「新時代の扉」のその先へ。 - マンハッタンカフェが証明した世代交代

1.「新時代の扉」のその先

2024年5月に公開され、興行収入13億円を超えるヒット作となった『劇場版ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』。本作のラストは主人公ジャングルポケットと強敵テイエムオペラオーが激闘を繰り広げたジャパンカップで幕を閉じた。クラシック級(現実の競馬における3歳馬に相当)のジャングルポケットがシニア級(古馬に相当)のテイエムオペラオーを打ち破って見事に世代交代を果たし、「新時代の扉」をこじ開けた存在として描かれたのである。

だが、『ウマ娘』の世界においても、現実の競馬においても、ジャパンカップは「締めくくりのレース」ではない。1年の総決算は、秋のグランプリ・有馬記念である。数々の名馬が引退レースに選んできた有馬記念。『新時代の扉』のモデルになった2001年の中央競馬においても、テイエムオペラオーがこのレースを最後にターフを去っている。そしてその2001年の有馬記念を制した馬こそ、本稿の主役・マンハッタンカフェである。

『新時代の扉』においてマンハッタンカフェのレース描写は菊花賞までに留まり、その先彼女がどのような走りを見せたのかについては語られていない。「新時代」の扉のその先のレース、有馬記念。2001年にマンハッタンカフェがグランプリホースになるまでの道のりを振り返っていきたい。

2.「新時代」を印象付けた世代交代劇

マンハッタンカフェはアイルランド産馬サトルチェンジの5番仔。父サンデーサイレンスによく似た青鹿毛の馬で、管理したのは小島太調教師であった。小島調教師は「サクラ軍団」の主戦騎手として数々の大レースを制してきた名ジョッキー。調教師に転身した後は2000年にマンハッタンカフェと同じオーナーのイーグルカフェでNHKマイルカップを勝ち、GⅠ制覇を成し遂げていた。

マンハッタンカフェが蛯名正義騎手とのコンビでデビューしたのは3歳になった2001年1月。アグネスタキオンやジャングルポケットはこの時既に重賞馬である。2戦目で勝ち上がると、皐月賞トライアル・弥生賞に出走。しかし、前走から馬体重が-20kgとコンディションは整っておらず、『新時代の扉』でも描かれたように4着に敗退。優先出走権の獲得を逃す。自己条件に戻った4月のアザレア賞では更に馬体重が-16kgと減少。レースも11着と惨敗し、日本ダービーへの出走を諦めて休養に入る。この間にアグネスタキオンが皐月賞馬に、ジャングルポケットがダービー馬に輝く。弥生賞で戦った2頭との差は大きくなっていた。

『新時代の扉』ではマンハッタンカフェが夏合宿の期間に調子を上げてきたことが描かれていたが、モデル馬の方も4ヶ月の休養が功を奏し、8月には馬体重を増やしてレースを使えるようになった。前走+46kgで出走した富良野特別で2勝目を飾ると、続く阿寒湖特別も連勝。秋の菊花賞出走に向けて視界が開けた。ところが菊花賞トライアル・セントライト記念では馬体重が-10kgと再び2桁減。レースも4着に敗れ、またも優先出走権を取り逃がす。

しかし、当年の菊花賞がフルゲート割れしたことで出走可能に。馬体重+4kgと戻してきたマンハッタンカフェは、単勝オッズ17.1倍の6番人気と伏兵の扱いだった。それでもレースでは持ち前の末脚で有力馬を撫で切り、見事勝利。GⅠ初出走での菊花賞制覇を成し遂げた。

菊花賞後はJCを見送って短期放牧。有馬記念に照準を合わせた調整を行った。しかしレース当日、マンハッタンカフェは単勝オッズ7.1倍の3番人気に留まった。この年の有馬記念は13頭と少頭数ながらメンバーが揃った一戦となっていたからである。

