競馬は群像劇だ。しかしその中には、ひときわ輝く『主役』が確かに存在する。
純然たる実力、胸躍る冒険活劇、そして次代を創る父母として――多くの人が『主役』と認めた馬は、その時代の象徴となり、多くの言葉とともに後世に語り継がれる。そしてその傍らを駆けたライバルたちは………多くのファンにとっては、数多の物語の一部に取り込まれていく。
だからこそ、バイプレイヤーが豊富な時代は幸せだ。
彼らは時に息長く、語り部のように2つの時代を繋ぎ、そっと華を添える。競馬という名のキャンパスを多彩な絵の具で彩るのは、脇を固める彼ら自身のサイドストーリーの深みに他ならない。彼らは時代の象徴を為す主役の間を行き来し、競馬の連綿とした営みを繋ぐようにそのキャリアを送る。
2000年代中盤。
若きシンボリクリスエスが天下を統一し、ヒシミラクルが数々の奇跡を起こし、ゼンノロブロイが王道を歩み、ハーツクライが世界を驚かせ、ディープインパクトが英雄となり、メイショウサムソンが次代の横綱となり、異国の空で世界がアドマイヤムーンを見上げた時代──。彼らはいずれ劣らぬ時代の主役として、後世まで語り継がれる大仕事を成し遂げた。
彼らが立身出世し、主役として輝く傍らで、挑み続け、跳ね返され、それでも走り続けた一頭のバイプレイヤーが居た。
その名は、マイソールサウンド。
西浦厩舎のオレンジメンコを纏い、本田優騎手を背に7年に亘って時代を駆け抜けた白い稲妻の遺伝子。
彼は自身の競走生活の中で5つの重賞勝利を挙げている。
獲得賞金3億7000万円は、並みいるタマモクロス産駒の中でも、カネツクロスやヒロデクロス、ウインジェネラーレらを抑えて堂々の第1位である。
だがこれほどの戦績を挙げた馬には珍しく、彼のキャリアの中には一度も『1番人気』の文字がない。彼の47戦は果敢に挑み続けた生涯そのものだった。誰かの背中を追い、追い越し、そして再び跳ね返される――それは長く続く冒険の旅路だった。
時が経ち、多くのファンにとって彼の存在は『名馬の走りを際立てる背景』として記憶されているかもしれない。それは少し寂しさを伴うことかもしれないが、それと同時に、彼ほどの存在が多くの名馬の背景となった時代はかくも厚みがあったのだ、とも思う。
彼の瞳が映した世界、彼が駆け抜けた時代――その全てを振り返りたい。
マイソールサウンドは1999年4月8日、北海道門別町の長田ファームで生を受けた。
父はタマモクロス。
サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムが全盛の時代に、内国産種牡馬の雄として、昭和最後を彩った矜持を胸に奮闘していた。オグリキャップやスーパークリーク、イナリワンらが活躍馬を輩出できずに苦しむ中で、種牡馬タマモクロスの活躍は『灼熱のあの時代』を知るファンの希望だった。
母チアズスミレは未出走だったが、母の全兄チアズサイレンスは皐月賞、ダービーへと駒を進めて名古屋優駿で重賞制覇を果たし、半弟のチアズシャイニングは障害で3勝を挙げ、中山グランドジャンプで豪州カラジの2着に入った。
祖母グリーンスミレ、曾祖母エリモスミレが紡いだ『スミレの血統』は、長田ファームが誇る期待の繁殖だった。
マイソールサウンドが誕生する前年、長田ファームが生産したタマモクロス産駒のダンツシリウスがクラシック戦線を賑わせた。シンザン記念でアグネスワールドを5馬身千切り、チューリップ賞でファレノプシスを圧倒。結果は奮わなかったけれど、桜花賞では1番人気の支持を集めた。
最高の繁殖に最高の種牡馬を。
牧場が大切にしてきた血統に、牧場が一層の期待を寄せるタマモクロスが配され、産まれたのがマイソールサウンドだった。
──マイソールサウンドの歩みはひっそりとした裏道から始まる。
デビューは2001年11月。クロフネが世界を驚かせたジャパンカップダート当日の中京3レース。生涯のベストパートナーとなる本田優騎手を背に先行策から逃げ馬を競り落とす優等生の競馬で初勝利を挙げた。
上位人気に支持されていたわけではなく、裏開催の新馬戦は決して大きな注目を集める舞台ではなかったが、初戦から確かな才能とレースセンスを発揮していた。
2勝目は半年を経た5月の京都。、クラス7戦目だった。続く白百合ステークスも連勝して3勝目。
『大器開花』と話題になることはなかったけれど、経験を糧に少しずつ力をつけていった。
迎えた秋の初戦は神戸新聞杯。菊の大舞台への野心を抱いたゲートには、皐月賞馬ノーリーズンが、ダービー2着馬シンボリクリスエスが、宝塚記念3着馬ローエングリンが、そして同じく伏兵の立場だったけれど、直後に大輪を咲かせるヒシミラクルがいた。
果たして自らの力はどれほど通じるのか…と挑んだ一戦は、終わってみれば勝ち馬シンボリクリスエスから遅れること2秒2の12着。秋の王道を統一する王者の飛躍を遥か後方から見届け、菊の大舞台は夢と消えていった。
