[連載・馬主は語る]株の話(シーズン3-最終回)

株を買うかどうか迷っています。日経平均の株価が、バブル絶頂期の史上最高値(3万8915円)を更新しようとしているからではありません。しかもそっちの株ではなく、種牡馬の種付け権利の株のことです。

競走馬が現役を引退して種牡馬になると、複数人でその種馬に出資する形で株を持ち合うシンジゲートが組まれます。一般的には40~60株に分けられ、1株につき1頭分の種付け権利を所有することになります。さらに株を持たない人たちから得た種付け料の収入はシンジゲート内で分配される仕組みです。シンジゲートに入れば、優先的な種付け権が得られるだけではなく、その種牡馬が人気になればなるほど、種付け料がガッポガッポと入ってくるというわけです。

もちろんその逆も然りで、その種牡馬が不人気になり、繁殖牝馬が種付けに来なくなれば、種付け料は入ってこないばかりか、自分の持っている種付け権さえも使う価値が薄れてしまいます。1年に1頭しか種付けできませんので、他の種牡馬の方が魅力的であれば、自分が持っている種付け権は行使せず、誰かに売って使ってもらうのが得策です。そうして市場に出てくるのが、1年株と呼ばれる、その年にのみ有効な種付け権です。

1年株を買うと、どのようなメリットがあるかというと、当然のことながら、優先的に種付けする権利が得られます。種牡馬は1日に2頭、多くても3頭の繁殖牝馬としか種付けすることはありませんので、種付けシーズン真っ只中のしかも人気種牡馬であれば、その枠の取り合いになります。スタリオンによって、予約していなければ入れなかったり、ほぼ早い者勝ちであったり、地元の牧場やつながりを優先したりなど、繁殖牝馬に発情が来たタイミングで種付け枠に入れるかどうかはブラックボックスになっているのが現状です。そんな中でも、1年株を持っていれば、確実に優先してもらえるのです。どうしてもその種牡馬を配合したいという生産者は、1年株が売りに出されていたら迷わずに手に入れるのです。

もうひとつのメリットは、市場に公表されている種付け料よりも少し安くなること。たとえば、150万円の種付け料の種牡馬がいたとすれば、1年株は120万円前後で売りに出されるのが常です。どれだけ値引きするかは決まっていませんが、通常の種付け料に対して大体80%ぐらいが相場でしょうか。種付け料という単位で考えてしまうと大した値引きではないように思えますが、先ほどの例で言うと、1年株を買うことで30万円も得することになります。30万円あったらいろいろ買えますよね。

ただし、1年株を買うことはメリットばかりではありません。最大のデメリットとしては、1年株の名のとおり、その年にしか行使できない権利なのです。買ったものの今年は使わなかったから、来年に持ち越しというわけにはいきません。ということは、何が何でも種付けをしなければいけませんし、やはり怖いのは受胎しないという事態が発生したとき。何度種付けに行っても結局、その年に受胎しなければ、せっかく購入した1年株はパーになってしまいます。もう1度、先ほどの例を用いると、30万円得をしたつもりが、受胎しなければマイナス120万円になってしまうということです。サラブレッドは生き物であり、受胎するかどうかは神のみぞ知ることですから、1年株はある意味ギャンブルですね。

繁殖牝馬の頭数が多い牧場であれば、Aという繁殖牝馬が受胎しなければ、Bという繁殖牝馬を連れて行き、数打ちゃ当たるではありませんが、繁殖シーズン中に何とかして1年株のメリットを生かすことはできるはずです。ところが、たとえば僕のように繁殖牝馬を2頭しか持っていなければ、どちらに何度種付けをしても受胎しなかったなんてことが起こり得ます。しかも種牡馬の受胎率に問題がある場合は目も当てられません。

もうひとつのデメリットは、前払いということです。一般的に、種付け料は受胎条件といって、受胎が確認できたあとの9月か10月ぐらい、もしくは出生条件といって産駒が生まれてきたことが確認できてからの翌年の1月から5月ぐらいの間に支払いが生じます。生産者のビジネスの仕組みとして、7月から10月の間に行われるセリ市が主な収入源になりますので、通常であれば今牧場にいる1歳馬を売ったお金で種付け料を払うことができるのです。それに対し、1年株を買うとなれば、種付けシーズン中(1月~4月ぐらい)に先んじて払うことになります。入金から支払いまでの期間をどれだけ長くできるかがキャッシュフロー効率の良いビジネスの基本ですから、1年株を買うことはその真逆であると言えます。

売りに出された1年株の情報は、牧場宛てにFAXで随時送られてきます。最近ですと、ネットで「ノミネーション情報」と検索すると、各スタリオンのホームページにてリアルタイムで見ることができます。いざ見てみると、やはり人気のある種牡馬の1年株はほとんど売りに出されていません。満口になっている種牡馬で1年株が出ていたのは、ルヴァンスレーヴとモズアスコット、テーオーケインズ、チュウワウィザードぐらいでしょうか。ルヴァンスレーヴとモズアスコットは通常の種付け料よりも40万円ほど安いので、これら2頭を絶対に配合したいと思う生産者は買いたいでしょうね。満口になっていないような種牡馬は、その日の枠が空いていれば入れる可能性が高いので、1年株のメリットはほとんどありません。受胎しなければ無になってしまうことを考えると、少しばかり種付け料が安くなるぐらいでは、リスクの方が大きいですね。

エピローグ

予定日を1週間すぎた木曜日、碧雲牧場の慈さんからLINEが入りました。

「今朝、しっかりとした乳ヤニがつきました。ダートムーアのこれまでの傾向からすると、ここ3日以内だと思われます」

予定よりも1週間遅いのも昨年と同じですから、おそらく濃い乳ヤニがついてからもすぐでしょう。昨年は当日に北海道に飛んだのにもかかわらず、僕が空の上にいる間に産んでしまったほどスピード出産ですから。ただ今年は、今日明日と仕事が入っており動けそうもありません。

「早くてもそちらに行けるのは土曜日になります。ダートムーアには我慢しなくていいよとお伝えください」と僕は慈さんに返しました。

その日の夜までには電話がかかってきませんでした。あと1日待ってくれと願いつつ過ごしていると、金曜日の午前中に慈さんからの電話が鳴りました。やっぱり間に合わなかったかと思い、すぐに電話に出ると、慈さんは「治郎丸さん、お疲れさまです」といつもの明るい調子と違って神妙な声です。無事に生まれましたけど、今年も少し間に合わなかったですねという報告かと思っていましたが、そうではなさそうな雰囲気です。

「昨夜、仔馬は無事に生まれたのですが、あまり良くない報告をしますので、心して聞いてください」と慈さんが前置きをするので、僕は身構えます。瞬間的に2つの事態が思い浮かびました。ひとつはダートムーアが出産後に亡くなってしまった、もうひとつは仔馬が生まれた直後に死んでしまった。サラブレッドの出産においては十分にあり得る話ですし、たとえ自分の繁殖牝馬や生産馬に起こったとしても受け入れるしかありません。僕は固唾を飲んで慈さんの次の言葉を待ちます。

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