1番人気は「世紀末覇王」テイエムオペラオー。天皇賞(秋)でアグネスデジタルに、JCでジャングルポケットに敗れてはいるものの、いずれも2着は確保。これが引退レースということもあり、単勝1.8倍の支持を受けた。2番人気は宝塚記念との春秋グランプリ制覇を目指すメイショウドトウ。秋2戦も掲示板を確保しており、このレースも単勝5.5倍と人気を集めた。4番人気はオペラオー・ドトウと同世代の菊花賞馬で前走JC4着のナリタトップロードで単勝7.5倍。6番人気でこの年のエリザベス女王杯覇者のトゥザヴィクトリーも含めて、「覇王世代」の猛者たちが顔を揃えた一戦だったのである。一方で3歳牡馬クラシックで連対した馬の出走はマンハッタンカフェのみ。皐月賞馬アグネスタキオンは故障で引退し、ダービー馬ジャングルポケットはJCを勝った後休養。皐月賞・ダービー2着のダンツフレームはマイル路線に転向し不出走だった。こじ開けられた「新時代の扉」の行先はマンハッタンカフェの走りにかかっていた。

レースはトゥザヴィクトリーがスローで逃げる展開になったため、後方のマンハッタンカフェには厳しい展開となった。しかし直線では菊花賞同様に素晴らしい末脚を発揮。トゥザヴィクトリーをとらえようとするテイエムオペラオーとメイショウドトウを抜き去り、先頭へ。トゥザヴィクトリーと2番手につけていたアメリカンボスも差し切ってゴール。フジテレビで実況を務めた堺正幸アナウンサーの「世代交代を証明しました!」とのコメント通り、改めて3歳世代の強さを鮮烈に印象付け、テイエムオペラオーに引導を渡した。

3.「新時代」に不可欠なマンハッタンカフェの血脈

明けて2002年、マンハッタンカフェは翌年天皇賞(春)でジャングルポケットを破って現役最強を証明すると、秋は凱旋門賞に挑戦するため渡仏。小島太調教師にとってはサクラローレルで挑戦するもスタート地点にさえに立てなかった舞台、蛯名正義騎手にとってはエルコンドルパサーであと一歩まで迫った頂点の座である。しかしレース中に故障を発生し、無念の大敗、そのまま引退となる。マンハッタンカフェが真価を発揮し続けていたらGⅠを何勝したのか、は日本競馬史において語られ続けるifの1つだろう。

しかしマンハッタンカフェは種牡馬となってからも凄まじかった。サンデーサイレンスの有力後継種牡馬の1頭として、NHKマイルカップを勝ったジョーカプチーノやフェブラリーステークスの覇者グレープブランデー、天皇賞(春)父子制覇のヒルノダムールなど多彩な条件で活躍する産駒を送り出した。母父としても名馬を多数送り出し続けている。自らは舞台に立つことすら叶わなかった日本ダービーもタスティエーラが制した。だが、特筆すべきはダート王者を多く輩出していることである。テーオーケインズ・メイショウハリオ・ペプチドナイルらが活躍。金沢二冠馬ナミダノキスなど地方重賞の勝ち馬も多い。

20世紀から21世紀に変わった2001年に「新時代の扉」が開いたように、元号が平成から令和に変わった2020年代も日本競馬は「新時代」に入った。大きな変化はダート馬の躍進である。ドバイワールドカップ・サウジカップ・ブリーダーズカップなど、ダートの大レースで日本馬が活躍することが当たり前にさえなってきた。マンハッタンカフェの血を継ぐテーオーケインズもドバイWCで4着と健闘している。日本のダート競馬は世界に通用するレベルになっていると言って良い。2023年からは中央・地方を股にかけたダート競馬の番組再編が行われ、2024年からは「ダート三冠」がスタート。日本のダート界はさらなるレベルアップが図られていくだろう。

その中にあって中央・地方問わずダートの活躍馬を輩出するマンハッタンカフェの血脈は中心的な役割を果たしていくはずだ。三冠レースに出走こそならなかったが、地方馬の大将格として期待を集めたダテノショウグンもマンハッタンカフェの孫である。今後も「新時代の扉」を開ける優駿が次々と登場していくことを願って筆を擱きたい。

写真:かず

あなたにおすすめの記事