スカーレットカラー〜私が愛した鮮やかすぎる紅〜

2020年11月22日。
「第37回 マイルチャンピオンシップ」が、阪神競馬場にて開催された。

新型コロナウイルスの影響で入場制限はあったが、幸運にも阪神競馬場へ入場できる権利を手にした私は、GI優勝の記録を持つ有力馬たちがパドックを周回するなか、ある一頭の牝馬を見つめていた。

スカーレットカラー。

「第67回 アイルランドトロフィー府中牝馬ステークス」の勝ち馬である。
力強く踏み込みながらパドックを周回するスカーレットカラーを見つめていると、不思議と頭の中で彼女との様々な思い出が蘇っていた。

私が競馬に興味を持ち始めてまだ数年しか経っていなかった頃。仕事の休憩中に偶然目にしたメイクデビューのレース中継で、スカーレットカラーに出会った。
どうしてなのか理由は言葉で説明できないが、パドックを淡々と周回するスカーレットカラーに、私の目は釘付けになる。

馬を見て「可愛い」と思う感情とは違う、馬券を買う上での「この馬が強そう」という直感とも違う──ただ漠然と「この馬がいい」という、不思議な感覚だった。

今までにない感覚を抱えたまま、レースは始まる。
メイクデビューのレース結果は2着だったが、終いの力強い末脚を見て、不思議な感覚はやがて小さな決意に変わった。

「この馬をずっと応援したい」

──1頭の馬に対してそんな風な思いを抱くのは、私に競馬を教えてくれた『とある1頭』以来のことだった。
運命とも感じられる出会いの日以降、私はスカーレットカラーを「娘の成長を見守る母親」のような気持ちでひたすら応援した。


デビューから2戦目の未勝利戦を豪快な脚で勝ち抜いたスカーレットカラー。
3走目では初めての重賞レース「アルテミスステークス」に挑んだ。出走馬の中には、後に「阪神ジュベナイルフィリーズ」をはじめGIを4勝したラッキーライラックや、「京成杯オータムハンデ」を連覇したトロワゼトワルなどがいた。そんな強敵揃いのメンバーの中、スカーレットカラーは5着入線だった。
その後は「白菊賞」2着入線、「フェアリーステークス」2着入線、「チューリップ賞」7着入線を経て、牝馬クラシック「桜花賞」への参戦が決定した。

当時は仕事の都合でほとんど競馬場に行くことが出来なかった私だが、一生に一度の晴れ舞台である「桜花賞」は絶対に観に行くと決めていた。

なんとか仕事の休みをもぎ取って、競馬場へ足を運んだ私は、その日初めてスカーレットカラーの姿を自分の目で見つめることができた。
姿を目で追うことで精一杯だったが「ようやく生でスカーレットカラーのレースを観戦できる」と、ひどく感動したことだけは強く覚えている。

スカーレットカラーの馬番号は3枠5番。「鮮やかな紅色」という馬名の由来に相応しい赤枠。高まる気持ちを抑えることはできず、落ち着かないままゲートが開くその瞬間を待った。

──だがスカーレットカラーは、桜花賞で見せ場がないまま8着に沈んだ

アーモンドアイやラッキーライラック、リリーノーブルなど、有力視されていたライバル馬たちの背中は、あまりにも遠かった。

「第78回 桜花賞」に出走したスカーレットカラー

その後、巻き返しを狙い「オークス」に向かう予定だったスカーレットカラー。しかし、フレグモーネを発症し無念の回避となる。クラシックレースの皆勤賞は叶わなかった。
彼女の苦難はその後も続く。「ローズステークス」を経て「秋華賞」に出走予定だったが、前日になり出走を取消。左後肢跛行が原因だった。レース前日の出走取消の知らせは、私の気持ちを落胆させるには十分すぎるものだった。

だが、命に関わる大怪我じゃなければきっとチャンスは訪れる。
今後は怪我や病気なく、少しでも良い成績を残してくれたら……そんな風に思い、変わらず応援を続けた。しかし、その後も勝ち星は遠ざかり、気付けば未勝利戦での勝利から2年の時が過ぎていた。

