[連載・馬主は語る]クラブフット(シーズン3-20)

翌朝、ノーザンファームミックスセールを見学するため、北海道へ飛びました。今回は下村獣医師、いや、今や大狩部牧場の代表となった下村社長が迎えに来てくれます。僕を新千歳空港から碧雲牧場に送り届ける車内で対談動画を撮りたいとのこと。彼はつい先日、大狩部牧場のYouTube番組を立ち上げたばかりで(日高の牧場を背景とする斬新な画角と当歳馬にもみくちゃにされる下村さんが面白いので観てみてください)、その最初のゲストとして登場させてくれるそうです。ありがたいお誘いに感謝しつつ、これからは牧場もホームページやSNSを使って発信していかなければならないという彼の考えに賛同します。

今は黙っていてもセリで馬が売れる時代ですが、いつか吟味されるようになったとき、生産者がどのような想いをもってつくったのか、この馬はどのように生まれ育ったのかなどの物語が求められるようになるはずです。たとえこの先も馬が売れる時代が続いたとしても、より高く買ってもらうためには、馬にまつわる物語が必要になるでしょう。そもそも、安くて数百万、高ければ数千万もするサラブレッドが、セリの数日間だけで売れているのが不思議な話です。他の業種を見ても、高価なモノには必ず物語があり、それが価値を高めているといえます。そういう点においては、サラブレッドの生産市場はまだ遅れている面があり、成長の余地があるのです。

ノーザンファームや社台ファームのように確立されたブランド牧場以外の中小牧場こそ、自ら発信をしていかなければいけません。ブランドとはもともと牧場の所有者が自分の家畜などに焼印を施し、他者の家畜と区別するために行われた行為を表す北欧の言葉に由来していると言われています。自分たちがつくったサラブレッドであると焼印を捺すために、生産者は自ら語っていかねばならないのです。

初めての車中対談で、ふたりとも慣れない手つきで撮影していると、あっという間に碧雲牧場に到着しました。前回がセレクションセールのときに訪れたので、およそ3か月ぶりになります。僕はダートムーアの娘とスパツィアーレの息子に一刻も早く会いたい気持ちを抑えるのに必死です。この時期は昼夜放牧の真っ盛り。1日の間に馬たちが馬房にいるのは6時間程度だそう。朝の4時半ごろに集牧(馬を放牧地から厩舎に戻すこと)し、怪我がないかなど馬体をチャックしたり、飼い葉をつけたりしながら馬を休ませますが、それ以外の18時間は昼も夜も馬たちは外に出て過ごします。

碧雲牧場の当歳馬は今年7頭。牡馬が4頭、牝馬が3頭です。年が明けて1歳になる頃には牡馬には馬っ気が出てきたりするため、牡馬と牝馬を別々の放牧地に放す必要が出てきますので、もうこの時期からそうしているとのこと。まずはダートムーアの娘に会いに、牝馬だけの花園に入ってみることにしました。碧雲牧場の馬たちは人に慣れていることもあって、僕たちが放牧地に入ると、向こうから3頭が近寄ってきました。ダートムーアの娘は額にアラジンのランプから出てきた煙のような流星があり、そこで識別することになります。

向かい合った瞬間に、アレっと思ったのは、身体の大きさでした。頭の位置が僕と同じぐらいになっていて、ちょうど真正面に向き合えるのです。3カ月前は僕よりも低くて、小さい体をすり寄せてきて可愛らしかったのですが、今はすでに対等な感じです。写真や動画を見ていたときは、牝馬らしくまだ薄い馬体に映っていましたが、こうして対面してみると、大きく成長しているのが分かります。性格的には相変わらず大人しく、いたずらをすることもせずにじっとしているので、僕は首筋を撫で、頬と頬を合わせながら話しかけてみます。前回会ったとき、「お母さんとしてここに戻してあげるからね」と言ったことを覚えているような、いないような感じで甘えてきます。身体は大きく成長していても、可愛らしさはそのままで少し安心しました。

