[連載・馬主は語る]オーストラリアの競馬学校(シーズン1-3)

預託予定調教師名の欄には、岩手競馬の永田幸宏調教師の名を書きました。YouTubeの「夢色グラス競馬チャンネル」を通して知り合った志村直裕厩務員が所属する新規開業の厩舎です。志村さんはオーストラリアの競馬学校で騎手になるために学び、実際に向こうのレースでの騎乗経験があり、騎手として復帰することも目指しています。

永田調教師もオーストラリアの競馬学校出身で、志村さんとは同級生だったそうです。オーストラリアの競馬学校で経験を積んだ2人が日本に戻ってきて、岩手競馬で新しい厩舎を立ち上げたのですから、僕としては応援しないわけにはいきません。

僕とオーストラリアとのつながりは、およそ20年以上前にさかのぼります。当時、社会に出ようとしていた20代の私たちは就職氷河期に飲み込まれ、僕も例にもれず仕事が見つかりませんでした。リクルートスーツに身を包み、興味もない大企業の面接を受けまくり、ありきたりの受け答えをし、1社も内定が取れませんでした。自分は社会にとって必要な存在ではないのだ、社会に居場所はないのだと本気で悩みました。

僕は3月の遅生まれということもあり、同級生たちと比べて成長が遅れている実感がありました。今でも親によく言われることですが、幼稚園の駆けっこでは僕はいつもビリだったらしい。ヨーイドンの合図で、他の子が一生懸命に走り出しても、僕だけは一向に走ろうとしなかったそうです。その頃の僕には、誰よりも速くゴールするという競走の意味さえ分かっていなかったのです。物心がつくのも遅かった気がしますし、特に精神的に幼かったということです。

社会に出る年齢になっても、世の中のことが全く分かっておらず、社会性にも欠けていました。今振り返ると恥ずかしい思い出ばかりです。競馬でたとえると、南半球産馬が年内に無理矢理デビューさせられて、2歳戦のスピードレースに放り込まれ、全くついて行けない感じ。たしかにあの頃の僕がノコノコと採用面接にやって来ても、絶対に採用しないと思います(笑)。僕に仕事が見つからなかったのは、社会のせいではなく、自分のせいだったのかもしれませんね。

ほんとうのことを言うと、僕は競馬にたずさわる仕事をしたいと考えていました。しかし、多くの大企業でさえも門戸を狭める状況の中、競馬関係の仕事はさらに狭き門であり、実質的にはそのような仕事は皆無に等しかったのです。

藁にもすがる思いで就職先を探している中、競馬雑誌に載っているオーストラリアの競馬学校の広告が目に入りました。「騎手課程」や「調教師課程」、「厩務員課程」など、オーストラリアに行って競馬を学び、ホースマンになってみないかという内容であったと思います。

僕は騎手になるには体が大きかったので、「調教師課程」に興味を持ち、資料請求をしました。するとオーストラリアの競馬学校の創設者であるハイランド真理子さんから丁寧な手紙をいただき、社会の大人たちから拒否された気持ちでいっぱいになっていた当時の僕は、素直に嬉しくて、感激したのを今でも覚えています。ハイランド真理子さんとは、今でも母親以上の母として尊敬し、親しくさせてもらっています。

結局、僕はオーストラリアの競馬の世界に飛び込むことができませんでした。レールから外れてしまうことが怖かったのだと思います。もしあのとき、崖から飛び降りるつもりでオーストラリアに渡っていたとしたら、今頃、どこかの国で調教師になっていたかもしれません。人生にタラレバは禁物ですが、あのときの決断は僕の人生を大きく左右したことは間違いありません。

それでも今、こうして競馬について語らせてもらっているのですから、僕は僕なりにあきらめずに競馬に取り組んできたということですが、あの当時、若くしてオーストラリアの競馬の世界に勇気をもって飛び込んだ日本人たちには尊敬の念しかありません。彼らこそが本物の挑戦者でありパイオニアなのです。

オーストラリアの競馬学校の卒業写真 左から4人目の青い服の女性がハイランド真理子さん、下段中央の赤いシャツが志村厩務員、右から4人目の中腰の青いシャツが永田調教師。

オーストラリアの競馬学校の出身者としては、僕がエルを預けているタスマニアの西谷泰宏調教師だけではなく、中條大輝調教師、島良友調教師はオーストラリアで馬を管理し、森下淳平調教師は日本に戻ってきて大井競馬場でトップトレーナーの座にいます。ジョッキーとしては、先日引退してしまいましたが障害を中心に騎乗した川上鉱介騎手、世界を股にかける富澤希騎手、現在は中央競馬で免許を取って騎乗している藤井勘一郎騎手など、その他、多くのホースマンたちが世界中の競馬場で活躍しています。

当時の志村厩務員(左)と藤井勘一郎騎手(右)

競馬から少し離れた世界でも、ミクシーの元代表取締役社長の朝倉祐介氏やお笑い芸人テンポイントの松下慎平氏などもいます。彼らに共通していることは、未知の世界に飛び込むことができた勇気とチャレンジングスピリットでしょう。それさえあれば、結局どの世界でも成功できるのです。

熱く語ってしまいましたが、それだけオーストラリアと日本の競馬、そして僕は関係が深いということです。僕もこの卒業写真に写っていたかもしれないと考えると、オーストラリアの競馬学校の出身者が他人とは思えないのです。

とはいえ、岩手競馬の永田厩舎はあくまでも預託予定であり、そもそも預かってもらえるかどうかも分かりませんし、もう少し具体的に調べてから、どこの競馬場で走らせるのか決めるつもりです。中央競馬の馬主と違うのは、地方競馬は北は門別から南は佐賀まで日本全国に競馬場があって、地方馬主にはホームグラウンドを選ぶ権利があるところでしょうか。その権利はしっかりと享受したいと思います。

自分の馬をどこの競馬場で走らせたいのか?

そう考え始めると、眠れなくなってきました。

(次回へ続く)

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