いつの時代も、「凄い牝馬」がたびたび登場する。2歳のデビュー時から世代の頂点に立ち3歳牝馬三冠で名を残す牝馬、あるいは3歳時に惜しいレースを繰り返し古馬になってから大成する牝馬などなど…。凄い牝馬が、春秋のG1戦線で名シーンを演出している。
しかし古馬になってから牡馬・牝馬混合の中距離G1、2000m~2500mのレースにおいて、アーモンドアイやクロノジェネシスなど、牝馬の優勝が多くみられるようになったのは、21世紀になってからである。
90年代の古馬G1戦線は圧倒的に牡馬優勢。中距離の牡牝混合G1では1997年の天皇賞(秋)のエアグルーヴが唯一の優勝牝馬となる。距離を縮めて春秋の古馬マイルG1を見ても、ダイイチルビー、ノースフライトの2頭が優勝しているに留まっている。
「牡馬と牝馬の差」が目立った90年代。牝馬は4歳(現3歳)の牝馬三冠路線+唯一の古馬牝馬限定G1(エリザベス女王杯)で名を残すのが最優先目標となっていた。だからと言って、決して「凄い牝馬」が90年代に少なかったわけではない。三冠路線で活躍した牝馬が古馬になって、牡牝混合G1戦に果敢にチャレンジした名牝が何頭もいた。勝てないまでも強豪牡馬たちに食らいつき、「惜敗で地団太を踏む」シーンを幾度か経験もした。
春のクラッシック戦線で活躍した4歳(現3歳)牝馬が、夏を過ごして成長した姿を見せるのが、三冠最後の秋華賞(95年まではエリザベス女王杯)だ。ここで優勝した牝馬たちは、その後の牡馬との混合戦でも互角の戦いを見せてくれる馬たちが多い。ホクトベガ、ヒシアマゾン、ファビラスラフィン、ファレノプシスなど。牡馬に混じっても引けを取らない「凄い牝馬」たちだった。
その90年代の「凄い牝馬」たちの中で、ひときわ輝いていた鹿毛の牝馬。春のクラッシック戦線でのオークス制覇に続き、秋華賞にも優勝したメジロドーベルこそ、90年代に出会った私の「推し馬」である。
メジロライアンの初年度産駒、メジロドーベル
私はデビュー前から、メジロドーベルに注目していた。メジロドーベルの父はメジロライアン。1996年に産駒がデビュー。その産駒デビュー第1号となったのが、メジロドーベルだった。
新種牡馬メジロライアンの注目産駒として、新潟初日の新馬戦有力馬として、メジロドーベルは各メディアに取り上げられていた。右回り1000m(当時)の新馬戦で、1番人気は譲ったものの上がり3F最速で楽勝。好位から直線抜け出し、1番人気馬に3馬身の差をつけた。
「やっぱりライアンの子は走る!」
一躍、注目種牡馬となったメジロライアンは、その年にメジロブライト(2勝)、エアガッツ(3勝)など4頭で10勝をマークし、3歳リーディングサイアー2位に食い込む。メジロブライトはG3重賞ラジオたんぱ杯3歳Sを制し、エアガッツはホープフルS(当時オープン特別)に勝っていた。
そして初年度の稼ぎ頭となったのがメジロドーベルである。新馬戦勝利の後、新潟3歳ステークス(5着)を経て3連勝。サフラン賞→いちょうステークス→阪神3歳牝馬ステークス(現・阪神ジュベナイルフィリーズ)を全て2馬身差以上で勝利し、最優秀3歳牝馬にも選出された。
ファーストシーズンで早くもG1馬を輩出したメジロライアンは、3歳新種牡馬ランキングで1位となり評価がうなぎのぼり。ライアン自身の戦績から距離延長の心配も無く、翌年のクラッシック戦線は、メジロライアン産駒を中心に展開していくだろうと話題になった。
二強対決・春のクラッシック戦線/第1幕・桜花賞
1997年、クラッシック戦線に向かうメジロドーベルに、強力なライバルが登場する。快速馬ダンシングブレーヴを父に持つキョウエイマーチである。そしてメジロドーベルとキョウエイマーチは、牝馬三冠の舞台で鎬を削る戦いを展開していく。