慈さんいわく、今年の当歳馬の中でも最も手がかからなかったとのこと。素直に言うことを聞き、人間を煩わせることをしないという意味でしょうが、ただ一旦スイッチが入ると大変なことになるそうです。そのあたりは母譲りですね。普段は大人しいけど、何らかのきっかけで急にスイッチが入ると手が付けられなくなる。競走馬としてはそういう面は必要なのではないでしょうか、と慈さんは言います。ずっと煩くても消耗してしまいますし、レースに行けば死に物狂いで他馬に先んじる必要がありますから、大人しくて素直なだけでもダメなのです。オンとオフのスイッチが切り替わることが大切です。

続いて、隣の放牧地に足を踏み入れました。こちらも同じく、牡馬が4頭近寄ってきます。1頭多いこともありますが、やはり牡馬はひと回り馬体が大きいこともあって、先ほどの牝馬たちよりも迫力があります。スパツィアーレの息子は額に太い流星が走っていますので、遠目からでもすぐに分かります。しかも、4頭の中ではいちばん背が高く、馬体も実に立派に成長していました。先ほどのダートムーアの娘と見比べると、ひと回り以上大きい印象を受けますし、全体の筋肉量のバランスも良いです。母も縦にも横にも大きな馬体ですから、そこに父ルーラーシップとくれば、この馬格の素晴らしさは当然です。自分の繁殖牝馬の仔あることも忘れ、しばし見惚れてしまいました。そして、自らの生産馬だとふと気づいたとき、嬉しさがこみ上げてきました。

スパツィアーレの息子は、離乳したときも全く動じることがなかったそうです。馬によっては飼い葉を食べなくなったりしてコンデションが落ちてしまうこともあるほど辛い時期ですが、スパツィアーレの息子は一度もそういう面を見せることなく、順調に次のステージに進めました。この先、環境が大きく変わるようなことがあっても、スパツィアーレの息子は強靭な精神力をもって克服してくれるはずです。生まれてすぐはなかなかお母さんのお乳に辿り着けなかったり、足が長いので立ち上がるのに苦労しましたが、あの馬がわずか半年強でこんなに立派になるなんて。サラブレッドの成長の速さには驚かされます。

それにしても、牡馬たちはやんちゃというかイタズラ好きで、写真もまともに撮らせてくれません。僕がスパツィアーレの息子の写真を撮ろうとしていると、ぶつかってきたり、服を噛んで来たり、頭突きしようとしたりします。彼らは軽い気持ちで遊んでいるのだと思いますが、すでに300kg近くはありますから、一つひとつの動作に迫力があって怖いのです。一緒に遊んであげたいのは山々ですが、僕たちは早々に放牧地の外に退散しました(笑)。

その後、ダートムーアにも挨拶をしました。子どもが生まれると、僕たちはどうしてもそちらばかりに気を取られてしまいますが、母あっての子どもたちです。ダートムーアは相変わらずのんびりしていて、マイペース。お腹にはタイセイレジェンドの仔を宿しています。2年前のノーザンファーム繁殖牝馬セールで買ってきたときに比べても、馬体がひと回り大きくなったのではと思うほど、コンデションは良さそうです。もう15歳になりますが、年齢を感じさせませんね。生産者孝行な繁殖牝馬です。

その日の夜は、碧雲牧場の家族やスタッフたちと夕食を食べました。これも北海道を訪れるときの楽しみのひとつです。繁殖牝馬やその子どもたちに会い、牧場の皆さんと食事をする。慈さんも妻の理恵さんも、慈さんのお母さんも、スタッフのふたりも、皆、優しくて気持ちの良い人ばかり。ここに慈さんのお父さんもいれば良かったのにと思いつつ、こうやって大勢で食事をするって楽しいものです。ダートムーアもスパツィアーレも、その娘、息子たちも、こうした素敵な人たちに囲まれて生きているのだと思うと、僕はそれだけで安心であり、碧雲牧場に預かってもらって良かったと心から思えるのです。

翌朝はミックスセールに向かう前にもう一度、当歳馬たちを出して見せてもらうことになっており、6時すぎに起床しました。僕にとっては早起きなのですが、慈さんたちは4時半には馬を集牧しているということは、もっと前に起きていることになります。窓を開けるとバス通りで朝から喧しい僕の自宅と違って、牧場の朝は静かでぐっすりと眠れるのですが、牧場の皆さまが早朝から働いていることを考えると、少し後ろめたい気持ちになります。本当の意味でサラブレッドにたずさわっている人たちの生活は、僕たちのそれとは全くリズムが異なるのです。日高に来ると、そのことをいつも痛感します。

