックスもそれを追う。
さらには出遅れから追い込んできたイスラボニータが、その間を割って突き抜けようと迫る……。
しかし。
一閃。
ハープスターは大外から、その争いを丸ごと、撫で斬りにした。
鮮烈。
呆気にとられた刹那、もうすでにハープスターは2着争いをよそに、3馬身差をつけて悠々とフィニッシュしていた。最後は抑える余裕まで見せる、圧巻の走り。直線だけで17頭を、置き去りにした。
2着にはイスラボニータ、ハナ差の3着にピークトラム。ハープスターの計時した上り3ハロンは、32秒5。
マイルで行われるようになった2002年以降の同レース最速であり、これは2021年現在も破られていない。
後方待機から繰り出される次元の違う末脚は、否が応でも、偉大なる父を想起させた。
その走り、どこまで突き抜けるのか。
その行く末は、来年春の桜か、新緑の樫か、それとも、遠い異国の地の頂か──。
晩夏の新潟で、その比類なき輝きを見せつけた一等星。
ハープスター、新潟2歳ステークスを制す。
社会現象ともなったそのデビューを遂げた、宇多田ヒカルさんの「それから」。
彼女はそれから、少しずつその音楽の世界観や作風を変えながら、時を重ねている。
時に活動を休止しながらも、その音楽で世界を彩り続けている。
あのデビューを目撃した人たちとともに、同じ時代を歩み続けている。
特徴的な、彼女のビブラート。
彼女のそれは、キャンドルの炎のように、ゆらゆらと揺れる。
ふとしたはずみに消えてしまいそうなのに、それは決して消えず、時に幽玄さを以て揺れ続ける。
それはどこか、せつなさそのものとでも呼べそうな感じがしていた。個々の存在そのものが根源的に抱える、深い断絶と孤独、と言い換えられるのかもしれない。そのふるえが、デビューから時を重ね、作品を重ねるごとに、どこか崇高な祈りに満ちたものに変遷していったように感じる。
だからこそ、あらためて彼女のデビュー当時の「First Love」を聴き返すことは、この上ない喜びである。
そして、宇多田ヒカルさんという稀代のアーティストの「これから」とともに、彼女と同じ時を重ねることの幸運を想う。
晩夏の新潟で、その天賦の才を惜しげもなく披露したハープスターの「それから」。
阪神ジュヴェナイルフィリーズでの蹉跌、チューリップ賞・桜花賞での豪脚。
届かなかったオークスのクビ差、芦毛の五冠馬を下した札幌記念。
遠くロンシャン、そしてドバイの地にも立った。
ジャパンカップでの不運、京都記念での屈辱、そして、靭帯炎。
それでも、栄光も蹉跌も含めて、彼女とともに時を重ねるのは、喜びとともにあった。
そして、今は母となったハープスターの「これから」を想い、彼女と同じ時代を生きることの幸運を想う。
あらためて、2013年の新潟2歳ステークスを見返す。
青春とともにあった曲を、歳を重ねてから聴き返すように。
それは、決して色褪せない。
それどころか、歳を重ねるごとに、その輝きを増す。
2013年8月25日、新潟2歳ステークス。
First Love。
あの日、みんなが。
彼女の脚に、恋をした。
写真:Horse Memorys