キョウエイマーチは、前年11月の新馬戦(ダート1200m)でデビューした。松永幹夫騎手を背に大差で逃げ切り勝ちを収め、年が明けた3戦目の寒梅賞(ダート1400m)でも10馬身差で逃げ切り2勝目をマークする。その勢いは止まらず、芝に舞台を移したオープン特別のエルフィンステークスも逃げて、ホッコ―ビューティーの追撃を封じた。更にトライアルの報知杯阪神4歳牝馬特別も勢いそのまま、2着のシーズプリンセスを7馬身離して逃げ切り、桜花賞に駒を進めてきた。
一方のメジロドーベルは、チューリップ賞から始動となったが、オレンジピールに騎乗した河内騎手のスローペースに翻弄され3着に敗れた。緩いペースで行きたがって折り合いを欠く課題が浮き彫りとなり、今後どう修正していくかがポイントとなった。
クラッシック第1弾の桜花賞は、朝から雨模様の不良馬場。1番人気は、不良馬場、8枠18番の大外という課題を背負ったものの2.6倍でキョウエイマーチ。メジロドーベルは僅差の2番人気に甘んじた。
ゲート奥の満開の桜が雨で霞み、中継映像がブルーグレイのトーンでおおわれる中、一斉のスタートが切られた。最内から飛び出したのは上村騎手のミニスカート、追う大外のキョウエイマーチの先頭争いは二頭が後続を離して逃げる展開。メジロドーベルは、不良馬場とハイペースについていけないのか、後方から5番手の位置で苦しんでいるようにも見える。
4コーナーでミニスカートを置き去りにしたキョウエイマーチは、最後まで快調に飛ばして4馬身差の逃げ切り。メジロドーベルは3コーナーでスパートし、先行集団に取り付いて追撃するものの、キョウエイマーチを捕まえるまでに至らず2着に敗れた。
二強の初対決は、キョウエイマーチの強さだけが目立った桜花賞となったが、舞台が府中に移り距離が延びれば、逆転できるとみたメジロドーベル陣営。次走オークスでの雪辱を誓った。
ライバルに雪辱を果たす/第2幕・オークス
前日の雨で馬場が悪化した府中競馬場。オークスの舞台は、初夏の青空が広がるものの重馬場でのスタートとなった。
桜花賞から800m延びる距離に対してキョウエイマーチは「距離の壁」との戦い。一方のメジロドーベルは距離の不安よりも「道中の折り合い」が鍵となる。それぞれの課題を持っての二強対決第2ラウンドがスタートした。
ゲートが開くと同時に、外の7枠からキョウエイマーチが先頭を伺う。吉田豊騎手が意識的に抑えたのか、メジロドーベルはゆったりと後方に付けて第1コーナーを回る。
向正面に入ってもキョウエイマーチは快調に飛ばしている。オレンジピールは早めに先行集団に取り付き、後方にいたメジロドーベルも中段までポジションを上げている。吉田豊騎手とメジロドーベルの折り合いはついているようだ。残り800mを過ぎても、キョウエイマーチの先頭は変わらず、後続を引き付けるように脚を溜めている。
直線に入って、キョウエイマーチは最内に進路を確保する。外から各馬が一斉にラストスパートに入り、キョウエイマーチを飲み込もうとする。メジロドーベルは進路を外に取り、先頭集団に取り付いた。キョウエイマーチが沈み、先頭に立ったのは内からプロモーション、その外からダイイチシガーが、ナナヨーウイングを連れて抜け出す。ダイイチシガーが完全に先頭に立った残り200m、外から異次元の脚で伸びてきたのがメジロドーベル。
残り100mでメジロドーベルは追いすがる2頭を引き離して完全に抜け出す。瞬く間にその差は開き、吉田豊騎手が後続を確認する余裕さえ見えた。最後はナナヨーウイングに2馬身1/2の差をつけてゴールイン。キョウエイマーチは11着に沈んだ。
