「最強世代」、1年遅れのG1制覇。ダンツフレームが制した2002年の宝塚記念

スポーツ界の様々な「〇〇世代」たち

 同じ時代に生まれた人たちを「〇〇世代」と名付ける分け方がある。

「Z世代」「ミレニアル世代」「団塊Jr世代」など、年齢が近い世代をひとつのグループとして扱う手法は、マーケティング分野において普通に使われている。

 アスリートの「〇〇世代」区分でまず浮かんでくるのが、プロ野球の「松坂世代」。1980年生まれで、甲子園で活躍した松坂大輔を中心とするプロになっても活躍した選手たち。1988年生まれの甲子園のヒーロー斎藤佑樹や田中将大らが各球団に多数在籍した「ハンカチ世代」が続く。サッカー界では遠藤保仁、小野伸二、ら79年生まれのワールドカップで活躍した「黄金世代」が挙げられる。

 現在、アスリート界を席捲しているのは1994年生まれのアスリートたちだろう。仮称「94年世代」ともいうべき彼らは、「松坂世代」や「黄金世代」とは異なり、競技が多岐に渡っていること。大谷翔平、羽生結弦という「異競技での二大スター」を抱えているというのもあるが、水泳の萩野公介、瀬戸大也、バトミントンの桃田賢斗、奥原希望、スピードスケートの高木美帆など各競技を代表する逸材が94年生まれに集まっている。 因みに、一般的な世代分類をすれば、彼らはゆとり教育で育った、いわゆる「ゆとり世代」。子供の頃から好きなことを主体的に取り組み、自ら考え自ら学ぶ人間に育てることを主眼に置いた、「ゆとり教育」が産んだスーパースターでもある。

 競走馬の世界でも「〇〇世代」と名付ける世代別区分は行われているはずだ。

 クラッシックロードをひた走る3歳頂上決戦、古馬になってからのG1戦線での熾烈な戦い。それらを経て世代の主力たちが引退して行く頃、世代の中心となる馬の名で「〇〇世代」が誕生する。ただ、全体的にレベルの低い世代では「〇〇世代」として取り上げられる事は少ない。逆に1頭だけ強い馬が時代を作った場合は、同期のたちの印象が薄くなり、「世代」と呼べるかたまりにならない。

 同期の強者たちが揃い、群雄割拠して名シーンを作り上げた世代こそ、「〇〇世代」と言えるはずだ。

「テイエムオペラオー世代」を創ったメイショウドトウ、ナリタトップロード、アドマイヤベガ、ラスカルスズカ。「スペシャルウィーク世代」を創った、セイウンスカイ、キングヘイロー、グラスワンダー、エルコンドルパサーなど。「松坂世代」に匹敵する逸材揃いのこれら世代こそ、長く語り継いで行きたい世代である。

私にとっての「最強世代」、2001年のツワモノたち

平成以降の3歳クラッシックロードで、最も強力なメンバーが揃った年はいつだろうか。

 前述のスペシャルウィークの1998年、テイエムオペラオーの1999年もたしかに強い馬たちが集まった。しかし私は、21世紀最初のダービーを目指した、2001年を挙げたいと思う。

 2001年のクラッシックロードを戦ったメンバーは個性たっぷりの猛者ばかりだった。前年の歴史に残るラジオたんぱ杯3歳ステークスでは、後のG1馬3頭が揃い踏み。半月前に新馬を勝ったばかりのアグネスタキオンが、札幌3歳ステークス覇者のジャングルポケット、1番人気の外国産馬クロフネをあっさり負かして3歳馬(現2歳)の頂点に立つ。年が明けて、3頭はそれぞれ重賞制覇を果たし、アグネスタキオンとジャングルポケットは皐月賞で再戦、出走権の無いクロフネはNHKマイルカップに駒を進める。皐月賞を順当勝ちしたアグネスタキオン(ジャングルポケットは3着)は、東京優駿制覇も間違いないと思われていた。ところが、クロフネがNHKマイルカップを制覇する直前の5月2日、アグネスタキオンは屈腱炎を発症し戦線離脱(8月に引退発表)となってしまった。

