[フェブラリーS]地方から中央に挑め! 各地から集った砂の猛者たちの挑戦を振り返る

中央競馬において、1年で最初に行われるG1競走として定着しているフェブラリーステークス。

それはJRA所属の馬だけでなく、全国から砂の猛者が集い、晩冬の府中で鎬を削るレースでもある。

今回は、地方からフェブラリーステークスに挑み、好走を遂げた名馬を振り返りたい。

■メイセイオペラ(1999年・1着)

『フェブラリーステークスと地方馬』というワードを聞いて、この馬を思い出す人も多いだろう。

岩手競馬でデビューし、水沢の怪物と言われたメイセイオペラは、2026年2月現在、地方から中央のG1を制した唯一の馬として、競馬ファンに語り継がれている。

フェブラリーステークスに挑戦する時点で、日本のダート界ではトップクラスの実力を保持していたメイセイオペラ。ファンもその実績は知っており、4.7倍の2番人気に推される。1番人気のワシントンカラーとのオッズは僅かに0.2の差だった。

ゲートが開くと、逃げたキョウエイマーチを見なが、メイセイオペラは外目の5~6番手に位置する。道中を絶好のリズムで行けたのか、4コーナーで先団の各馬が追われる中、まだ鞍上の菅原勲騎手は手綱を持ったまま。そして直線、坂の上りで気合をつけられると、メイセイオペラはそこから一気に伸び、抜け出した。

後ろからはエムアイブランやタイキシャーロックなど、中央の強豪が追ってくるが、その差は全く詰まらぬまま、メイセイオペラは1着でゴールイン。史上初めて、JRAのG1競走を地方所属馬が制した瞬間であった。

彼の所属する地元の水沢競馬場では、小さなモニターに大観衆が集い、ゴールの瞬間喜びが爆発したという。東京競馬場でも『イサオコール』が巻き起こり、競馬ファン全員が彼らを祝福した。

メイセイオペラが生涯で稼いだ賞金の4億9,863万円は、地方生え抜きの競走馬では歴代7位(2026年2月現在)にランクイン。紛れもない歴史的名馬の一員である。

あの日は地方所属馬の出走時に装着する『貸勝負服』が、世界で一番格好いい勝負服に見えた。

■トーホウエンペラー(2002年・5着)

メイセイオペラの引退と入れ替わるように台頭し、新しく岩手の王者となった東北の皇帝・トーホウエンペラー。彼がフェブラリーステークスに挑戦した2002年は、国内外でG1を制したアグネスデジタルを筆頭に、連覇を狙うノボトゥルーやドバイワールドカップ2着の実績があるトゥザヴィクトリー、さらに船橋から南関東の四冠馬・トーシンブリザードが出走と、メイセイオペラの時以上に強力なメンバーが揃っていた。

とはいえトーホウエンペラー自身も、前年末にメイセイオペラでさえなしえなかった『岩手所属馬による東京大賞典の制覇』を果たしており、その実績から十分に通用する能力はあると思われていた。

レースは外からノボジャックが飛ばし、600mの通過が35.1秒という当時としてはやや速い流れを作って行く。

その中でトーホウエンペラーはメイセイオペラをなぞるかのように先団4,5番手からレースを進め、直線を迎えた。

坂の上りで菅原騎手が合図を出すと、それに応えてトーホウエンペラーは脚を伸ばす。だが、それ以上の勢いで外からアグネスデジタルとトーシンブリザードが伸び、トーホウエンペラーは彼らから後れを取り、最後は5着でゴールイン。メイセイオペラに続く、故郷に錦を飾る結果を残すことはできなかった。

だがトーホウエンペラーは秋にマイルチャンピオンシップ南部杯に出走すると、JRA勢を打ち倒してG1級競走2勝目を飾る。2着には同じく地元のバンケーティング。『岩手の2頭でどうしようもない!』という実況と共に「ホームじゃ負けないぜ」と言わんばかりのパフォーマンスを見せてくれた。

■ミツアキタービン(2004年・4着)

今は無き上山競馬場で2002年にデビューしたミツアキタービンは、翌年笠松に移籍。その後、交流重賞やG1級競走でも好走し、JRAの1000万下条件でも後の重賞馬アンドゥオールを相手に4馬身差の快勝劇を挙げるなどの成績を引っ提げ、4歳の冬にフェブラリーステークスへ挑戦してきた。

しかし、同馬の単勝オッズは104.3倍の12番人気。これまでの実績を考えればいささか低すぎるとも思える評価だったが、前哨戦の平安ステークスで6着に敗れていたこともあり、単勝万馬券の評価に落ち着いていた。