吉田豊騎手の右手が大きく上がる。デビュー4年目にして、初のクラッシック制覇。メジロドーベルも宿敵キョウエイマーチに桜花賞の雪辱を果たすと同時に、「メジロドーベル時代の到来」を予感させる二つ目の勲章を得た。
初夏の青空には、メジロドーベルの美しい馬体と吉田豊騎手の誇らしげな笑顔が似合う。初々しい二人のウイニングランに、私はいつまでも拍手を贈っていた。
「決戦の秋!」/第3幕・秋華賞
二頭のライバル同士は、それぞれ順調に夏を過ごし、3度目の最終決戦に備えていた。
キョウエイマーチの秋はローズステークスからスタート。シンザン記念からNHKマイルCまで重賞4連勝中のシーキングザパールとの初対戦となったが、スタートから快調に飛ばして逃げ切る。シーキングザパールは3着、キョウエイマーチは2000mの距離なら対応できることを自ら示した。
メジロドーベルは、キョウエイマーチとの対決を避けたのか、トライアル戦には使わず2200mのオールカマーを選択する。毎年、天皇賞を目指す古馬の牡馬が多く出走するレース。ところが当年はG1馬の出走も無く、メジロドーベルはスタートから先頭に立つと、そのまま楽に逃げ切ってしまう。折り合いに課題が見えた一戦だったが、ひとまず決戦の秋華賞に向けては順調に滑り出したとも言えた。
メジロドーベルとキョウエイマーチ、3度目のG1対決。当初はシーキングザパールも加えた三つ巴の秋華賞となるはずだったが、シーキングザパールの回避で三度目の一騎打ちとなった。
1番人気はメジロドーベルで1.7倍。キョウエイマーチとのG1対決で、初めて1番人気を背負って出走することとなる。桜花賞が不良馬場、オークスは重馬場だったものの、三冠目の秋華賞は絶好の良馬場でのスタートを迎える。
ゲートが開くと、桜花賞に続いて8枠に入ったキョウエイマーチが飛び出して行く。最内枠からナイトクルーズが楽に先頭に立ちスタンド前を通過。1コーナーから2コーナーに向けてペースを上げるナイトクルーズに、キョウエイマーチが直後に付けて二番手。2頭が後続を引き離していくのに対し、メジロドーベルは中段馬群の最後方でじっとしている。折り合いはついているようだ。
縦長の展開が3コーナーになっても続き、ナイトクルーズの南井騎手が後続の脚色を確認するように後方を伺う。ペースを上げたのはキョウエイマーチ、4コーナー手前で一気に差を詰めて先頭に並びかけた。一方のメジロドーベルは、4コーナー手前で大外から好位に取り付く。
直線で先頭に立つキョウエイマーチ、松永幹夫騎手の手が動き、二番手以下を引き離しながらゴールを目指す。メジロドーベルはまだエンジンがかからないのか、吉田豊騎手の動きが激しくなる。ジリジリ迫るメジロドーベルに対し、中段のポジションにいたエイシンカチータとエアリバティーが馬群から抜け出し二番手争い。
エイシンカチータがキョウエイマーチに迫って来たその時、ようやく大外からメジロドーベルが動き出した。3馬身、2馬身…。一完歩毎に先頭を行くキョウエイマーチとの差が縮まる。二番手を行く2頭を瞬く間に抜き去り、並ぶ間もなく最内のキョウエイマーチを交わして先頭に立った。
メジロドーベルは、秋華賞のタイトルを得ると共に、牝馬三冠を競ったライバル対決に勝ち越すこととなる。キョウエイマーチはこの後、短距離~マイル路線を中心に進路変更したため、メジロドーベルと再び戦う機会は無くなった。
この年の年度表彰でメジロドーベルは、最優秀4歳牝馬と最優秀父内国産馬のダブルタイトルを受賞、二年連続での表彰馬となる。
