まつりの日、まっすぐな心で。 - 2016年ジャパンカップ・キタサンブラック

小雨が落ち、薄暗い11月のターフを緊張させている。
落ち着き払った漆黒の馬体は、何者も寄せつけず、一人旅を展開していた。
私は苦い顔をしながら、職場である介護施設のテレビからその様子を見つめる。

2016年、ジャパンカップ。

鞍上は、レースを完全に支配していた。

「武豊?」

競馬とは無縁であるマダムたちも、続々とテレビの前に集まった。

「サブちゃんの馬だって」
「へえ! すごいわねえ、ねえ、吉田さん、この馬強いの?」

「…わかりません」

──私は、正直に告白した。

競馬を始めてまだそこそこだった私は、キタサンブラックの強さを素直に認められていなかったのだ。

いや、私のほかにも、いたはずだ。
現にキタサンブラックが一番人気になったのは、ジャパンカップの前走、京都大賞典からだ。

デビューから一年半。どうして我々は彼の実力に気づけなかったのか──。

先入観と疑心

思い返せば、彼は多くの場合、堅実な走りを見せていた。皐月賞のときだって、先行して、しっかり馬券内に入る。ドゥラメンテによる規格外の勝ち方に目が行きがちだが、その頃から高い素質を感じさせ、逃げ切りの片鱗を見せていたのだ。

しかし、競馬には「血統」がついてまわる。

父はディープインパクトの全兄であるブラックタイド。母の父はサクラバクシンオーだ。祖父の成績に引きずられ、どうしても短距離に期待してしまう。むしろ長距離の可能性を見出そうとしなかった。天皇賞(春)、長距離の熟練カレンミロティックとの激戦を乗り越えてもなお、キタサンブラックが最強と呼ばれることは数少なかった。

ましてや「サブちゃんの馬」として人気が高まっている馬だ。邪推する人間も少なからずいただろう──例えば、私のように。有名人の愛馬が簡単にG1を何個も取れるわけがない、と。そんなにうまい話があるものか、と。

極め付けはダービーの大敗。
あのとき、キタサンブラックは直線で馬群に沈んだ。

同じ距離、同じ舞台のジャパンカップで悲劇が繰り返されない保障は、ない。
いつのまにか、競馬ファンの先入観や疑心が、キタサンブラックを包囲していた。

まっすぐな心で、寄り添う者たち

正当な評価を下せない者たちの一方で、キタサンブラックの素顔を知る者たちは、当初から能力の高さを見抜いていた。

まず、オーナーの北島三郎氏。
キタサンの黒くてキリっとした眼や男前な顔立ちに運命を感じ、直感で購入を決意したという。

キタサンブラックには、ほかにも魅力があった。
スラっとした長い脚、大きなストライド。頑丈な肉体、優れた心肺機能。

──なにより、駆けることに純粋な気持ち。

キタサンブラックに寄り添い、まっすぐな心で育て上げた清水厩舎の面々は、「広くて距離も長い方がいい」と確信し、初陣の舞台を府中に設定した。

結果は後藤騎手のエスコートにより、見事な差し切り勝ち。

ダービーでは14着だったものの、レース後に息も乱さずケロッとしているキタサンを見た北島氏は「心臓が強いんだな、やっぱり長距離でいいんだ」と再認識し、距離不安を囁く声に「わかってねえな」と心の中で対抗していたという。

その後、菊花賞でG1初制覇。翌年の天皇賞(春)も勝ち、見立てが間違いではないことを堂々証明したのだった。

迎える秋の大一番、第36回ジャパンカップ。

陣営はキタサンブラックを究極状態に仕上げ、武豊騎手に手綱を託す。

自由な一人旅

ゲートが開くと、キタサンブラックは抜群のスタートを決める。
武騎手の手綱捌きに、迷いは感じられなかった。そのままハナを切り、2馬身のリードを保って逃げる。
追うのはダービー馬のワンアンドオンリー。有馬記念馬ゴールドアクター、同期のリアルスティールやシュヴァルグランも続いていく。

しかし、誰もキタサンに近づくことができない。

それもそのはず、武騎手は残り300メートルまで後続を待ち構え、余力を残しておく絶妙なペースを計算していたのだ。そして、それを実現してしまうキタサンブラックのおそろしき操縦性である。
展開は変わらず、8万人の大観衆とテレビ越しの視聴者は、一人旅を続けるキタサンブラックに釘付けとなっていた。

大欅を無事通過、直線、とうとう馬たちが動き出す。
気配を感じ取った鞍上は、ゆったりと──あまりにもゆったりと、鞭を構えた。

その瞬間、私は、ハッとした。

こんなにもキタサンブラックは美しかっただろうか。
追い出してから他馬を突き放す姿はとても雄大で、自由に見えた。

そうか。キタサンブラックは最初から自由だったんだ。

血統とか、距離とか、同期の二冠馬との比べ合いや、馬主の名前なんて、関係ない。

彼はずっと、ひたむきに、まっすぐな心で走ってきた。育成牧場のキャリアの浅い若手スタッフですら受け入れる、器の大きさが、彼にはあった。

後藤騎手、北村宏司騎手、浜中騎手、横山典弘騎手、武豊騎手、どの相棒たちにも心を開き、自分たちの自由な競馬を遂行していたに過ぎなかったのに。

……信じきれなくて、ごめんな。

逃げ切りを果たした王者を、万感の大歓声が迎える。
テレビ越しでも、その熱量を感じることができた、幸せな時間だった。

キタサンブラックこそがスターだった。

きっちりそろった観衆の手拍子に合わせ、北島氏は三度目の「まつり」を歌う。頸椎症性脊髄症で入院していたとあって、ことさらこの勝利には元気づけられ、涙をボロボロ流したそうである。

キタサンブラック──という顕彰馬は、この後何度も北島氏を感動させることとなり、我々は伝説の目撃者となるのだが、それは、また別の「まつりの日」の話。

「やっぱりスターが持つ馬にスターが乗ると違うのね」と、翌日の朝のニュースを見ながら、施設のマダムがうっとりしていた。

わかってねえな、と馬主の声が聞こえてきそうだった。

最後は、馬主インタビューで叫んだ、サブちゃんからのお願いで締めくくろう。

どうか、いつまでも、この言葉に突き動かされる人々で、競馬界が満たされますように。

「みなさん、本当に競馬を愛してください! よろしくお願いしまーす! ありがとうございました!」

写真:Horse Memorys

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