「大団円」という言葉がある。
演劇や小説について使用される言葉で、それらがめでたく収まる場面について指すものだ。
だが、この言葉は、本の枠を飛び越えて芸能人やスポーツ選手、競走馬の引退の際に使われることもしばしばある。
競走馬の引退に絞れば、アーモンドアイやキタサンブラックなどがその例に当てはまるのだろうか。
今回は、長年にわたる苦節の末、冬のマイル王決定戦にて大団円を勝ち取ったカンパニーという競走馬について、ご紹介させていただこう。
カンパニーの生まれは、北海道の勇払郡早来町(現:勇払郡安平町早来)に拠点を置くノーザンファーム。
父はミラクルアドマイヤという馬で、彼は、脚部不安もあり3戦で現役を引退してしまうが、半兄にダービー馬のフサイチコンコルド、全姉にグレースアドマイヤ(リンカーンやヴィクトリーの母)という血統背景を持っていたことで、晴れて社台スタリオンステーションにて繋養されていた。
母は、ブリリアントベリー。彼女も900万条件の特別戦が主な勝ち鞍ではあるものの、その後には全妹のエヴリウィスパーがトーセンジョーダンを輩出したように、彼女らの父であるノーザンテーストから受け継いだポテンシャルを秘めている血統だったのではないだろうか。
そんな彼は、兄弟も数多く在籍した、栗東の音無厩舎に入り、競走馬としての訓練を重ねていくこととなる。
彼がデビューしたのは2004年1月の新馬戦。小雨降る京都競馬場でのデビューとなったものの、柴原央明騎手を背に、後続に1.1/4差をつけ勝利を飾った。ここで次走に定められたのはG3のきさらぎ賞。結果は1着のマイネルブルックと1.3秒差の7着という形で、彼の重賞挑戦は幕を閉じる。
余談ではあるが、このきさらぎ賞はマイネルブルックとクビ差の2着に、後に種牡馬入りしキタサンブラックの父として名を馳せるブラックタイドが、少し離れた3着に2005年の有馬記念でG1初勝利を飾ったハーツクライが入っている。
その後、きさらぎ賞から2か月後のOPレースであるベンジャミンSにて2勝目を飾り、オープン入りを果たした彼は、夏の福島で開催されるラジオたんぱ賞(現ラジオNIKKEI賞)で上がり最速の34.1秒の足を使い、ケイアイガードとクビ差の2着に入着。満を持して菊花賞へ向かい、後の天皇賞(春)の勝ち馬となるスズカマンボと並ぶ上がり3位タイの足を繰り出したものの、8番人気のデルタブルースに届かず9着という形となる。クラシックで活躍することはできなかったが、ここから……といったところで、彼は長いトンネルに入り込んでいった。
同年11月の京阪杯、年が明けて2005年の中山記念と古馬を相手にしても2着に入り、健闘を重ねていたものの、読売マイラーズCでは3着のアサクサデンエンとクビ差の4着。続く安田記念では勝ち馬アサクサデンエンと共に上がり3番手の末脚を見せるも5着と、勝ちからは遠ざかってしまっていた。
4か月弱の休養を挟んで挑んだ毎日王冠を7着で終えたカンパニー陣営は、次走を京阪杯を選択。昨年、古馬と初対決ながらも2着に健闘したその舞台で……という狙いもあったのだろうか。
その期待に、カンパニーは見事応えてみせた。
11番手で4コーナーを通過したカンパニーと福永騎手は直線に入り、内側に活路を見出したのだ。
直線を力強いステップで駆け抜け、2着馬に3.1/2馬身の差をつけて見事な重賞初勝利を飾った。
──しかしその後の彼は産経大阪杯や関屋記念で勝利するものの、中々G1の舞台で輝くことは出来ずにいた。
後方から足を延ばしては来るものの、なかなか前に届かない……そんな悔しいレース結果を積み重ねる日々が続いたのだった。
時は流れ、2008年の中山記念。
3度目の出走となったこのレースで、約2年間パートナーを務めていた福永騎手から、横山典弘騎手へと鞍上が変更される。すると、このレースでは今まではカンパニーがあまり試していなかった、前目につける方策が取られたのだった。
そのレース運びがピタリとはまったのか、この舞台で嬉しい重賞3勝目をあげると、次走のマイラーズCも制覇して重賞4勝目を上げる。
ここから目のけがなどもあり、次の年の中山記念の連覇を果たすまで、勝ち星に恵まれることはなかったのだが、彼はあるレースで人々の中に印象を残すこととなる。
そのレースとは、2008年の天皇賞(秋)。
64年ぶりに牝馬でダービーを制覇したウオッカと前年に牝馬2冠を達成したダイワスカーレット。
終生のライバルともいえるこの2頭の対決に注目が集まる中、カンパニーは11番人気という評価におさまる。
レースはダイワスカーレットが逃げる形で進んだが、向こう正面からトーセンキャプテンが彼女に競りかけ、1000mが58.7秒というやや速めのタイムでレースは流れていった。そんな流れの中で、カンパニーは4コーナーを16番手で通過する。
後方で待機していた彼が選んだ進路は、内だった。
内ラチ沿いを猛然と進むカンパニー。前ではダイワスカーレットが逃げきりを図ろうとしていたが、そんなことは関係ないとでも言うかのように、一生懸命に前へ向って進み続ける。
