ラブミーチャン〜ダート1000m以下で無敵の、スーパースプリンター〜

ダート短距離で凄まじいスピードを見せた地方競馬所属の牝馬といえば、ベラミロードやラブミーチャンなどがあげられます。ラブミーチャンといえば、スーパースプリントシリーズ3連覇や、濱口楠彦騎手とのコンビで知られていますが、実はダートグレード競走の東京スプリントも勝っているのです。

今回はそんな類いまれなる速さを見せた、地方のアイドル・ラブミーチャンについてご紹介していきましょう。

ラブミーチャンは最初コパノハニーという名前で、中央競馬でデビューをする予定でした。しかし腰の甘さがあり、中央競馬でデビューすることなく笠松競馬場に移籍。その際、ラブミーチャンと改名します。
笠松に移籍後、JRA認定新馬戦、重賞のジュニアクラウンを連勝。三戦目は中央競馬・京都競馬場2歳500万下(現1勝クラス)にチャレンジします。このレースでラブミーチャンは4番人気でしたが、スタートから逃げて、他馬を寄せ付けずそのまま先頭でゴール。
一躍「これはすごい地方馬が出たぞ!」と話題になりました。
ちなみに、このレースの2着はサリエル(ファルコンステークス3着、1600万下を勝利)。3着はクリスタルボーイ(1600万下を勝利し、地方競馬に移籍してから重賞サマーカップや園田チャレンジカップを勝利)。4着はケイアイデイジー(オープン競走・葵ステークスを勝利)。
このような、普通の条件戦とは思えないメンバーに楽勝したのですから、後にラブミーチャンが大活躍したのも頷けます。

ラブミーチャンの勢いは止まらず、園田競馬場の兵庫ジュニアクラウン、川崎競馬場の全日本2歳優駿も勝利して、5戦5勝で2歳シーズンを走り切ります。そして2歳馬としては史上初となる、NARグランプリ年度代表馬に選出されました。
さらに馬主のDr.コパこと小林祥晃さんが、笠松所属のまま桜花賞かドバイを目指す、とコメントしたことから俄然注目が高まることになります。

ラブミーチャンは3歳になり、笠松競馬のゴールドジュニアも勝利。Dr.コパさんのコメント通りいよいよ桜花賞に向けて、初の芝レースフィリーズレビューに挑戦します。
一度は中央競馬に登録されたもののデビューできず、地方競馬に移籍してから連戦連勝……そうした競馬ファンが好きそうな下剋上要素があったこと、さらには同じく笠松競馬からフィリーズレビューを快勝したライデンリーダーと重なる部分があったことなどから、かなりの注目を集めました。
しかしながら現実はそう甘くはなく、逃げることはできたものの12着と大敗します。ここからラブミーチャンの歯車が少しずつ狂い始めます。

浦和の桜花賞を目指したものの、出走取消。北海道に遠征してエトワール賞は勝ったものの、北海道スプリントカップは3着。ふたたび挑戦した芝の函館スプリントステークスは、またも大敗……。その後も入着はするものの、なかなか勝てないレースが続きます。

2歳時の輝きが薄れていく中、ラブミーチャンが4歳の時、転機が訪れます。2011年から地方競馬ではじまったスーパースプリントシリーズです。超短距離戦で能力を発揮する馬を発掘するべく、各地方競馬場で実施可能な最短距離を極力活かすため、ワンターンのスプリント戦によるシリーズが創設されました。
ラブミーチャンは東海・北陸地区対象の、名古屋でら馬スプリントに出走します。このレースの圧倒的1番人気は、実はラブミーチャンではなくニシノコンサフォス。また交流重賞常連のキングスゾーンも出走していて、どのようなレースになるのか注目されました。
しかし終わってみれば、逃げたラブミーチャンが2着のニシノコンサフォスに、直線も馬なりのまま4馬身差をつけて圧勝。しかも、名古屋競馬場800m46.4秒というレコードのおまけつきでした。2021年現在も、このレコードは残っています。
さらに、スーパースプリントシリーズのファイナルである船橋競馬場・習志野きらっとスプリントでも、圧倒的1番人気のジーエスライカーとビッシリ逃げ争い、直線では相手を競り落として優勝。ラブミーチャンの類いまれなる速さが、あらためて知れ渡ることになります。

その後ラブミーチャンは日本各地を走り活躍しますが、特に6歳時の東京スプリントからのラブミーチャンは凄まじく速かったのが印象的です。
東京スプリントでは、戸崎圭太騎手がテン乗りということもあり、どのようにレースをすすめるのか正直読めませんでした。いざレースがはじまると、ラブミーチャンとしては抑えめの5番手。4コーナーから直線にかけて、絶好の手応えで3番手にあがり、そのまま直線では先頭に躍り出て見事1着でゴール。
セイクリムズンやセレスハント、ティアップワイルドといった並みいる中央勢を退けての勝利だけに「ラブミーチャンはやっぱり速い!」ということを再度心に刻みます。
そして、3回目の名古屋でら馬スプリントを濱口楠彦騎手で3連覇、同じく3回目の習志野きらっとスプリントをテン乗りの森泰斗騎手で3連覇。スーパースプリントシリーズ初代・2代・3代と、3回連続でチャンピオンとなりました。そして、盛岡競馬場のクラスターカップを戸崎圭太騎手で勝利。6歳牝馬ながら、ダートグレードレースを含む4連勝を達成します。

この年は金沢競馬場で行われるJBCスプリントに出走予定でしたが、調教中に骨折をしてしまい、突然の現役引退が決定。その直後ラブミーチャンの良き相棒、濱口楠彦騎手が心筋梗塞のため亡くなります。「さあこれから!」という時に、不幸なことが重なってしまいました。

ラブミーチャンは34戦18勝と素晴らしい成績を残しますが、その成績を見ると、掲示板を外す時の条件は明確でした。芝のレースか、コースを1周する1400mのダートグレードレース。これ以外のレースは、全て掲示板に載っています。
さらにいえば、800m戦は4戦4勝、1000m戦は3戦3勝。まさしくスーパースプリンターだったことがわかります。
そう考えると絶好調で臨んでいたとしても、1周1400m戦だった金沢競馬場のJBCスプリントは厳しかったのかもしれません。
しかしあるいは、絶好調時にワンターンのJBCスプリントに挑戦できていればもしかしたら……?
こればかりは、"たられば話"が過ぎますね。

ラブミーチャンの功績を称えて、2014年から笠松競馬場では、プリンセス特別がラブミーチャン記念に改称されました。

「ラブミーチャンのような地方競馬所属の牝馬の中から、素晴らしく速いダートのスーパースプリンターが再び誕生してほしい!」
ひとりの地方競馬ファンとして、私はそう願っています。

写真:Hiroya Kaneko

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