因みにこの年の年度代表馬は天皇賞(秋)制覇のエアグルーヴ。この2頭の牝馬は暮れの有馬記念で初対戦したものの、エアグルーヴ(3着)の遥か後方(8着)でメジロドーベルはゴールした。二冠馬メジロドーベルにとって、キョウエイマーチに替わる新たな目標が見えたような1997年だった。
メジロドーベルの「凄い牝馬」への道
メジロドーベルの「凄さ」は、古馬になって更に磨きがかかる。
5歳の初戦は産經大阪杯、古馬牝馬の頂点に立つエアグルーヴとの2度目の対戦を迎えた。レースはスローペースに苦しむメジロドーベルに対し、4コーナーを回るとエアグルーヴの独壇場。内で鎬を削る馬群を横目に、外から楽々と先頭に立つ。メジロドーベルは後方馬群から抜け出すも、差は詰まらない。軽く流している最強牝馬に、必死で迫ったメジロドーベル。2着といっても子ども扱いされた感が強く、2頭の「実力差」を痛感する産經大阪杯だった。
エアグルーヴとの対戦は続く宝塚記念でも実現したが、メジロドーベルは逃げ切ったサイレンススズカから0秒5差の5着。その0秒2前方でエアグルーヴが3着でゴールしていた。
エアグルーヴに勝つチャンスが最後となる秋。札幌記念連覇から、複数G1制覇を目指すエアグルーヴは天皇賞では無く、牝馬限定G1のエリザベス女王杯を選択する。メジロドーベルも、府中牝馬ステークスを始動戦としてエリザベス女王杯に向かうこととなった。
府中牝馬ステークスは58キロを背負いながら、ハナ差でグレースアドマイヤを退けて優勝。良い形でエアグルーヴとの決戦へ臨むことができた。
ジャパンカップへのステップレースと公言しつつも、牝馬同士のG1なら負けることが無いと思われたエアグルーヴ。4度目の対戦となったエリザベス女王杯は、単勝1.4倍の支持を得てゲートに収まった。
レースはスローペースの前半で折り合いを欠くメジロドーベルに対し、余裕たっぷり外に並んだエアグルーヴ。直線に入ると先行していたランフォザドリームが先頭。ラティールが外から伸びてくる中、最内を突いたメジロドーベルがいつの間にか先頭に躍り出る。エアグルーヴは残り200mから猛然と追い込むが、メジロドーベルの3F33秒5の末脚には敵わない。エアグルーヴは3着、メジロドーベルは2着のランフォザドリームに1馬身1/4の差をつけてゴール板を駆け抜ける。吉田豊騎手の左手が大きく突き上げられ、エアグルーヴに勝利した喜びを爆発させた。
メジロドーベルは、牝馬として史上初のG1レース4勝(当時)を挙げた。更にこの年の年度表彰もエアグルーヴ、海外G1制覇のシーキングザパールも抑えて最優秀5歳以上牝馬に選出される。
堂々と古馬牝馬の頂点に立ったメジロドーベル。20世紀を代表する名牝として、後世にその名を残すこととなった。
6歳(現5歳)時も現役を続行したメジロドーベルは、その年の秋のエリザベス女王杯も制覇。エアグルーヴを倒す立場から、追われる立場に替わった1999年エリザベス女王杯。ファレノプシス、エリモエクセルなどの後輩牝馬たちの挑戦を退けた。
G1の勲章をさらに加えて「5」に伸ばしたメジロドーベルは、ナリタブライアンと並ぶG1勝利数2位タイ(当時)となる。また4年連続でのG1制覇は、メジロマックイーンに次ぐ2頭目の記録となった。
当然、この年の年度表彰も最優秀5歳以上牝馬にも選出、3歳から4年連続という偉業も達成している。
記録ずくめのメジロドーベルの蹄跡。その記録は、彼女の力だけで達成されたものでは無い。キョウエイマーチ、エアグルーヴという素晴らしいライバルたちとの切磋琢磨があったから出来たこと。そして目的のレースに向けて、メジロドーベルがベストパフォーマンスを発揮するために支えた関係者たちの「愛情の把もの」だと思う。
90年代の「凄い牝馬」は、間違いなくメジロドーベルである。
Photo by I.Natsume