もちろん、私はその間もひたすらに応援し続けた。
初めて目にした時の気持ちを忘れられずにいたこと。いつでもどんなレースでも一生懸命に走るスカーレットカラーが、報われるはずだと信じたい思い。
彼女に対して様々な感情があったが故に、彼女の勝利を信じる気持ちは常に抱き続けていた。

そして2019年5月4日。
その日スカーレットカラーは、「パールステークス」に出走した。
ゲートが開き、先頭に立とうとする勢いを見せる彼女に、心が震える。端を切るかのような勢いで先行争いをする姿は、今まで見たことがなかったからだ。
道中で先頭は譲りやや控えたものの、4コーナーまで好位をキープし続け、直線で先頭に躍り出ると、後続馬との差をどんどん広げながら彼女は走る。

結果は、1着。

2017年の未勝利戦から、2年ぶりの勝利だった。それはまるで、怪我や病気で悔しい思いをした頃の鬱憤を晴らすような走りに思えて仕方がなかった。
2年ぶりの勝利があまりに嬉しくて、テレビの画面越しに涙が止まらなかった。久々に見た1着入線。それも、後続馬に差をつけてのゴール。スカーレットカラーを信じ、応援を続けてよかったと心から思える、力強い走りだった。

「パールステークス」後続馬を離してゴールへ

彼女の快進撃は続く。
その後は「マーメイドステークス」で3着、「クイーンステークス」で2着と、惜しい結果ではありながら、負けて強しの豪脚で確かな存在感を示す。
どんなレースでも自慢の末脚を遺憾なく発揮してくれるスカーレットカラー。その懸命な姿を目にするたび、彼女には重賞を勝てる能力があるという自信が、日に日に強くなっていくのを感じていた。そして、抱き続けた自信は、遂に現実となる。

2019年10月14日、東京競馬場。
「第67回 アイルランドトロフィー府中牝馬ステークス」で、最後方から豪快な末脚で次々と前を走る馬をとらえ、スカーレットカラーが優勝した。彼女には大きなレースを勝てる力があると信じ応援していた私にとって、この上なく嬉しい重賞制覇だった。

「第67回 アイルランドT府中牝馬S」豪快な末脚で他馬を圧倒

その日はどうしても仕事を休めず、結果を知ったのは仕事の小休憩の時だった。
出走予定時刻から10分ほど経った頃、スマートフォンが慌ただしくメッセージの受信を知らせており、「まさか」と気が気でなかった。

仕事がひと段落して、スマートフォンを確認する。届いていたのは、数人の競馬仲間からのメッセージ。「府中牝馬、スカーレットカラーが勝ったよ!」。数名からメッセージが届いていたが、全員が同じ内容だった。
メッセージを見た瞬間、メイクデビューからこれまでのことが脳裏をよぎる。嬉しかったこと、悔しかったこと、色々なことを思い出しながら、心底思った。

──こんなにも幸せな気持ちを与えてくれる馬に出会えて、好きになって、本当によかった。

レースを終え、優勝レイを首から下げて口取りを行う姿を見た時の感動は、一生忘れることなどできないだろう。

その後スカーレットカラーは「第44回 エリザベス女王杯」に出走。1年半ぶりにGIの舞台に帰ってきてくれた。

その日は仕事の都合がついたおかげで、1年半ぶりにスカーレットカラーのレースを競馬場で観戦できることになっていた。
私は、妙に緊張をしていた。
きっと冒頭で述べたように「娘の成長を見守る母親」のような気持ちで応援をしていたからだろう。

そして、返し馬でスカーレットカラーの姿が目に入る。その姿を見るのは「桜花賞」以来だった。

「第44回 エリザベス女王杯」逞しい姿でGIに帰ってきた

「1年半で、こんなに立派に成長していたんだ」

1年半前とは大違いの体格。顔つきも随分と凛々しくなった。
震える手を必死で抑え、スカーレットカラーの姿を写真に収める。私が信じた馬は、こんなにも立派になって、この晴れ舞台に戻ってきてくれたのだ。
あまりにも立派に成長していた彼女を見て、私はレースが始まる前から胸がいっぱいになっていた。

