2012年スプリンターズステークスでロードカナロアが記録した、1分6秒7。
中山芝1200mのレコードとして、現在も記録されているタイムだ。
では、その前のレコードホルダーを覚えているだろうか。
2012年のロードカナロアから遡ること、11年。
同じ日付、2001年9月30日スプリンターズステークスで記録された1分7秒0。
そのレコードホルダーの名は、トロットスターという。
ロードカナロアのように後世に優秀な子孫を残すことは残念ながらできなかったため、歴史にその名は埋もれてしまいがちだが、2001年短距離界を統一した名スプリンターだ。
父ダミスターは米国産ミスタープロスペクター直子。
産駒通算勝利数65勝、重賞5勝(うち4勝はトロットスター、残り1勝はヒミツヘイキ)という当時は多く導入されたミスプロ系の地味な種牡馬だった。
母カルメンシータがシンボリルドルフとの種付けのときに暴れてしまい、仕方なく種付け上手なダミスターに相手を変更、そして生まれたのがトロットスターだった。
中野栄治厩舎に預けられたトロットスターは菊沢隆徳騎手や岸滋彦騎手、岡潤一郎騎手らと同期のベテラン藤原英幸騎手を背に3歳冬(当時は4歳)にデビュー。
折り返しの新馬戦ダート1400m戦で勝利。
ダートの短距離戦を中心に使われ、同年秋の福島開催みちのくステークス(芝1200m)を勝ってオープン入りを果たす。
暮れにはスプリンターズステークス(暮れの中山施行最後のレース)に出走、ブラックホークの7着と健闘した。
重賞初制覇は翌2000年12月のCBC賞。
このときのパートナーが蛯名正義騎手だった。
蛯名騎手とトロットスターはここから止まらない。
この頃の短距離界はブラックホークが勝ちきれず、前年のスプリンターズステークスは16番人気のダイタクヤマトが大穴を開けるなど、混戦を呈していた。
続くシルクロードステークスを勝ち、重賞連勝中のトロットスターは高松宮記念では上がり馬的な位置づけながら、1番人気に支持された。
マイナス10キロと馬体を減らしたものの、その支持に応え、中団から抜け出して快勝した。
安田記念大敗後、休養をあてたトロットスターはぶっつけでスプリンターズステークス出走となった。
スプリンターズステークスが秋に移って2年目。
ステップレースを飛ばし、ひと叩きをせず、GⅠからGⅠへ出走するローテーションは当時異例ともいわれた。
当日は春のチャンピオンながら4番人気。
異例ローテが嫌われたゆえだった。
しかし、トロットスターは春に減らした体を戻し、馬体重は+24キロ。
明らかにリフレッシュに成功していた。
レースはスタートから激しい先行争いになった。
快速メジロダーリングがハナを狙い、外からユーワファルコン、ダイタクヤマトが追いかける。
直後からブレイクタイム、ゼンノエルシド、テネシーガールも応戦。
前半600m32秒5の猛ラップ。
これらを見ながらインを余裕を持って追走するトロットスター。
トキオパーフェクト、シンボリスウォード、フィールドスパートらが後ろからトロットスターを交わしてどんどん追いあげていく。
あっという間に後方3番手に下がったトロットスター。
やはりひと叩き足りないのかと思わせた。
しかし、蛯名騎手は下がっても焦らずに4角もインを回って、先を急ぐ先行勢にとりついていく。
懸命に粘るメジロダーリングがダイタクヤマト、ゼンノエルシド以下の後続を寄せつけない。
坂をあがり、メジロダーリングが苦しくなったそのときだった。
そのインから力強く抜け出してきたのがトロットスターだった。
直線もインから馬群をさばきながらトップスピードに乗ったトロットスターが、ゴール寸前でメジロダーリングをクビだけ捕らえてゴールした。
勝ち時計は1分7秒0のレコードタイム。
後半600m34秒5、前後半落差2秒の前傾ラップとはいえ、スタートからインでじっとし、後続が力任せに追いかけるレースを余裕で追走。
4角手前で後方3番手になっても慌てずにインから抜け出すという力の違いを見せつけるようなレース内容だった。
1200mのGⅠという極限のスピード比べのなかでトロットスターが見せた余裕は他の距離とはまた異なるものだ。
よほどの力差がなければ、短距離ではあのようなレースはできまい。
トロットスタートと対戦相手の間には想像以上の実力差があっただろう。
残念ながら、レコードもロードカナロアに塗りかえられ、種牡馬として大成せず、韓国へ渡り、2015年1月、19歳でこの世の去ったトロットスターは、ファンの記憶に強く残る馬ではなかったかもしれない。
だからこそ、ここで取りあげておきたい。
天才スプリンターとしてのトロットスターを。
写真:かず