[連載・馬主は語る]競馬は皆で楽しむものだ(シーズン2-39)

翌日、札幌からバスに乗って牧場に向かいました。近くのバス停に到着すると、慈さんが車で迎えに来てくれていました。そのまま車に乗り込み、鵡川(むかわ)の寳龍(ほうりゅう)というラーメン店に向かいました。今日のような寒い日は、何としても寳龍(ほうりゅう)の味噌ラーメンが食べたいと思っていたのです。もしかすると、東京都内で食べると普通の美味しい味噌ラーメンかもしれませんが、極寒の北海道で車から降りてダッシュで店内に駆け込み、寒いですねと言いながら食べる出来立ての味噌ラーメンは極上の味がします。この寳龍(ほうりゅう)は、慈さんの父・敏さんがよく連れてきてくれたお店でした。そのことを滋さんに話すと、「おやじはここの味噌ラーメン好きだったからな」と懐かしそうな表情を浮かべました。

慈さんの父さんが亡くなる前、病床に臥せていた敏さんに話したいことがあると枕元に呼ばれたことがありました。ずいぶんと仰々しいなと思っていると、「慈は大丈夫なのか?」と聞かれました。大丈夫なのかと聞かれて、お宅の息子さんは大丈夫ではありませんとは答えるはずもありません(笑)。僕は「大丈夫ですよ。彼はこの(生産の)仕事が大好きですし、お父さんから見ると心配なのかもしれませんが、とてもしっかりとしています。安心してください」と答えました。もちろん僕の本心です。いつの時代も、父から見ると息子は大丈夫ではないように見えるものですね。

僕の父は銀行マンでしたから、僕とは全く職種も違いますし、跡継ぎというわけでもないので、父と子の間に起こる葛藤のようなものは生じようがありませんでした。だからこそ、自分がゼロからつくった牧場とそれを継ぐ息子の行く末が心配でならないお父さんの気持ちと、それを受け止めたいけれど少々重いと感じてしまう息子の気持ちとの間に流れる重たい空気は、当人たちにとっては苦しいものでしょうが、僕からすると少しうらやましい気もするのです。世代交代というか、倒木更新というか、息子が父を乗り越えてゆく瞬間がたしかに存在するのです。

それからさらに、「単刀直入に聞くけど、治郎丸さんは今の日本の競馬をどう思っているのかな?」と静かに切り出されました。どう思うのかとはこれも漠然とした問いですが、僕は察しました。そのころ良く聞かれたあの質問であり、競馬関係者だけではなく、競馬ファンの間でも議論がなされる、あの話題についてでした。

僕がしばらく黙っていると、「ノーザンファームがひとり勝ちしている日本競馬の現状は、これで良いのかな?」とお父さんは問題の核心に迫ってきました。あまりの真剣さに、僕は答えに窮してしまいました。僕なりの答えは持っているのですが、それはこの場にあまり相応しくない気がしました。しかも僕が求められているのは正しい答えではなく、おそらくお父さんが今の日本の競馬界の状況をどう考えているのかに耳を傾けることなのだと思ったのです。僕は何も答えず、敏さんの話を聞きました。それは生産者ならば誰もが思う、率直な気持ちであり本音でした。

東京に戻ってから、あのとき敏さんの話をただ聞いたのは正解でしたが、僕なりの考えを話さず終えてしまったのはどうなのだろうかと思い直しました。答えは求められていなかったとしても、僕なりの考えを話さないのはお互いにとってつまらなかったのではないかと、少し後味が悪かったのです。

今さらですが、僕なりの答えはこうです。ノーザンファームのひとり勝ちが良いか悪いかと聞かれるとどちらでもありませんが、つまらないかどうかと聞かれると、「つまらないに決まっているじゃないか!」と答えたいです。それはノーザンファームの関係者でさえ同じ気持ちではないでしょうか。競馬はスポーツであり、ライバルがいるからこそ面白いのです。一方で、独占状態は悪いことばかりではないとも僕は思っています。ライバルが多すぎると競争過多になり、誰もが目先の利益を追い求めることに手一杯になってしまいますが、独占状態にある場合、その独占企業が未来に向けて大きく投資することで、その業界や社会が大きく変わることがあります。そう、ノーザンファームの独占こそが、日本競馬のレベルを高くまで引き上げ、この数十年間でその姿を大きく変えたのです。

「競馬は皆で楽しむものだ」という、ミスター競馬と呼ばれた野平祐二氏の言葉があります。ノーザンファーム生産馬の馬券を買っておけば当たる、一口クラブに出資しておけば走る、ということはその逆も然り。それでは皆で楽しむことができないのではないでしょうか。競馬を皆で楽しむためには、ノーザンファームのライバルになるような生産牧場や生産馬たちが次々と現れるしかありません。碧雲牧場がそのひとつになれたらと願います。何を夢物語をと思われるかもしれませんが、10年先の未来は誰にも分からないものです。まさか僕が繁殖牝馬を碧雲牧場に預託し、子どもが生まれ、翌日、息子の慈さんと一緒に味噌ラーメンを食べているなんて、敏さんは想像したでしょうか。天国から寳龍(ほうりゅう)で会話している二人の姿を見て、お父さまは喜んでくれていると思います。

(次回へ続く→)

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