緊張が解けないまま、ゲートが開く。
外枠ながらも積極的に前に進み、静かに追い上げのタイミングを見計らうスカーレットカラーは、徐々に位置を上げながら、4コーナーを曲がったあとスパートをかけた。一瞬伸びを見せたように思えたが……結果的は、7着。またしてもGIの舞台で掲示板を外したのだった。

しかしそれでも、見せ場なく沈んでしまった"あの時"とは違った。
彼女なりの見せ場が「エリザベス女王杯」にはあったのだ。

周囲のファンがみな勝ち馬を祝福するなか、私は引き上げていくスカーレットカラーに、聞こえるはずもない感謝の言葉をひたすら投げかけ続けていた。

「GIの舞台に戻ってきてくれて、ありがとう。」
「見違えるくらい逞しく成長してくれて、ありがとう。」

私の胸の内は、たくさんの感謝でいっぱいだった。

その後スカーレットカラーは「有馬記念」や「ヴィクトリアマイル」「天皇賞・秋」などのGIに挑戦。
GIゼッケンを身に纏う彼女の姿を見るたび、私は誇らしい気持ちでいっぱいだった。勝負の世界なのだから、結果が全てであることは理解している。それでも、彼女がGIに挑戦しているという事実が、私には嬉しくて堪らなかったのだ。

「第64回 有馬記念」ヘトヘトになりながらも完走した

そして6度目のGI挑戦となった「第37回 マイルチャンピオンシップ」。
前走の「天皇賞・秋」の結果もあってか、スカーレットカラーは13番人気と伏兵扱いだった。
それでも信じずにはいられない。デビューした時から、ずっと信じてきたのだから。相変わらず、私の目には彼女だけが映っていた。

ゲートが開き、スタートを決めたスカーレットカラーは外めの枠にも関わらず、気づいた時には最内を走っていた。その姿を見て、私は何故かふと「パールステークス」の走りっぷりを重ねていた。「間違いなく一発を狙いにいっている。」ファン目線ではあるが、そんな風に思ったのだ。レース運びは違うのに、何故そう思うのかは、わからなかった。

4コーナーを曲がり、直線の攻防。
スカーレットカラーは、微かに開いた進路を上手く割って入り、先頭に立った。直後に有力視されていた他馬が迫り、追い抜かれてしまったものの──しぶとく粘り、結果は4着だった。

ゴールの瞬間、私は呆然とした顔を隠そうともせず立ち尽くしていた。彼女にとっての見せ場がこんなにもたっぷりだったGIレースが今まであっただろうか。想像以上の健闘ぶりに、何も考えられずにいたのだ。

「第37回 マイルチャンピオンシップ」での返し馬

1着にはなれなかったし、馬券に絡むことはできなかった。それでも、GIレースで4着という結果を叩き出した。

喜びが溢れ、涙が溢れ──言葉にならなかった。

今でもなお、その瞬間を思い出すだけで涙が溢れそうになるほど、私にとっては衝撃的な結果だった。

レース後コメントで、高橋亮調教師より「このレースを最後に引退することが決まっていた」と発表された。
引退後はアメリカで繁殖牝馬になるという発表もあり、スカーレットカラーにとって結果的にラストランとなった「マイルチャンピオンシップ」。
きっと、このレースだけは一生忘れないと思う。後付けになってしまうが、ラストランであることをわかっていたかのような、これまでの集大成を見せる立派な走りだったと、私は思う。

「応援してよかった」「好きになってよかった」「出会えてよかった」。
──そんな風に心から思わせてくれる馬には、きっとそう簡単には出会えないだろう。
彼女を応援しながら歩んできた3年半は、きっと忘れようとしても忘れられない──ずっと胸に刻んでいたいと、切に願う。

スカーレットカラー。私が愛した、唯一無二の鮮やかすぎる紅。
果たせなかったGI制覇の夢は、彼女の子供たちに託していくことになるだろう。

いつか必ず、彼女の背中ごしに見ていた夢を果たす日が来ると、私は信じている。

写真:だしまき、にーな、ゆうちゃん

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