少し下がっていたトーセンキャプテンをかわしたところで、彼の前を走っていたアドマイヤフジとアサクサキングスに少しの間ができたのを見逃さず、その二頭をかわした。横山騎手の鞭に答え、ダイワスカーレットとウオッカの間を走っていた後輩のダービー馬、ディープスカイに追いついたかといった所がゴール板だった。
写真判定の結果、カンパニーは4着という結果だった。
惜しくも3着内に入ることはできなかったものの、1着のウオッカとはタイム差なし。しかも上りは17頭の中で最速の33.5と、負けはしたものの、その末脚が今もまだ輝き続けていることを知らしめられた一戦となった。
その後マイルCSを4着で終え、激動の7歳シーズンは幕を閉じる。
2009年は中山記念から始動。ドリームジャーニーらを抑えて、見事中山記念の連覇を達成する。
その後、マイラーズカップを挟み、安田記念や宝塚記念に挑むが、なかなか勝利には手が届かなくなってしまっていた。
しかし、何事にも終わりはある。
彼が入り込んでしまった長いトンネル。
4度目の挑戦を迎えた毎日王冠で、彼はその出口に辿り着いたのだった。
このレースで1番人気に支持されたのは、第74代ダービー馬のウオッカである。
日本ダービーや天皇賞(秋)などの東京競馬場のレースで好成績を残していたこともあり、圧倒的な1番人気に支持された。
2番人気は、アグネスデジタルを父に持ち、8月の札幌記念を勝利したヤマニンキングリー。
3番人気には、前走の関屋記念を勝利したスマイルジャックが選ばれた。
カンパニーはそれに続く4番人気で、スタートの時を迎えることになる。
スタートの良かったウオッカが先頭に立ち、そのまま正面に各馬が流れ込んできた。
ウオッカは本来、あまり先頭に立って逃げを行うレース運びを行う馬ではない。
だが、ウオッカも武騎手の鞭に応え、先頭を譲ろうとしない。
ハイアーゲームをはじめとした後続も必死に追うが、中々差が縮まない。
「これはウオッカの勝ちか」
多くのファンが思ったであろう──その時であった。
猛然とウオッカに食らいつかんとする勢いで上がってくる馬がいた。
カンパニーである。
ゴール前でウオッカを差し切ったカンパニーは、1馬身の差をつけて大金星を勝ち取った。
1年前の天皇賞では、惜しくも届かなかった彼女の前に、彼はようやく立てたのだ。
4度目の挑戦でやっと制した毎日王冠。ゴール直後、横山騎手は、カンパニーの首筋をポンと叩き、相方の激走を労った。
もちろん、陣営が次走に選んだのは天皇賞(秋)。
晴れ渡る東京競馬場に18頭の優駿がそろい、スタートが切られた。
ドリームジャーニーやエアシェイディ、オウケンブルースリなどが後方でレースを始める中、ハナを主張したのは戸崎騎手騎乗のエイシンデピュティ。その後ろにキャプテントゥーレやスクリーンヒーロー、マツリダゴッホなどが続き、カンパニーは中断やや後ろでレースを進めていく形をとった。
1000mを59.8秒というペースで通過すると、4コーナーから直線へ舞台は移る。
武騎手とウオッカが内を狙って後方から中団まで位置を上げ、馬群から出るところを探している中、カンパニーは前を走っていたスクリーンヒーローを外からかわし、先頭に躍り出る。
その後は追いすがる後続を突き放し、ついにゴール板を先頭で駆け抜けた。
初めてG1に挑戦した菊花賞から、苦節29戦。デビューからは2116日。
8歳にして、ついにG1タイトルに手が届いたのだった。
そして、カンパニーにもついに引退の時が訪れる。
引退レースに選ばれたのは、11月22日のマイルチャンピオンシップ。
2007年・2008年に彼はこのレースに出走していたものの、結果は5着・4着というものだった。
しかし、このレースで、カンパニーは1番人気に支持される。
彼はこのマイルチャンピオンシップまでにG1を13回走っているが、その中で、1番人気に支持されたことはこれが初めてだった。次点の2番人気には、前走でサンチャリオットSを勝ったサプレザ、3番人気には前年の皐月賞勝ち馬であるキャプテントゥーレが選ばれた。
天皇賞と同じ両馬場ではあるものの、当日の京都競馬場には小雨が降っていた。
まるで、天が彼の引退を惜しむかのように。
少しの感傷を吹き飛ばすような歓声の中、18頭がスタートを切る。
サンダルフォンが好スタートを切ったが、マイネルファルケが先頭を行き、2番手にはキャプテントゥーレがつく。その後の集団にはスミヨン騎手騎乗のヒカルオオゾラやサプレザなどがつけているといった態勢となる。
毎日王冠と同じ4番のゼッケンをつけたカンパニーは、その集団の後ろにいた。
先頭とは差がついていたものの、その日の彼にはどこか余裕があった。
マイネルファルケが先頭を保ったまま、観客が待ち受ける正面スタンドへ。
キャプテントゥーレが外に持ち出し、2頭の間が大きく開いた事に反応し、ヒカルオオゾラやサプレザが抜け出そうと動き出す。
その間ををあっという間に突き抜け、先頭に立ったのはカンパニーだった。
和田騎手とマイネルファルケも差し替えそうと必死に追う。
だが、彼らを抑えきり、1着の座に立ったのはカンパニーだった。
G1を連勝し、見事自らの引退を、勝利という最高の花で飾ってみせたのだ。
まさに「大団円」。
演劇や小説かのように、華やかなフィナーレを我々に見せてくれたのが、このカンパニーという名馬である。
写真:Horse Memorys