最有力だった1強が欠けた東京優駿は、残った2強の覇権争い。ジャングルポケットが1番人気でクロフネが2番人気、皐月賞2着でジャングルポケットに先着したダンツフレームが3番人気の順。アグネスタキオンのいない東京優駿は、皐月賞の2着と3着が入れ替わる形での決着。クロフネは5着に敗れ、勝ったジャングルポケットの何馬身か先に、アグネスタキオンの「尻尾」が見えたようなレースとなった。

 クラッシックロード三冠目の菊花賞は、クロフネが別路線を歩むこととなり、ジャングルポケット対ダンツフレームの春の二冠上位馬による最終決戦の様相を呈していた。そこへ東京優駿当日の駒草賞を制し、その後巴賞→札幌記念→神戸新聞杯を連勝したエアエミネムが加わる。菊花賞は3000m。それぞれが距離に一抹の不安を抱えて臨んだレースは、漆黒のステイヤー、6番人気のマンハッタンカフェの差し切り。ジャングルポケットは4着、ダンツフレームは5着と直線での伸びを欠く結果となる。

 2001年の三冠レースは、それぞれ覇者が異なる結果となったものの、クロフネを加えたG1馬4頭は、後に揃って社台スタリオンステーションにスタッドインすることとなる。しかも引退したアグネスタキオンを除く各馬は、G1制覇後も大活躍。ジャングルポケットはその年のジャパンカップでテイエムオペラオーを倒して優勝。前日にはクロフネがジャパンカップダートを伝説の走りで圧勝している。菊花賞馬マンハッタンカフェも、続く有馬記念でも末脚を爆発。2着アメリカンボスとの「アメリカ馬連」で2001年を締めた。

 秋の古馬G1を次々と手中に収めて行った2001年の3歳馬たち。桜花賞、秋華賞の二冠牝馬テイエムオーシャンも加えて、「最強世代」と言い切れる強い馬たちが揃ったラインナップとなった。

ツワモノたちに隠れた名馬、ダンツフレーム

 アーリントンカップ優勝(1番人気)、皐月賞2着(3番人気)、東京優駿2着(3番人気)、神戸新聞杯4着(3番人気)、菊花賞5着(2番人気)。三冠レース全てに入着を果たしたダンツフレーム。決して恥ずべき戦績でもなく、戦ってきた相手も含めて「運」が無かっただけ。もし、違う年に生まれていたならば、3歳G1に手が届いたかも知れない。

 菊花賞後は、マイル戦に矛先を転じてマイルチャンピオンシップに出走した。山内厩舎のピンクのメンコに白い鼻面のダンツフレームは終始内を回り直線で最内から脚を伸ばすものの、外から伸びてきたゼンノエルシドの5着に敗れる。

 2002年になると、三冠レースで鎬を削った4頭はそれぞれの道を歩み始める。アグネスタキオンに続きクロフネが故障で引退、ジャングルポケットとマンハッタンカフェは、天皇賞(春)で残された2頭による頂上決戦を展開。長距離G1のタイトルは譲れないとばかりに、マンハッタンカフェがクビ差でジャングルポケットを下し、3つ目のG1タイトルを獲得する。

 ダンツフレームは彼らとの戦いを選ぶこと無く、京王杯スプリングカップ(4着)から安田記念に駒を進めた。

 安田記念は、快晴の良馬場に18頭が出走。前走、香港のクイーンエリザベスCを制覇したエイシンプレンストンが1番人気で2.9倍。ダンツフレームは6.2倍の2番人気で続く。

 レースはゴットオブチャンス、マグナ―テンが引っ張る展開の中、ダンツフレームは外を回りながら中段より後方の位置取り。直線に入ると終始好位で様子を伺っていた後藤浩輝騎手のアドマイヤコジーンが先頭に躍り出る。アドマイヤコジーンが抜け出すのを見て、大外からスタートしたダンツフレームは大外からアドマイヤコジーンを追う。放たれた矢のようにダンツフレームは伸びる。アドマイヤコジーンとの差は一完歩毎に縮まって行くが、クビ差まで追い詰めたところがゴール板。ダンツフレームは、後藤浩輝騎手の初G1制覇を讃える引き立て役となってしまった。

