「強力な応援団がみちのくにできました!」
第46回佐賀記念の返し馬。
佐賀競馬の名物アナウンサー、中島英峰アナの味わい深い声が場内に響いた。
このおよそ10分後レースに勝つことになるヒラボクラターシュの鞍上には、シーズオフの岩手競馬からスポット参戦していた山本聡哉騎手がいた。
地方ではなかなか味わえない、馬の背中から伝わってくる躍動感と力強さ。
少し気の入ったヒラボクラターシュの手綱をぐっと抑えている背中は猫のように丸くなっていた。
当初、ヒラボクラターシュの鞍上は福永祐一騎手の予定だった。
しかし、土曜日の東京開催が雪の影響で順延となり、月曜日に代替競馬が行われたため、急遽の乗り替わりで山本騎手に白羽の矢が立ったのだ。
実はこの時期、山本騎手が所属する岩手競馬は存続の危機に立たされていた。
前年の7月、9月に続き10、11、12月と立て続けに競走馬から禁止薬物が検出され、3月までの開催中止が決まっていた。
岩手県から約330億円もの融資を受け、単年度収支を黒字にすることが事業を継続する条件となっていた岩手競馬にとって、この時期の休止は存続に直結する大きな問題だった。
──火の消えたような地元に少しでも明るいニュースを届けたい。
山本騎手はひそかに、こうした思いを胸に騎乗することとなったことだろう。
1コーナー奥のポケットからのスタート。
単勝1.4倍、圧倒的1番人気のテーオーエナジーがやや出負け気味ではあったが、鞍上の岩田康誠騎手が促すと一気にスピードに乗ってハナに立った。
それを隣の枠に入ったリーゼントロック・松岡正海騎手がおっつけながら追走。
松岡騎手は東京競馬場で騎乗予定だった7鞍を捨ててまで佐賀に来ていたが、その騎乗馬リーゼントロックは単勝26.4倍と、離された5番人気に甘んじていた。
2頭のすぐ後ろ、好スタートを切ったヒラボクラターシュはリーゼントロックとは対照的に抜群の手ごたえで2頭を追走する。
直後に兵庫から参戦のエイシンニシパ。
続いて佐賀の雄グレイトパール、中央馬のアスカノロマンと続いた。
縦長の展開で1周目の4コーナー。
スタート直後から競りかけられていたテーオーエナジーがスピードに乗って1馬身ほど抜け出す。
リーゼントロックが続き、さらに1馬身後ろにヒラボクラターシュが続く。
正面スタンド前。
「流れの方は、速い流れではないようですが、決して遅い流れでもないようです」
中島アナ独特の節回しが飛ぶ。
テーオーエナジーは勢いに任せて先行。
2周目の1コーナーをむかえるあたりで2番手以下に3馬身の差をつける。
これ以上離されまいとリーゼントロック・松岡騎手が徐々に手綱を動かし、差を詰めにかかる。
ヒラボクラターシュもやや促され追走していた。
向こう正面。
テーオーエナジーは依然先頭。
リーゼントロックがまたしてもおっ付けながら前を追う。
3番手にいたヒラボクラターシュが馬なりでリーゼントロックに半馬身差まで詰め寄る。
ビジョン越しにみてもわかる、しびれるような手応え。
一気にペースがあがる。
この辺りで他の馬たちは先頭集団から4~5馬身後方に置かれ始める。
2番人気に推されていたグレイトパールももがいている。
鞍上“キングシャーク”こと鮫島克也が手綱をしごくも差は縮まらず、完全に3頭の競馬に。
4番手を追走していた兵庫のエイシンニシパには早くも鞭が入るがついていけない。
4コーナー手前。
ついに、テーオーエナジーが遅れはじめる。
この開催の佐賀は特に内が重く、1枠に入った馬は厳しい戦いを強いられていた。
テーオーエナジーも知らず知らずにスタミナを削り取られていたのかもしれない。
鞍上・岩田騎手の右鞭に応えて一瞬反応を見せたものの、もはや余力は残っていなかった。
直線を向く。
勝負はリーゼントロックとヒラボクラターシュの2頭に絞られた。
松岡のアクションが大きくなる。
外を回る山本騎手は、まだ何もしない。
持ったまま。
──このまま圧勝するのではないか。
山本騎手が、満を持して追い出す。
ヒラボクラターシュが頭一つ前にでる。
しかし、追い通しのはずのリーゼントロックが盛り返す。
右にもたれようとするヒラボクラターシュを矯正しながら、山本騎手も負けじと必死に追う。
馬体をびっちり併せ、両馬一歩も引かずの追い比べ。
「内2番リーゼントロック! 外7番ヒラボクラターシュ! その差クビ! あと42メートル!」
42メートル!?
「でた!」と感じたファンも多かっただろう。これぞ『中島節』である。
ゴール直前、粘りに粘るリーゼントロックをヒラボクラターシュが競り落とした。
「先頭はヒラボクラターシュ! 山本聡哉! 1着!」
3着に粘ったテーオーエナジーにつけた着差は、実に8馬身。
まさに白熱の一騎打ちであった。
2コーナーあたりまで流した山本騎手が、ヒラボクラターシュの首を2回たたく。
その姿をバックに中島アナが語りかける。
「いやいやここはお見事でした! ここはもう、勝った7番のヒラボクラターシュを褒めるとともに、山本聡哉も褒めてやってください」
競馬場に詰めかけた観客に。
そして何より、遠く岩手の競馬ファンに。
山本騎手はそれまでラブバレットやウマノジョーに騎乗して上位に進出したことはあるものの、ダートグレード競走は未勝利。
この佐賀記念が人馬ともにグレードレース初制覇であった。
表彰式。
正面スタンド前の中央表彰式場に姿をあらわした山本騎手に、佐賀の競馬ファンが温かい拍手を送る。
中央所属の馬が勝ったはずなのに、なぜか地方馬が勝ったような雰囲気になっている。
依頼を受けたとき信じられない気持ちだったこと、緊張はしたけれども福永騎手にもアドバイスをもらってしっかり研究して臨んだこと、向こう正面での手応えがビックリするくらい素晴らしかったことをコメントした山本騎手。
インタビュアーから最後にファンへの一言を振られた。
はじめに口にしたのは、佐賀競馬場に来てくれたファンへの感謝だった。
そして自分を乗せてくれた関係者への感謝を述べたあと、少し躊躇するかのように一瞬の間をおいてこう言った。
「岩手競馬のために、という思いもありましたので本当にうれしかったです」
言いながら少し声が震えていた。
この日の山本騎手の勝利と胸に秘めた思いは、中島アナの名物実況とともに岩手の仲間にしっかり届いたに違いない。
写真:マ木原