全21戦12勝の三冠馬、ナリタブライアン。その破壊力を一番感じさせた一戦を振り返る。 - 1994年スプリングステークス

競馬の楽しみ方にある、過去・現在・未来。

当然のことながら、競馬とは『予想して馬券を買ってレースを楽しむ事』が全てではない。

競馬の楽しみ方は、「過去」「現在」「未来」の3つの視点があると、私は思っている。

「現在」には、馬券を買ってレースを見るだけでなく、ワンデーレジャーとしての競馬場での過ごし方も含まれるだろう。また、パドックや本馬場で馬たちのベストショットを画像に収めたり、現地で観た激闘の感動を共有し「過去」へストックしていくなど、競馬の楽しみ方の枝葉は多方向に広がっている。

酒の席など、競馬仲間の集いに必ず登場する楽しみ方が「未来」。翌年の3歳クラッシック戦線で期待している馬を羅列したり、一口出資している馬への期待を語り合うなど、時間を忘れて楽しめるのが「超・自分本位の未来予想図」作りだと思っている。

自分の競馬歴が長くなってしまったからかも知れないが、私は「過去」を肴に酒を飲む時間が大好きだ。競馬仲間と過去のレースを振り返りながら、タラレバ談義するのも楽しいし、馬券的中武勇伝も盛り上がる。同時に、ひとりで過去のレースや馬たちをネットから呼び出して眺めながら酒を楽しむのも、至福のひとときだ。過去のレースデータや動画を遡り、馬たちが刻んでいった蹄跡を辿って当時の思い出を掘り起こす。スーパースターより、何回も悔しい気持ちにさせてくれた馬ほど記憶に残っているのは、私だけではあるまい──。

どうしても惹かれる「記録」より「記憶」に残る名馬たち。

馬たちが残していった記録を紐解き、それを編集していくと色々な発見につながってくる。それが「過去」を楽しむことのひとつでもある。

1980年以降、牡馬三冠を達成したのは合計6頭。80年代にミスターシービー(1983年)とシンボリルドルフ(1984年)、90年代にはナリタブライアン(1994年)が三冠達成。21世紀に入ると、ディープインパクト(2005年)、オルフェーヴル(2011年)、コントレイル(2020年)の3頭が称号を得た(2023年3月現在)。

この6頭の三冠馬は、各馬の戦績から2パターンに分類される。

1つ目のパターンがデビュー以来、連勝記録を積み上げ、無敗のまま三冠を達成した馬たち。すなわち、シンボリルドルフ(8連勝)、ディープインパクト・コントライト(7連勝)のいわゆる「無敗の三冠馬」である。

一方の2つ目のパターンとして、残りの3頭は一冠目の皐月賞までに敗戦を経験している。オルフェーヴルはスプリングステークスで軌道に乗ってから菊花賞後の有馬記念まで6連勝しているが、ミスターシービーとナリタブライアンは秋初戦で敗れた後に菊花賞を制覇した「敗戦を知る三冠馬」たちである。

 三冠達成までどのような蹄跡であろうと、3つのクラシックレースに勝利した三冠馬たちを比べるつもりは無い。しかし、完璧な強さで勝ち続けた「無敗の三冠馬」より、紆余曲折、軌道に乗るまで時間を要したりトライアルレースで取りこぼしたりする「ハラハラさせた三冠馬」の方が、より記憶に残っているような気がする。

そういった意味で、三冠達成の瞬間を競馬場で見る機会に恵まれた90年以降の三冠馬たちの中では、ナリタブライアンへの思い入れが最も強く、彼を追い続けた1994年の懐かしい記憶が蓄積されている。

破天荒な三冠馬、ナリタブライアン。

ナリタブライアンは破天荒な三冠馬だ。記憶の中のナリタブライアンは、“破壊力”の一言に尽きる。

三冠目の菊花賞を7馬身差で勝利したのも凄いが、積み上げた12勝は、マヤノトップガンとのマッチレースとなった阪神大賞典以外は全て着差3馬身以上というもの。クビ差勝利の阪神大賞典も3着馬とは9馬身差をつけている。接戦を好まないゴール前での破壊力こそ、ナリタブライアンの必勝パターンだった。