それでも年末には、父内国産馬限定重賞、中日新聞杯で、同期のマヤノトップガン産駒のバンブーユベントスを下して優勝。格上挑戦で初めての重賞タイトルを手に、3歳シーズンを締めくくった。
マイソールサウンドは、以降の5年間を重賞戦線の常連として、力強く駆け抜け続けた。
4歳シーズンは8戦1勝。2月には伝統のG2・京都記念で8番人気の低評価を覆し、大混戦のゴール前を制して2つ目の重賞タイトルを獲得した。同期のノーリーズンやローマンエンパイア、2つ年上のダービー馬アグネスフライトを負かす大金星で、さらなる飛躍を予感させる勝利だった。
だが、意気揚々と挑んだ大舞台には、いつも彼を上回る強豪が居た。金鯱賞では逃げるタップダンスシチーに真っ向勝負を挑むも返り討ち。宝塚記念では積極策でハナを奪ってハイペースを演出した結果、ヒシミラクルの大激走を演出した。
秋にはマイルに挑戦、マイルチャンピオンシップではデュランダルと同じ位置から脚を伸ばした。
結果は伸び脚及ばず11着。極上の切れ味を誇る聖剣の輝きを一番近くで見届けることとなった。
5歳シーズンは8戦2勝。年明けに京都金杯を制し、3月にはマイラーズカップを制した。マイル路線で重賞連勝。路線の重鎮、ローエングリンやサイドワインダーらを下し、遅咲きだった父譲りの成長力も武器に「今度こそ」の思いだった。
だが上げ潮に乗って挑んだ安田記念は15着。雨に煙る府中を切り裂くツルマルボーイの後ろ姿を、ただ見送ることしかできなかった。
ひと夏を超えて挑んだ天皇賞・秋では、ゼンノロブロイがシンボリクリスエスから玉座を譲り受け、大輪の華を咲かせた。マイルチャンピオンシップではデュランダルが連覇を達成。聖剣は前年以上の切れ味で、あっという間に彼の隣を駆け抜けていった。
翌年、マイソールサウンドは一転して大幅な距離延長を敢行。阪神大賞典で長距離路線アイポッパー、リンカーンらの追撃を封じ、5つめの重賞タイトルを手にした。同日の阪神5レースで初勝利を挙げた弟・マイハッピークロスに兄の威厳を示し、条件不問の強さを知らしめた。
しかし、G1の壁は最後まで分厚かった。
スズカマンボが大金星を挙げた天皇賞・春、アルカセットがスーパーレコードを叩き出したジャパンカップ、ディープインパクトが敗れてハーツクライが凱歌を挙げた有馬記念、アロンダイトが一気に駆け上がったジャパンカップダート、メイショウサムソンが横綱相撲を見せた天皇賞・春、アドマイヤムーンが世界の脚を見せた宝塚記念……。
7歳を超え、8歳を迎え、衰えは確実に彼に忍び寄っていった。
時代の主役たちの狭間でマイソールサウンドは一つでも上位を目指して走り続けた。
彼がターフを去った時、重ねた戦績は47戦。
G1を走ること11戦、重賞を走ること実に34戦。
彼は時に展開のカギを握り、時に後輩たちの壁として立ちはだかった。人気は無くとも、夢が叶わずとも、5つの勲章を誇りに、前を向いて駆け抜け続けた。
彼は引退後も数々の名勝負を支えた。
京都競馬場の誘導馬として第2の馬生を送ることとなった彼は、弟のマイハッピークロスとともに、ファンの前に姿を現した。
ある時はデビューの緊張に包まれる若駒を、ある時は気を逸らせながら大舞台に臨む人馬を先導した。自らの経験を受け継ぐように、かつて覇を競った名馬の振る舞いを伝えるように。
京都を駆け抜けた多くの名馬は、彼に見送られながら戦いの舞台へ繰り出し、そして次の時代を草創していった。
マイソールサウンドは何者だったのだろう。
彼を語るとき、ある人はマイラーと呼び、ある人は長距離馬と呼ぶだろう。ある人は逃げ馬と呼ぶだろうし、ある人は追い込み馬と呼ぶはずだ。
シンボリクリスエスからメイショウサムソンまで、世代を跨いで歴代の名馬達と手合わせをした彼の円熟味を帯びた走りは、今も『主役たちの走り』を伝える映像の中に鮮明に残っている。そのG1映像の中で彼が先頭でゴールテープを切ることはないけれど、スポットライトのすぐ傍らで、自身を圧倒するライバル達を見送っていた。どんな時も最後まであきらめない頑健な心と身体を持った馬だった。
引退後、馬房で休息しているマイソールサウンドと向き合い、静かなひと時を過ごしたことがある。リラックスした中に垣間見える聡明さ。達観したような表情。動じない心と身体。
……ああ、そうか。それもまた、一つの境地なのか。
ふと、そんな想いが沸き上がった。
いつもそこにいる彼の姿は、もはや風景のように溶け込んでいて、時々彼がそこにいることを認識できないほどだった。「いつもそこにいること、いられたこと」が何よりも偉大に思えた。マイソールサウンドのいた平和な日常に気が付き、彼の存在が一層愛おしくなった。
主役となる馬は、競馬の歴史の中でもごくわずか。
次々と現れる魅力あふれる「群像」の中で、貴方の推し馬もまた、多くのファンの心の中では、いつかは風景に溶け込んでいく。
だからこそ、彼らを思い出してほしい。そして、その記憶を心に刻んでほしい。彼らが走った激闘の日々を。彼らがふとしたときに見せた姿を。
他の誰でもない、『バイプレイヤー』の物語を。
写真:norauma