
ひとすじの光が駆け抜けた。
砂塵を巻き上げ、夜明けを告げるように。
遅れてきた才気。
ひとたび弾ければ、並ぶものなく、ただ前へ、ただ先へ。
──その旅路は、長くはなかった。
されど、深く刻んだその蹄跡は、今も、砂の中に息づいている。
いまはもう届かぬ夢。
胸に宿した黄金の稲妻。その光を抱き、君はいまも駆けている。
スマホ画面に浮かぶ一文に心臓が大きく跳ねる。息が止まり、思考が凍りつく。
「ゴルトブリッツ、死亡」
彼はほんの2か月前、ダート界の頂点を極めたばかりだった。夜の闇に輝くまばゆい黄金の馬体と、スマホに浮かぶ無機質な報せ。その落差が、頭の中で結びつかない。
誤報だと願わずにはいられなかった。だが、それは覆ることのない事実だった。彼はその日、永遠に喪われてしまった。
ゴルトブリッツ。その名は「黄金の稲妻」。名の通り、燃え立つような眩い金色の馬体で駆けた馬。
額にきらめく流星。風を裂くようにたなびく尾。ダイナミックに四肢を伸ばし、ただ高みを目指し駆けた。そして──物語は、その果てを見る前に突如、終止符が打たれた。
──もし、彼がその先を歩んでいたら。
──もし、彼が血を残していたら。
彼が進むはずだった未来を夢見ずにはいられなかった。

ゴルトブリッツの身体には数多の名血が宿っていた。
母レディブロンドは5歳夏にようやくデビューを果たし、わずか4か月の短い競走生活で、大きな光を放った。デビューから無傷の5連勝を飾り、名だたる強豪に挑んだG1の大舞台でも頂点に迫った。
ライバルが経験を重ねて培ってきた強さを、レディブロンドは生まれ持った才覚で凌駕した。
レディブロンドの血の本領は、彼女がターフを去った後、より鮮明となる。
彼女の引退から1年後。ターフに現れた弟こそが、日本競馬史に燦然と輝く名馬・ディープインパクト。母ウインドインハーヘアから受け継いだ強靭な血脈は、数多くの名馬を輩出し、奇跡を生み出し続けている。
ゴルトブリッツの父スペシャルウィークは、このとき、すでに名牝シーザリオとブエナビスタを輩出していた。種牡馬としての地位は確立していたが、サイアーラインを継ぐ後継が待ち望まれていた。
名牝の血を継いで産まれたゴルトブリッツには、生まれながらに大きな期待を寄せられていた。
3歳の秋、彼の運命は門別の地で大きく動き出した。芝の舞台では持ち味を発揮しきれず、JRAで未勝利に終わった彼は、再起を期して門別へと戦いの場を移す。
転入初戦は初めてのダート戦。3番人気の評価に甘んじていたが、その評価を覆すように後続を1秒突き放した。中1週で迎えた2戦目も断然の支持に応え快勝。再び中央の舞台へ戻ると、阪神の自己条件戦も圧巻のワンサイドゲームを見せ、あっという間に連勝を3に伸ばした。
年末には、条件馬の身ながら大一番、東京大賞典へ駒を進めた。スマートファルコンらトップクラスの猛者に果敢に挑み、条件馬とは思えぬ奮闘をみせた。
未勝利戦で苦しんでいた半年前が嘘のように、彼は砂の舞台で輝きを放ち始めた。
年が明けても快進撃は止まらない。2連勝でオープン入りすると、アンタレスステークスでワンダーアキュートらを撃破し、重賞ウイナーの仲間入りを果たす。東海ステークスでは厳しいマークを受けて5着に敗れたが、続く盛岡のマーキュリーカップで重賞2勝目。彼の限界は、まだ誰にも見えなかった。
みやこステークスは心房細動の影響で思わぬ大敗を喫したが、4か月の休養を経た復帰戦の仁川ステークスを完勝して、不安を一掃。続くアンタレスステークスでは、前年より力強さを増した走りで堂々の連覇を果たす。
彼にとってここは通過点。視線は次なる大舞台へと向けられていた。
ダート界の頂点を決める夏の大一番、帝王賞。
ダート界を長く牽引してきたスマートファルコンとトランセンドは不在。帝王賞3勝目を目指す船橋の雄・フリオーソも脚部の不安から直前回避していた。
それでも舞台に集うのは歴戦の雄たち。かしわ記念を制し復活を果たしたG1/Jpn1・6勝の大ベテラン・エスポワールシチー、フェブラリーステークスで復活を遂げたテスタマッタ、前年のJBCレディスクラシック覇者ミラクルレジェンドのトップホース3頭を筆頭に、交流重賞勝ち馬のランフォルセ、シビルウォーも参戦。さらに地方からは大井記念を制したフリオーソの弟・トーセンルーチェ、兵庫の英雄オオエライジン、高知の看板を背に全国を駆けるグランシュヴァリエらが加わり、砂の頂上決戦に相応しい多士済々のメンバーが揃っていた。
レースは乱戦となった。
迷いなくハナを奪ったランフォルセが刻んだ1000メートル通過は61秒6。緩やかな流れの中で8頭が密集し、各馬は余力を残したまま3コーナーへと流れ込む。ゴルトブリッツは3番手。前に睨むはエスポワールシチー、直後にはテスタマッタ。たてがみをなびかせながら、夏の夜を駆ける。
直線入り口。ランフォルセが力尽き、エスポワールシチーが牙を剥く。内からはミラクルレジェンド、テスタマッタ。大外からはシビルウォー。眩く光るカクテルライトの中、死力を尽くした競り合いが続く。その真ん中で、ゴルトブリッツは四肢を大きく振り上げ、力強く大地を蹴る。