反面、脆さを備えているところも、ナリタブライアンの魅力のひとつだ。

負けるわけないと思われた秋の初戦、単勝1.0倍の京都新聞杯で先に抜け出したスターマンを捕まえきれず不覚を取る。休養明けとは言え誰もが勝利を予想したであろう1995年秋の天皇賞で、直線に入り絶好のポジションから馬群に飲まれて12着。実況アナが直線で叫んだ「ブライアン伸びない」の一言が、いつまでも頭の中を駆け巡った。

ナリタブライアンが敗れると、まず故障を心配した。そして無事であることが発表されると、負けたことは直ぐに忘れて次走への夢が膨らむ。ナリタブライアンが負けた時に仲間内でよく使ったフレーズでもある「破天荒な馬だから、そんな日もあるさ」は、ナリタブライアンへの期待と賛辞が込められていたように思う。

 ナリタブライアンの現役ラストイヤーとなる6歳(現5歳)の春も、「記憶に残る三冠馬」としての地位を揺ぎ無いものにするレースシーンを残してくれた。

6歳時の出走は3走。初戦に天皇賞へのトライアルレースとして出走した阪神大賞典は、名シーンで必ず上位にランクされるマヤノトップガンとの一騎打ち。武豊騎手VS田原成貴騎手の名手同士の直線の攻防に酔いしれ、ナリタブライアンの鼻がゴール板を先に通過した時、ようやくためていた息を吐いた。

 そのリターンマッチのようになった春の天皇賞も、直線はマヤノトップガンとの一騎打ちの様相を呈した。先頭に立ったマヤノトップガンにナリタブライアンが並びかけ、競り落として先頭に立つ。そこへ漁夫の利を得たサクラローレルが襲いかかり、勝利をもぎ取った。惜しい2着だったが、ナリタブライアンは昨秋の不振を払しょくし完全復活したように思え、安堵感だけが残った。

当然、次走は宝塚記念と思っていた矢先、1か月後の高松宮記念出走の衝撃的なニュースが流れる。3200mを走った1か月後の1200m出走は、驚きを通り越して怒りさえ芽生えた。しかし、出走日が迫ってくると、今度は「ナリタブライアンなら1200mをこなすのでは?」の期待感を持つようになってきたことが、ナリタブライアンの持つ未知の魅力だろう。

結果は、前半追走できず、直線追い上げて4着まで伸びてきたところがゴール。それでもナリタブライアンのがんばりに拍手を贈り、次走への期待を膨らませていた。しかし、1200mへのチャレンジがナリタブライアンのラストランとなり、現役生活にピリオドを打つ。

1993年から1996年にターフを駆けた破天荒ともいえる強さと、時折見せる脆さ。ナリタブライアンと一喜一憂できた時期が魅力的な時間だったと、今でも私は思っている。

ナリタブライアンの21番勝負。最強のレースは?

ナリタブライアンは全21戦12勝。3歳クラッシック完全制覇+有馬記念、朝日杯3歳SのG1に加え、G2以下の重賞を4勝している。

「ナリタブライアンが戦った21のレースで一番好きなレースは?」と問われたら、一体どのレースを選ぶだろうか。

私は、三冠レースや有馬記念ではなく、間違いなく皐月賞トライアル、スプリングステークスを選びたい。

夏の函館で新馬勝ち後、函館3歳ステークス、デイリー杯3歳Sでの取りこぼしがあったものの、京都3歳ステークス(当時オープン特別)を強い勝ち方で勝利し、ようやく頭角を現し始めた。

兄ビワハヤヒデが惜敗した朝日杯3歳ステークス、共同通信杯を圧倒的な破壊力で連勝、皐月賞への試走として陣営はスプリングステークスを選択した。

この時のナリタブライアンは、「破壊力以外何物でもない」強さを見せていた。朝日杯3歳ステークスでは、評判馬エイシンワシントン、福島3歳S勝ちのタイキウルフを撃破、共同通信杯4歳Sでは2番人気アイネスサウザーに4馬身の差をつけ、もはや向かうところ敵なしの状態と言えた。