玄関で慈さんの声がし始めたので、カメラを片手に降りて行くと、「おはようございます!」と朝から元気な声で迎えてくれました。馬房までゆっくりと歩いて向かうと、馬たちも窓から顔を出して迎えてくれます。まずはダートムーアの娘を馬房から出してもらい、外で撮影を始めます。昨日は周りの当歳馬に邪魔をされて、落ち着いて見ることができませんでしたが、こうして1頭だけを立たせてもらうと細部まで見えてきます。ダートムーアの娘は現時点でも背が低いわけではありませんが、前躯よりも後躯が高くトモ高に映ります。この先、前躯が後躯に追いついて、体高はさらに伸びてきそうです。サラブレッドは前後が揃って高くなるわけでもなく、後ろが高くなって、その後、前が追いついてくるという成長過程を辿ります。「お母さんも背が高い馬ですが、この仔もまだまだ背が伸びそうですね」と慈さんは言います。

さらに、「球節や管の部分を触ってみてください。しっかりとしていますから」と勧められます。触ったり、握りしめてみると、骨ががっしりとしていて、太さもある感じがします。この後、遅生まれで成長の遅い当歳馬の球節や管の部分も触らせてもらうと、たしかにダートムーアの娘はつくりがしっかりしていることが分かりました。球節や管の部分はサラブレッドの成長が如実に表れるところだそうです。実際に触ってみるとより分かりやすいですね。調教師などが、馬選びのときに脚元を触ってその感触を確かめてみている意味が少し理解できました。

また、蹄も今のところ問題ないとのこと。この時期はクラブフットといって、蹄が丸くなったり、異常な形に変形してしまう疾患が心配されます。蹄がゴルフクラブのような形になることに名前は由来していると言われています。

子馬の球節や肩に何らかの持続的な痛みが発生すると、周辺の筋肉が緊張することにより深屈腱支持靭帯が収縮し、やがては深屈腱が拘縮すると考えられています。これにより、二次的な症状として独特の蹄形異常(クラブフット)となり、生後1.5~8ヵ月齢の子馬に発症します。クラブフットは、軽度から重度の症例まで4段階に分類され、軽度の状態で早期発見、適度な処置が施されない場合にはさらに進行し、市場価値を低め、運動能力を減退させます。

(「馬の資料室」子馬のクラブフット発症状況より)https://blog.jra.jp/shiryoushitsu/2018/11/post-4dff.html

クラブフットの発生率は16%とされていますから、決して稀な疾患とは言えませんね。むしろ5頭に1頭は、何らかの程度でクラブフットを発症してしまうのです。特に1月や2月に生まれた早生まれの馬にクラブフットは多く、放牧地の硬さや発育における成長バランスの問題が原因として考えられます。程度の軽いものであれば、蹄を適切な装蹄療法や薬物療法、運動制限等によって治療することは可能ですから、早めに見つけてあげることも大切ですね。ダートムーアの娘は2月生まれなので、今後も気をつけて見ていく必要があるでしょう。

次はスパツィアーレの息子です。昨日見たときも惚れ惚れしてしまいましたが、今朝も相変わらず素晴らしい馬体を誇っています。ダートムーアの娘と比べてみても、牡馬と牝馬の違いこそあれ、馬体の立派さは一目瞭然です。前躯と後躯もバランス良く発達していますし、体高も高く、胴部にも十分な伸びがあります。腹構えもどっしりしており、球節や管、そして蹄も今のところ全く問題ありません。あえて欠点を挙げると、流星が太いので顔が大きく見える(オーナーの僕に似てますね)ことぐらいでしょうか。まあ顔の大きさはご愛敬として、現時点では非の打ちどころがない好馬体です。「これはセリ向きですね」と慈さんも下村獣医師も声を揃えて褒めてくれました。気を良くした僕は、なぜか彼と記念撮影までしてしまいました。

(次回へ続く→)

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