舞いあがる砂煙の向こうに、ライバルの影がひとつ、またひとつと消えていく。その中で、ただ一つの黄金だけが煌めいている。残り200m。一糸乱れぬフットワークで、前へ、前へと加速する。混戦の2着争いを置き去りにし、金色の稲妻が大井の直線を突き抜ける。
「3連勝でJpn1制覇! 新ダート王、誕生!!!」
実況が夜空に響き渡る。3馬身半の差をつけて、ゴルトブリッツは砂の頂を征した。
地の果てまでも駆けていくほどの、無類の力強さで。

ダート界に世代交代の足音が聞こえていた。
ゴルトブリッツはまだ5歳。彼の前途は洋々だった。
まだ誰も知らなかった。
──その未来が、断ち切られることになるとは。
帝王賞から、わずか2か月後。8月24日。秋に向けた調整を進めていた彼を、非情な運命が襲う。
腸捻転。それは草食動物である馬が抱えるリスク。長く複雑に入り組んだ臓器が、ある日突然、異常をきたす。前日まで元気だったはずの彼が、診療所に運び込まれたときには、すでに手の施しようがなかった。
ダートで13戦10勝。その力の全てを見せることなく、ゴルトブリッツは天へと駆け上っていった。あまりに突然の別れだった。
もし彼が生きていたならば──。
彼はスマートファルコン、トランセンド、エスポワールシチーの時代と、コパノリッキー、ホッコータルマエの時代を繋ぎ、ダート王として君臨していたかもしれない。
スペシャルウィークのサイアーラインを継ぎ、祖母ウインドインハーヘアの血を追い風に、未来を紡いでいたかもしれない。
彼の物語は、ほんの序章に過ぎなかった。
雷光のように駆け、忽然と姿を消したゴルトブリッツ。
その栄光は、灼熱の大井に浮かんだ、一夜限りの夢だったのだろうか。それでも、彼の蹄音は、今もどこかで響いている気がする。
黄金の稲妻は、たった一度、夜空を裂き、そして、消えた。
歴史のうねりの中に走った一瞬の煌めき。
その姿を惜しまずにはいられない。いつまでも。いつまでも。
写真:Hiroya Kaneko