 G1レースで3度目の2着となったダンツフレーム。しかし、マイル路線に活路を見出すことができたのは大収穫、秋に向けて一休みするものと思われた。

 ところが次走に陣営が選んだのは、マイルの関屋記念ではなく、中距離の宝塚記念だった。

遅れてきた5頭目のG1馬

マンハッタンカフェは天皇賞(春)制覇後、凱旋門賞挑戦が予定された。ジャングルポケットも宝塚記念から海外遠征のプランが立てられたが、調教中に脚部不安を発症し宝塚記念出走を断念する。ダンツフレームにとって、天敵ジャングルポケットが出ないのは一筋の光明とも言えた。

宝塚記念出走馬は、1歳上の世代の二冠馬エアシャカール、金鯱賞で重賞2勝目となり本格化の兆しが見えてきた同期のツルマルボーイ、3歳馬ローエングリンなど。ダンツフレームが戦ってきた、あの四天王に比べればずいぶん楽なメンバーに見える。

第43回宝塚記念。1番人気はダンツフレームで2.6倍、鞍上は池添謙一騎手から藤田伸二騎手へスイッチ、皐月賞以来のダンツフレームとのコンビとなった。

夏を思わせる強い日差しの中、4コーナーポケットのスタート地点のスタート地点がゆらゆらと揺れている。夏空に響きわたるファンファーレと共に、出走の12頭がゲートイン、スタートが切られた。

スタート地点からゴール板へ続く直線での先行ポジションの探り合い。ミツアキサイレンス、トウカイポイントが出を伺う中、53キロの3歳馬ローエングリンがハナを奪う。K.デサーモ騎乗のエアシャカールがローエングリンを追い、ダンツフレームもマークするように続く。12頭が縦長になり1コーナーカーブ、ローエングリンが後続を突き放しにかかり4馬身5馬身と差が開く。

ダンツフレームは落ち着いていた。藤田騎手は後方に待機しているだろうツルマルボーイを意識しつつ、エアシャカールにピッタリ付いている。藤田騎手の頭の中には敵は1頭、前を行く二冠馬と見たのだろうか。

淡々と向正面を流れる馬群、ローエングリン先頭で残り1000mの標識を通過する。

エアシャカールはここでスパートをかけた。3馬身あったローエングリンとの差が縮まっていく。藤田騎手から合図を受けたダンツフレームもエアシャカールを追う。後方のマチカネキンノホシ、ツルマルボーイも急追、馬群がギュッとかたまり残り600mを通過。

4コーナーを回って直線の攻防。

エアシャカールがダンツフレームを連れて先頭に躍り出る。内で粘るローエングリンは、二の脚を使って突き放す気配、その外にトウカイポイント。後方追い込み勢からは外を選んだツルマルボーイ、内に進路をとったマチカネキンノホシ。エアシャカールの脚がやや鈍ったところでダンツフレームのエンジンがかかった。藤田騎手の鞭に応えて矢のような伸び脚、その外からツルマルボーイが馬体を併せにかかる。最内のローエングリンは軽量の恩恵か、まだまだバテてはいない。

もう一度藤田騎手が鞭を入れるとダンツフレームは更にグイと伸びた。最後の一押しが足らず、G1タイトルがスルリと逃げた悔しい過去。先頭に立った今度は絶対に逃がすまいと、ダンツフレームが踏ん張っている。ベテラン河内洋騎手がツルマルボーイを押しても、その差は詰まることが無かった。

三度涙を飲んだ、G1の舞台での先頭ゴール。

ダンツフレームは外から迫るツルマルボーイの鼻面を見るように、念願だったG1レースでの先頭ゴールを果たした。

クラッシックロードで切磋琢磨したアグネスタキオン、クロフネ、ジャングルポケット、マンハッタンカフェに続く、1年遅れのG1制覇。同期で5頭目のG1馬は、夏の日差しを浴びて私の前に再登場してきた。少し照れながらゴール前の本馬場を周回するダンツフレーム。彼の肩にかかった宝塚記念の優勝レイが誇らしく、そして眩しかった。

近づいてくるダンツフレームに向けて、私は力の限り拍手で祝福した。

Photo by I.Natsume

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