皐月賞馬・ジオグリフ引退に寄せて。ジオグリフが刻んだ「挑戦の足跡」を振り返る

2025年8月27日、ジオグリフの現役引退が発表された。

結局のところ「ジオグリフってどんな馬なのか」を、最後まで掴みきれないまま終わってしまったように思う。ただ言えることは、とんでもない強烈な黄金世代に生まれてしまった…ということである。生まれてきた世代が違えば、彼の蹄跡はもっと華やかなものになっていたはずだ。

通算21戦3勝。この数字だけを見れば、決して華々しい戦績ではない。しかしジオグリフが駆け抜けた21のレースには、世界を席巻する名馬たちとの戦いがあった。母アロマティコから受け継いだ美しい栗毛の馬体を輝かせながら、国内6競馬場、海外5競馬場。計11の競馬場を4年間で駆け抜けた。芝とダートを自在にこなし、国内外のG1を転戦する姿は、まさに“Traveling Horse”といえる。

盛岡、香港、サウジアラビア、ドバイ、アメリカ、そしてオーストラリア。府中や中山、阪神だけではない。ジオグリフが出走したレース、競馬場のひとつひとつに勝敗を超えた物語が刻まれている。彼が11の競馬場に残したものは、勝利数では決して測ることのできない「挑戦者の足跡」といえるだろう。

ドレフォンの初年度産駒として登場したジオグリフは、2歳6月の府中でルメール騎手を鞍上に迎えてデビューする。1番人気だった後の菊花賞馬、アスクビクターモアをゴール前で競り落とし初戦を飾った。そして2戦目の札幌2歳S、向正面最後方から驚異の捲りを見せ、直線で突き抜ける。ルメール騎手が後ろを振り返りながらノーステッキでゴールするシーンは、誰もが世代ナンバー1の可能性を感じたことだろう。

暮れの大一番、GⅠ・朝日杯フューチュリティステークスで、ジオグリフは世代ナンバー1を確定させるはずだった。しかしそれを阻んだのは、後の日本ダービー馬ドウデュースである。

C・デムーロ騎手を擁して1番人気に支持されたのは重賞2勝のセリフォス。ジオグリフはドウデュースを抑えての2番人気で続く。レースはドウデュースとセリフォスが直線で一騎打ちの展開となり、最後方追走のジオグリフは、見せ場を作れず5着に敗れてしまう。

ジオグリフが目指した世代ナンバー1の座には、暫定でドウデュースが就いたものの、ホープフルステークスを優勝したキラーアビリティも虎視眈々。そして何より、東スポ杯2歳ステークスを圧勝した漆黒の馬、イクイノックスの存在が「未知の強さ」を醸し出していた。

2022年皐月賞。それは、ジオグリフが生涯で最高に輝いたレースである。

振り返れば、三冠レース初戦に相応しい錚々たるメンバーが覇を競うレースで、ジオグリフは5番人気、チャレンジャーの立場で臨んだ。イクイノックス、ドウデュースという、後に世界に名を轟かせる名馬たちを退けて優勝したジオグリフの勝利。フロックなんかじゃない「秘めたる才能が花開く瞬間」を、コロナ禍で入場制限中の中山競馬場で9,102名が見届けた。

最後の直線で見せたジオグリフの末脚は圧巻だった。アスクビクターモアを競り落としたイクイノックスが先頭に躍り出るところを、外から襲いかかるジオグリフ。末脚比べで急伸するドウデュースを封じ込めるジオグリフの姿は、まさしく「強いチャレンジャー」だった。

皐月賞での勝利は単なる一冠ではなく、世代頂点を形成する2頭、イクイノックスとドウデュースを封じ込めた証でもある。

──6度目の海外遠征となった、4月のクイーンエリザベスSで13着に敗れた後、右前肢の骨折が判明。そして、復帰に向けた懸命のリハビリも叶わず、現役生活にピリオドを打つことになった。

ラストランが海外でのレースとなったジオグリフ。国内でのラストランとなったのは2月の東京新聞杯で、レース後はダートコースではなく芝コースをゆっくりと戻ってきたシーンを思い出す。ジオグリフは冬の陽射しの中、しばらく立ち止まってスタンドの方を見ていた。今から思えば、それが今まで応援してくれたファンへの、お別れのメッセージだったのだろうか…。

ジオグリフは今後、北海道新冠町の優駿スタリオンステーションで種牡馬として繋養されるという。父ドレフォン譲りのパワーと、母アロマティコから受け継いだ美しい馬体。そして何より、ジオグリフ自身が持っていた秘めたる才能は、次世代へと受け継がれていくだろう。

彼が世界各国に刻んだ「挑戦の足跡」は、これから生まれる産駒たちが再びチャレンジすることで結果を生み、競馬界に新たな風を吹き込むはずだ。

お疲れさま、ジオグリフ。

君の走りは、いつまでも記憶の中で輝き続けていくだろう──。

Photo by I.Natsume

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