[金鯱賞] サイレンススズカ、ジャックドール、タップダンスシチー。逃げ切りで金鯱賞を制した馬たち

1着馬に大阪杯の優先出走権が与えられる金鯱賞は、かつて真夏におこなわれるハンデ戦だった。別定GⅡに昇格したのは1996年。そのときを含め、現在に至るまで実施月が三度変更されながらも宝塚記念や有馬記念の前哨戦となり、GⅠ馬も毎年のように出走している。

そんな金鯱賞では、過去に印象的な逃げ切り勝ちが何度かあった。それらは主に、大逃げ、スタートからゴールまで一定のペースを刻んだ逃げ、ペースを自在に操り後続を幻惑するような逃げ、3コーナーからのロングスパートなどに分類され、内容は異なるものの、いずれもファンの記憶に残るような逃走劇だった。

今回は、逃げ切って金鯱賞を制した馬たちを振り返っていきたい。

1998年 サイレンススズカ

逃げ切って金鯱賞を制した馬を振り返る際、98年のレースを外すことはできない。中京競馬場開設60周年を記念して2013年に実施された「思い出のベストホース大賞」で、2位に圧倒的な差をつけグランプリに選出されたサイレンススズカは、98年の小倉大賞典(小倉競馬場が改修工事のため同年は中京で開催)と金鯱賞を連勝した。その中でもとりわけ金鯱賞は、未来永劫語り継がれるであろう伝説的なレースで、13年の金鯱賞は「サイレンススズカメモリアル」の副称をつけておこなわれた。

サイレンススズカがデビューしたのは前年の2月。京都・芝1600mの新馬戦で、スタートからハナを切ると、直線はいわゆる持ったままの大楽勝。2着に7馬身差をつけ、一躍クラシック候補となった。

ところが、続く弥生賞のスタート前にゲートをくぐってしまい外枠発走になると、仕切り直しの発馬で10馬身近くも出遅れ。結果、8着と大敗を喫してしまう。その後、500万下(現1勝クラス)の平場を再び7馬身差で圧勝し、プリンシパルSで3勝目をあげるも、ダービーで9着に敗れると、神戸新聞杯2着から臨んだ秋の天皇賞、マイルCS、香港国際Cはいずれも5着以下に敗戦。卓越したスピードを上手くコントロールすることができず、試行錯誤の日々が続いた。

しかし、香港国際C(5着)で初めてコンビを組んだ武豊騎手が手の内に入れると、サイレンススズカ自身の成長も相まって、くすぶっていた才能が一気に開花。年明け初戦のバレンタインSを逃げ切ってから快進撃が始まり、中山記念で重賞初制覇を成し遂げると、小倉大賞典も逃げ切ってレコード勝ち。そして、4連勝を懸けて臨んだのが金鯱賞だった。

ただ、この年の金鯱賞は、レース史上屈指の好メンバーが集結していた。特に4歳馬は逸材揃いで、出走全9頭中GⅠ馬はマチカネフクキタルだけだったものの、同馬は前年の神戸新聞杯でサイレンススズカを差し切り快勝。その後、京都新聞杯と菊花賞も制し、このレースで5連勝が懸かっていた。さらに、京都金杯と京都記念を勝利し5連勝中のミッドナイトベットや、4連勝で前走のアルゼンチン共和国杯を制したタイキエルドラドなど、勢いのある馬が複数出走。1ヶ月後の宝塚記念に向け、さらに勢いをつけるのはどの馬かが焦点となった。それでもファンはサイレンススズカのスピードに夢を託し、1番人気に支持した。

レースは、この日もスタートからサイレンススズカが馬なりでハナを切る展開。2番手を追走するテイエムオオアラシやトーヨーレインボーとの差は1コーナーで5馬身に広がり、1000mを58秒1で通過する頃には10馬身近くまで広がっていた。

その後、3コーナーに差しかかったところでようやくペースが落ち着き、4コーナーで後続との差はわずかに縮まった。その様子がターフビジョンに映し出されると場内から歓声が上がり、直線に向くとそれは拍手へと変わったが、サイレンススズカが真価を発揮したのはここからだった。

なんと、直線に入ってすぐ、再びサイレンススズカが加速しはじめたのだ。すると、後続との差はみるみるうちに広がり、場内実況を担当したラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)の藤田直樹アナウンサーは、ゴール前100mで早くも「サイレンススズカ、4連勝です4連勝。重賞は3連勝!」と、勝利を確信。最終的には、2着ミッドナイトベットに1秒8もの大差をつけレコードも更新するという異次元の走りで、快進撃をいっそう加速させる勝利となったのである。