レースは大井のハタノアドニスが引っ張り、ミツアキタービンは内からそれを見る2番手に位置。絶好の手ごたえで直線に向くが、間もなく後方から中央の強豪たちがどっと接近。先頭の座を明け渡すかに思われた。

しかしミツアキタービンは簡単に先頭を譲らない。坂を上り切ったあたりでスターリングローズ、アドマイヤドンと、後方から突っ込んできたサイレンドディールには差し切られたものの、のちにジャパンカップダートを勝つタイムパラドックスは競り落とし、G1・7勝を挙げるブルーコンコルドも抑え込んで4着に入線した。

長距離を得意とするミツアキタービンにとってマイルはやや短いとも思われていたが、それを覆す激走。次走に選んだダイオライト記念では持ち前のスタミナを存分に生かして5馬身差の圧勝劇を遂げ、勢いそのままにオグリキャップ記念も連勝。交流重賞で続けざまに中央勢を撃破したその力は確かであった。

■フリオーソ(2011年・2着)

『メイセイオペラ以来の地方馬によるフェブラリーステークスの制覇なるか』

当時、フリオーソの挑戦に際して、どこのスポーツ紙でもこの文言が踊っていたように思う。それほどまでに、彼への期待は高かった。

フェブラリーステークスの前走である川崎記念では、中央馬を相手に1.0倍という単勝元返しの支持を受け、その評価通りに5馬身差の圧勝。これでG1級競走5勝目を挙げた同馬は、5回目となる中央への挑戦を決めた。鞍上にミルコ・デムーロ騎手を配し、単勝オッズは5.5倍の3番人気。1番人気には、日本テレビ盃でフリオーソが下したトランセンドが推されていた。

スタート時、芝に脚を滑らせたかややアオるような恰好となり出遅れたフリオーソ。後方2,3番手からレースを進め、4コーナーで大外から上がっていく。直線でGOサインを出されたフリオーソは、メンバー中最速となる上り3ハロン35秒7の末脚で1頭、また1頭と交わしていくが、2番手のバーディバーディを交わしたところがゴール。抜け出したトランセンドには僅かに届かなかった。

レース前、陣営が想定していたのは好位からの競馬だったそう。だが芝スタートを克服できず、結果的に後方、それも終始大外を回るロスの多い展開となった。

それでも最後は猛烈な末脚で追い込み、勝利まであと少しのところまで迫ったフリオーソには、やはり相当な実力があった。2026年2月現在、生え抜きの地方馬では歴代最高の獲得賞金である8億4544万6000円を稼いでいる彼の名は、この先も未来へ語り継がれていくだろう。

■スピーディキック(2023年 6着)

その昔『日本一小さな競馬場』と言われた益田競馬場。島根県にあった同競馬場は2002年に廃止された。

20年後、かつて益田競馬場で苦楽を共にした人々が、1頭の馬の下に集結。『チーム益田』としてフェブラリーステークスに挑んだ名馬こそ、スピーディキックである。

道営・門別でデビューし、交流重賞であるエーデルワイス賞を制覇。2歳時からJRA相手に相当な実力を見せていたスピーディキックは、南関東に移籍した後も活躍した。惜しくも南関東牝馬三冠こそならなかったが、戸塚記念や東京シンデレラマイルなどを制覇。同世代の牡馬や古馬の牝馬を相手にも勝利をあげ、威風堂々、フェブラリーステークスに駒を進めた。単勝人気は6番人気と、過去10年で同レースに挑戦した地方馬の中では最も人気を集めていた。

好スタートを切ったスピーディキックだったが、芝の切れ目を気にしてやや減速。後方2番手からのレースとなり、御神本騎手が道中追うものの、なかなか先団には追い付けない。

しかし、4コーナーで馬群の真ん中を突っ込むように誘導されると末脚を発揮。前の馬が蹴り上げる砂などにも全く動じず、1頭ずつ各馬を交わしていく。

最後はやや前が詰まる不利もあり6着に終わったが、ヘリオスやソリストサンダー、テイエムサウスダンなどのG1級のレースで好走経験のある馬には先着。アクシデントがなければもっと上まで行けたのではと思わせる走りだった。

この翌年もフェブラリーステークスに挑戦(13着)し、交流重賞でも好走するなど存在感を見せたスピーディキック。2024年の東京シンデレラマイル3着を最後に引退し、繁殖牝馬として第二の馬生をスタートした。

願わくは、彼女の仔が活躍し、再び『チーム益田』で府中の舞台に挑戦する日を見てみたいと思う。

写真:Horse Memorys、だいゆい

あなたにおすすめの記事