「皐月賞に向けて、ナリタブライアンはどんな調整をするか?」という問い。

弥生賞を選択した最大のライバル、ナムラコクオーとの対決を避けたナリタブライアン。スプリングステークスは、誰が見ても本番前の足慣らし的なムードが漂っていた。

単勝1.2倍のナリタブライアンに対して、チャレンジャーの2番人気フジノマッケンオーの単勝は7.2倍、3番人気以下は2ケタの単勝倍率となっている。

 春の陽気に誘われ、更にナリタブライアン登場もあって、いつもより多くの観客を飲み込んでいる中山競馬場。各馬の本馬場入場が始まり、各馬が4コーナーに向けて返し馬をスタート。ヤシマソブリンに続いて、ナリタブライアンが目の前を通過する。フジノマッケンオー、エクセレンスロビンなど、人気上位馬も軽快に4コーナーに向けて駆けていく。

スタート地点は直線坂の手前。集合の旗が振られ、集まった出走10頭が輪乗りを行っている。

ファンファーレが鳴り、大外枠のインターイメージを最後にゲートイン完了。一斉の綺麗なスタートから、ナリタブライアンもいいスタートを切った。ゴール板を過ぎ、まず抜け出したのはインターイメージで、サクラタイシーオー、エクセレンスロビンが追いかけて第1コーナーを回る。

残り1200mを過ぎ、ターフビジョンに映し出されたナリタブライアンは最後方。ゆっくりと自分のリズムでウオーミングアップしているかのようにも見える。トラストカンカンの外で、南井騎手がナリタブライアンと会話しながら追走しているような余裕すら感じられた。

前半1000mを60秒きっかりで通過するインターイメージ、2番手との差が約4馬身。2番手のサクラタイシーオーの横に田中勝春騎手のフジノマッケンオーが仕掛気味に並びかける。田中勝春騎手は、ナリタブライアンより早めに仕掛けて逃げ残る作戦だろうか。それを見ていたかのように、南井騎手の手綱がGOサインを出し、ナリタブライアンが始動する。

「そろそろ行くか……」

そんな会話が聞こえてきそうなナリタブライアンと南井騎手のコンビは、あっと言う間に中段の外からフジノマッケンオーを射程圏に入れた。

第4コーナーを回って直線。インターイメージを捕まえたイブキダイハーンに内からフジノマッケンオーが並ぶ。先頭に躍り出たフジノマッケンオーが外へ目をやると、ナリタブライアンの白いシャドーロールが飛び込んでくる。

 並ぶ間もなく先頭に立ち、坂を上るナリタブライアン。南井騎手が、本番で通るコースを下見しているかのように馬なりの余裕あるフォームで差を広げていく。

100mの標識を越えたところで大勢を決したスプリングステークス。フジノマッケンオー、イブキダイハーンが追うのを諦めたわけではないのに、馬なりのナリタブライアンとの差はどんどん広がる。

「これは強い!」というより「恐ろしい破壊力!」という走りだった。

春の中山の直線、3週後の皐月賞に王手をかけたナリタブライアンの「試走」は終了した。スタンドに残されたのは、スーパースター誕生を目にしたどよめきと喝采だった。

終始馬なりで上がり3F最速の35秒6。3馬身1/2の差は、「今年はブライアンで仕方なし」の雰囲気さえ漂う。

帰路の武蔵野線の車中は、凄いレースを観たという満足感があちこちで湧き上がっていた。私自身も、言葉にできない充実感とその先の途轍もない楽しみを抱えた気分で、夕焼けの車窓を眺めていたのを思い出す。


その後のナリタブライアンの破壊力は更に凄さを増し、三冠路線を無敵の強さで走破した。皐月賞に出られなかったナムラコクオーとの対決はダービーで実現し、決定的な力の差を見せて、「ナリタブライアンにもはや敵無し」を宣言した。

白いシャドーロールより前に、鼻がゴール板を通過させる馬は出てこないだろうと誰もが思った1994年。その起点となったスプリングステークスこそ、「ナリタブライアン21番勝負の一」に私は推挙したい。

Photo by I.Natsume

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