笑う門には福来る! 4連勝で菊を制した『鬼脚』の上がり馬、マチカネフクキタル。

結果を知っている今でも、何度考えても菊花賞でこの馬を本命にできなかったのではないか──。

学生時代における私の競馬知識と言えば、もっぱらテレビゲーム由来。
そのせいか、菊花賞前にこの馬の父『クリスタルグリッターズ』の名前を見ただけで「現役時代は中距離で活躍したかもしれないけど、種牡馬としては短距離向き。良くて2,000mまででしょ」と思い込んでしまうフシがある。私の記憶が正しければ、ゲームの適性距離は1,200m~2,000mあたりだったはずである。
そしてその年、レース前には挙句の果てに「神戸新聞杯も京都新聞杯も両方とも南井克己騎手が上手い事乗って脚を溜めた結果。一瞬の切れ味は一級品でも、この血統では京都の3,000mは乗り切れんさ」とまで言い放っていた。

その馬の名前は「マチカネフクキタル」。夏の福島から4連勝で菊花賞を制した、紛れもない名馬である。

まさかのデビュー戦

マチカネフクキタルのデビュー戦は、1996年11月30日。

阪神競馬場で行われたダート1,200mの3歳新馬戦であった。3コーナーで何の不利も無いにもかかわらず大きく外へ膨らむ競馬になってしまい、1着馬から1.7秒離される3着で入線。
この時の勝ち馬が後の桜花賞馬キョウエイマーチで、当時としては相手が悪すぎた感もある。
しかし次のレースもコーナーワークが上手くいかず4着敗退──。

今、改めてこの馬のレース映像を見ても、1年後に菊花賞を制するとは夢にも思えない。

飛躍の春

裂蹄の影響もあり3か月の休み明けがあったマチカネフクキタル。しかしそこで、馬が見違えるように成長した。復帰初戦の4歳未勝利戦を5馬身差で圧勝し、不良馬場で2着した君子蘭賞を挟んで迎えたムーニーバレーRC賞。

私は、ここがターニングポイントの1つ目だと思っている。良馬場の芝の上を、弾ける様な末脚を繰り出し1着。明らかな芝適性と、切れ味の片鱗を見せ始めた。
ダービートライアルのプリンシパルSでは大器と噂されていたサイレンススズカ、弥生賞馬ランニングゲイルとの叩き合いの末、2着でダービー切符をゲット。夢舞台へ、コマを進めた。

ダービーでは直線を向くと真っ先にサニーブライアンに挑むべく末脚を伸ばすも、ラスト400m、200mとなるにつれ脚は残っておらず7着。

この時の印象と血統背景が、菊花賞本番で私の脳を鈍らせることになる。

3連勝で一躍「有力馬」へ

迎えた夏。覚醒の地は福島だった。

1997年7月5日福島10R。マチカネフクキタルは、後にセントライト記念を制するシャコーテスコを一瞬で3馬身置き去りにする快勝劇を演じる。そしてここからがターニングポイントの2つ目の秋。南井克己騎手との出会いで、切れ味が信じられないほどに増したのである。

まずは神戸新聞杯にて信じられない「鬼脚」を披露して、プリンシパルSで敗れたサイレンススズカにリベンジを果たすと、その1か月後には京都新聞杯に登場する。そこで春のクラシックを盛り上げたメジロブライト、夏に古馬重賞で善戦し力をつけたパルスビート、皐月賞2着馬シルクライトニング、朝日杯3歳Sを3着・ラジオたんぱ賞を1着の実績馬エアガッツ、毎日杯を制すなど春の重賞戦線を賑わせたテイエムトップダン、そして成長途中だったとはいえ素質十分のステイゴールドやエリモダンディー……。
これらの有力馬を、一気に撫で切ってしまったのだ。

普通であれば、これだけ前哨戦で強い連勝劇を果たすと本番で大本命になるもの。しかし迎えた菊花賞本番は単勝オッズ5.0倍の3番人気だった。

何故、1番人気にならなかったのか。

おそらく、あまりにも前哨戦で「強すぎた」のではないか。

当時の菊花賞は今以上に「長距離血統」が重要視されていたように思う。オールドファンにとって「嵐山S」なんて言葉を聞くと、菊花賞へのステップレースであり、メジロマックイーンを思い出す人もいるだろう。

当日の1番人気はダービー2着で京都大賞典で古馬を蹴散らしたシルクジャスティス。2番人気はダービー3着で祖父アンバーシャダイ~父メジロライアンと、いかにも菊の舞台が向きそうなメジロブライト。マチカネフクキタルはこの2頭を前哨戦で負かしているにもかかわらず3番人気に甘んじていた。あれだけの切れ味を見せつけられてしまうと、「いくら前哨戦で圧勝とはいえ距離が持つのかな?」と考えてしまうファンも多かったのが影響したはずだ。勿論、私もその一人であった。

そして頂点へ

ゲートが開く。本来は後ろから追い込んでくると思っていたフクキタルは口を割りながら一気に先団に取りついた。この時「あぁ、これではキツイな」と私は胸の中で呟いた。

その瞬間から私の興味は本命に推した7番人気のリアルシャダイ産駒・ダイワオーシュウの位置取りと走りっぷりに釘付けだった。

そして直線。南井克己の冷静な判断で内ラチを進んでいたマチカネフクキタルが、不屈の闘志で馬群を縫うように飛んできた。上がり3ハロン「33.9」。前半2,000mが2分08秒0という超スローペースだったとはいえ、3,000mの菊花賞では驚異的な末脚である。

上がり馬が4連勝で菊を制した瞬間だった。

私はこのレースを見て、前年に引退したダンスインザダークの歩めなかった道をマチカネフクキタルが歩んでいくのだと確信した。
そしてレース前の発言を悔やみ、引退までこの馬のファンとして追いかけていく事になる。

怪我

しかし、スムーズにサクセスストーリーを歩んでいくことは叶わなかった。

古馬になると裂蹄の再発や、球節炎など度重なる怪我に悩まされる。復帰初戦は、あのサイレンススズカが伝説的なレースを披露した金鯱賞。フクキタルは後方から飛んでくる事無く6着に敗退した。以後、4連勝時に披露した「鬼脚」は2度と見る事が出来なかった。
5歳シーズンはすべて着外に沈み、6歳シーズンには京都記念と産経大阪杯で2着に入るも、レーススタイルは全く違うものだった。その後、オーナーの個人所有の種牡馬として余生を過ごし、2020年7月に生涯を全うした。

余談だが、マチカネフクキタルの同期にマチカネワラウカドという馬がいる。こちらは、ダート路線で活躍し、東海菊花賞を制した。「ワラウカドにはフクキタル」。オーナーにもファンにも愛された名馬だった。

レース成績だけを見ると、GⅠを1勝しているものの、稀代の名馬とまでは呼べないように見えるかもしれない。
しかし、この時期になると必ず思い出す。
あれ程の鬼脚を披露する夏の上がり馬はいないものかと。

写真:かず

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