その後、サイレンススズカは宝塚記念も逃げ切りGⅠ初制覇。さらに、秋初戦の毎日王冠で、一つ下の世代を代表する無敗の外国産馬、エルコンドルパサーとグラスワンダー(前者は当年のジャパンCを、後者は有馬記念を勝利)も撃破し、連勝を6に伸ばした。

ところが、続く天皇賞(秋)のレース中に骨折。無敵の快進撃は、誰も予想しなかったかたちで突如終わりを迎え、惜しまれつつこの世を去った。

あれから間もなく30年。

その時代時代に、最強と称される馬は何頭も出現してきた。その中で、真の最強馬は果たしてどの馬かを証明する術はない。ただ、サイレンススズカほど「速い=強い」を体現した馬は、いまだ現れていないように思う。

武騎手が「逃げて差す」や「ハイペースがマイペース」と語った彼の走りは、競走馬にとって理想のかたち。その理想をサイレンススズカとともに初めて表現できたのが、98年の金鯱賞だったのではないだろうか。

2003~05年 タップダンスシチー

2026年に62回目を迎える金鯱賞で人気の一角になりそうなのが、前年の覇者クイーンズウォークである。同時に、鞍上の川田将雅騎手と管理する中内田充正調教師にとっては4連覇の大偉業が懸かるが、レース史上初めて連覇を達成したのがタップダンスシチーだった。

米国産のタップダンスシチーは、デビュー当初、お世辞にも注目を集める存在とはいえなかった。4戦目の京都新聞杯で3着と好走したものの、条件戦では足踏み。オープンに昇級したのは5歳の春だった。

その半年後、佐藤哲三騎手と初めてコンビを組んだ朝日チャレンジCをレコード勝ちし、念願の重賞タイトルを獲得するも、京都大賞典とアルゼンチン共和国杯はともに3着で、京阪杯(当時は1800m)は5着に敗戦。ついに辿り着いた大舞台、グランプリ有馬記念は出走14頭中13番人気と、ほぼノーマークの扱いだった。

しかし、当時デビューから6戦全勝と快進撃を続けていたファインモーションに鈴をつけるような形で先行し、2周目の向正面で先頭を奪い返したタップダンスシチーは、低評価に反発するようにロングスパートをかけると驚異の粘りを発揮。ゴール寸前でシンボリクリスエスに差されたものの2着に激走し、年明け初戦の東京競馬場リニューアル記念を完勝して臨んだのが03年の金鯱賞だった。

有馬記念2着の実績があるにもかかわらず、前走が7番人気、このレースでも4番人気に甘んじていたタップダンスシチーはスタート後しばらく、内枠から先行したダイタクフラッグの2番手を追走。向正面に出てすぐ先頭に立った。

前半1000m通過は59秒4と淀みない流れながら、後方に位置するユウワンプラテクトとサイレントセイバー以外の12頭はほぼ一団。それでも、3コーナーに差しかかるところで、鞍上の佐藤騎手は相棒を全面的に信頼するようにゴーサインを出した。すると、タップダンスシチーもこれに反応。2番手以下に2馬身半のリードをとって4コーナーを回ると、直線に入ってさらにその差を広げはじめた。

前年の覇者ツルマルボーイがこれを追い、残り100mを切ってから一気に差を縮められたものの、最後は2分の1馬身先んじて1着ゴールイン。前走や有馬記念がフロックではないことを証明するどころか、6歳にして完全に本格化したタップダンスシチーは、ここから一気にスターダムを駆け上がっていくことになる。

その後、宝塚記念こそ3着に敗れるも、秋初戦の京都大賞典を難なく突破したタップダンスシチーはジャパンCも連勝。なんと、2着ザッツザプレンティに9馬身もの大差をつける記録的な圧勝でGⅠ初制覇を成し遂げた。そして、年末の有馬記念は8着に敗れるも、休み明けの金鯱賞を、このときは3番手追走から直線入口で先頭に立ってレコード勝ち。続く宝塚記念も連勝し、2つ目のビッグタイトルを獲得した。

さらに、初の海外遠征となった凱旋門賞は輸送のトラブルが響いて17着に敗れたものの、有馬記念2着以来の実戦となった05年の金鯱賞を再び逃げ切って優勝。JRA史上2頭目となるサラ系の平地重賞三連覇は、2着ヴィータローザに2馬身半差をつける完勝で、過去2年よりもはるかに楽な内容だった。

以後、GⅠを4戦して結果が出ず、有馬記念を最後に引退したタップダンスシチー。有馬記念の激走と金鯱賞制覇をきっかけに、才能を一気に開花させた遅咲きの名馬は、7歳でのグランプリ制覇や8歳での平地重賞三連覇、外国産馬初の10億円ホースになるなど数多くの偉業を打ち立て、それらの記録は今も燦然と輝き続けている。

2022年 ジャックドール

金鯱賞が3月開催となって以降に目立つのが、前走白富士S組の好走である。このローテーションで最初に好走したのは17年のスズカデヴィアス。13番人気の低評価を覆し3着に激走すると穴馬の激走はその後も続き、21年には出走10頭中10番人気のギベオンが牝馬三冠馬デアリングタクトに勝利し、大波乱を演出した。

ただ、このローテーションをきっかけに最も出世した馬といえば、ジャックドールをおいて他にはいないだろう。

栗東・藤岡健一厩舎からデビューしたジャックドールは、国内外のGⅠを6勝した名馬モーリスの初年度産駒。デビューからしばらくは勝ち切れないレースが続き、初勝利に3戦を要したものの、プリンシパルS5着後に休養を挟んだことが功を奏した。

快進撃が始まったのは復帰初戦。藤岡佑介騎手に手綱が戻った9月の1勝クラスで、2着に2馬身差をつけて完勝すると、続く浜名湖特別からは逃げのスタイルを確立し、リステッドの白富士Sまで4連勝を達成した。とりわけ、その白富士Sを制した際の勝ち時計は1分57秒4で、リステッドとはいえ、当時の特別戦としては出色の好タイム。そこからさらに連勝を伸ばすべく出走したのが、重賞初挑戦となる金鯱賞だった。

この金鯱賞で実績上位だったのは、牝馬のGⅠ馬2頭レイパパレとアカイイトだった。中でも、レイパパレは前年の大阪杯で三冠馬コントレイルと女傑グランアレグリアを撃破。現役の牝馬では、最強クラスといってもいいような馬だった。

一方、牡馬も前年の天皇賞(秋)とジャパンCで4着に好走したサンレイポケットや、同じく秋の天皇賞に出走し6着と健闘した良血馬ポタジェらが参戦。それでもファンは、勢いに乗るジャックドールを1番人気に支持した。

レースは、内にヨレながらもわずかに好スタートを切ったジャックドールがハナを切り、シフルマンとギベオンが続く展開。レイパパレは4番手につけ、アカイイトやサンレイポケット、ポタジェら、それ以外の上位人気馬は中団よりも後ろにつけていた。

前半1000m通過は59秒3で、馬場を考えれば少し遅めの流れ。ただ、隊列はやや縦長で、ジャックドールにとってはおあつらえ向きの展開となった。それでも、鞍上の藤岡佑騎手は焦らず騒がず勝負所の4コーナーまで我慢。その後、前3走と同じように残り600mの標識を過ぎたところから一気にペースアップすると、後続に2馬身のリードを取り直線を迎えた。

直線に入ってすぐ、ギベオンに迫られたジャックドールは、坂の途中でもう一段ギアを上げた。すると、ギベオンは振り切られ、入れ替わるようにレイパパレ、次いでアカイイトが追ってきたものの、むしろリードは2馬身半に拡大した。そして、残り100mからは脚色が同じになり、最後は拍手に迎えられながら先頭でゴール板を駆け抜けたのである。

勝ちタイムは1分57秒2で、改装後の中京競馬場では、従来の記録をなんと1秒1も上回る圧巻のコースレコード。初めて挑戦した重賞の舞台で再び素晴らしいパフォーマンスを発揮し連勝を5に伸ばしジャックドールは、さらなる大舞台、大阪杯へと駒を進めた。

続く大阪杯で5着に敗れ連勝が止まったものの、札幌記念で2度目の重賞制覇を成し遂げたジャックドール。しかし、GⅠの舞台で結果が出せず、天皇賞(秋)が4着、初の海外遠征となった香港Cでは7着に敗れてしまう。

それでも、サイレンススズカと同じように、香港Cで武豊騎手とコンビを組んだことが吉と出た。それ以来の実戦となった大阪杯で、前年の雪辱を果たすGⅠ初制覇。前半1000m58秒9、同後半58秒5という、精密機械のような美しいラップ構成での逃げ切りで、二冠牝馬スターズオンアースの追撃を封じてみせた。

その後は屈腱炎を発症したこともあり、結果的にこれが最後の勝利となったものの、レックススタッドで種牡馬入りしたジャックドールの初年度産駒は28年にデビューを予定している。

父に並び超えていく産駒は、同じく逃げ馬か、それとも真逆の追込み馬か。想像するだけでも、楽しみは尽きない。

写真:かず、Horse Memorys、水面

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