
春は、中山記念から──。
2月の府中開催が終わり、中山競馬場へ開催が移る2月の最終週。気温が低くても、2開催続く春の中山開催の最終日には、皐月賞が行われる。その途中には、向正面から4コーナーにかけて咲き誇る桜を背景に疾走するシーンも見られ、春のクラッシック戦線に向けたトライアルレースで盛り上がる。そのスタート週の日曜日に組み込まれているのが、中山記念だ。春競馬の訪れを告げる中山記念には、独特のワクワク感がある。冬の名残を抱えた芝はまだ硬く、風は冷たい。しかし、その空気の奥には“季節が動き出す音”が潜んでいる。
2026年で100回目を数える中山記念。歴代の優勝馬を遡ると、昭和の時代にはハイセイコーの名があり、平成に入って、サクラローレル、サイレンススズカ、キングヘイロー、ヴィクトワールピサ、ドゥラメンテ…。中山記念を起点に、一気に満開の花を咲かせた名馬たちの名前が並ぶ。それは、ただ調子が良いだけでは足りない。ここを起点に春へ向かう勢い、そして新たな物語を切り開く力を持つ馬だけが、このレースを自らの転換点に変える。
時代が令和になった2022年、その役目を担ったのがパンサラッサだった。
■中山記念「前」 速さに翻弄される逃亡者
2022年の中山記念を逃げ切る以前のパンサラッサは、すでに個性派として知られていた。コロナ禍前の2019年秋、矢作厩舎の新馬としてデビューしたパンサラッサは、それほど注目された存在ではなかった。マイルの新馬戦でスピードに付いて行けず、中団馬群で揉まれて6着に終わった。2戦目以降は距離を伸ばし、2000mの舞台で先行するパターンを会得すると、3戦目の未勝利戦で勝ち上がった。未勝利脱出以降の、彼のレーススタイルは、「とにかく速い」「とにかく行く」の繰り返し。しかしその速さは、しばしば“暴走”と紙一重だった。
速さが武器であると同時に、弱点にもなる…
自分のリズムを崩すと脆さが露呈する…
「逃げ切る」よりも「逃げてしまう」印象が強い…
本能で走り、勢いで飛ばし、結果は天に任せる。パンサラッサは“哲学を持たない逃げ馬”だった。そんな危うさを抱えたまま、レースをこなすパンサラッサだったが、その快速ぶりに酔いしれるコアなファンたちが、彼を支持し続けた。

ホープフルステークス、若駒ステークス。4コーナーを回るまでは、確実に先頭をキープしたものの、ゴール前では優勝馬に突き放される。そして、3月の弥生賞では、一度も先頭を奪うことも出来ずに馬群に沈む。
逃げが嵌った時の強さと、展開に翻弄された時の脆さを繰り返すパンサラッサの走りは、4歳の春まで続いた。
■2022年中山記念 逃げ馬が“哲学”を得た日
逃げ切れるかどうかは、運と勢いに委ねられる──。
そんな“本能の逃げ”がパンサラッサの走りを支配していたレーススタイルに変化が起きたのは、2021年秋のこと。
10月府中のリステッド競走オクトーバーステークス(2000m)では、最後の脚を残した大逃げで、ゴール前粘り込んでの優勝。続く福島記念でも「考える大逃げ」が功を奏し、4馬身差で重賞初制覇を成し遂げる。
5歳になって初出走となる中山記念。パンサラッサの逃げが、変化し始めているのを一番感じ取っていたのは、鞍上を任された吉田豊騎手と、彼を支持するファンたちだろう。
「これまでのパンサラッサとは、絶対に違う!」
「一段階成長したパンサラッサが、中山のコースでどんなレースを見せるか?」

ファンたちの期待を背に、パンサラッサは中山記念のゲートに入った。
1番人気は、ホープフルステークス優勝馬、川田騎乗のダノンザキッド。前年秋のマイルチャンピオンカップでは3着に好走している。2番人気に支持されたパンサラッサ、鞍上の吉田豊騎手と共に静かにゲート入りを待っている。
ゲートが開いた瞬間、パンサラッサは迷いなく前へ出た。
その脚は、まるで自分の運命を知っているかのように軽やかで、しかしどこか切迫した必死さも帯びていた。
1000m通過57秒6。
常識的に考えれば“飛ばしすぎ”だ。しかし、彼の走りには無駄がなかった。それを一番理解していたのが鞍上の吉田豊騎手である。パンサラッサは、追走するトーラスジェミニ、ワールドリバイバルの影を背後に置き去りにしながら、まるで「逃げることこそが自分の存在理由だ」と言わんばかりに、風を切り裂いていく。
中山の直線は長くない。しかし、逃げ馬にとっては永遠にも感じられるほど残酷な距離だ。
直線に入ってコントラチェックが内から、外からカラテとアドマイヤハダルが迫る。観客のどよめきは吉田豊騎手の耳にも入っていたのだろうか。それでもパンサラッサは、脚を止めなかった。その姿は、今までの逃げ馬パンサラッサではなかった。“逃げ切る”というより、“逃げ切らねばならない”という使命感、そんな宿命めいた強さが宿っている。
そして2馬身1/2の差をつけてゴール板を駆け抜けた瞬間、中山競馬場に広がったのは驚きではなく、「ついにこの馬が本当の姿を見せた」という確信だった。
パンサラッサと吉田豊騎手が繰り出す走りは、「逃げ切るための逃げ」へと昇華していた。
■中山記念「後」 逃げ馬から“世界を魅了する哲学者”へ
中山記念の大逃げは、単なる2勝目の重賞勝利ではなかった。
それは、“世界と戦う馬”へと変貌するための最初の号砲だった。パンサラッサと吉田豊騎手は、このレースを境に“逃げ馬の枠”を超え、“世界を魅了する逃亡者”へと進化していく。
中山記念を境に、パンサラッサは変わった。正確には“逃げの哲学を手に入れた”と言うべきかもしれない。
ドバイターフでの世界震撼の同着優勝。
サウジカップでの魂を削るような激走。
これらは決して偶然ではない。パンサラッサが、ペースを支配し、レースを支配する存在に成長した証だった。

国内での勝利は、中山記念の勝利が最後だったが、私たちの記憶に永遠に刻まれていくだろう名シーンを、いくつか演出している。
2022年の夏、札幌記念。
逃げ馬同士の魂がぶつかり合う舞台となった。相手は同じく速さを武器とするジャックドール。互いに譲らぬ先手争いは、まるで“逃げとは何か”を問う哲学的な対話のようだった。
パンサラッサは中山記念で得た哲学を胸に、ただ速く走るのではなく、レース全体を支配する逃げを選んだ。しかし、ジャックドールもまた強かった。
最後はクビ差及ばなかったが、この死闘はパンサラッサの逃げが国内トップレベルの逃げ馬との真剣勝負にも通用することを証明した。

そして…2022年の秋、天皇賞(秋)。
パンサラッサの逃げは、ついに“伝説”の領域へ踏み込む。相手は後に世界最強と称されるイクイノックス。それでもパンサラッサは怯まなかった。
1000m通過57秒4──中山記念より0.2秒速い。
舞台は府中2000m、常識では到底持たないペースである。それでもパンサラッサは止まらなかった。直線に入っても脚は鈍らず、イクイノックスを最後の最後まで苦しめた。
勝利こそ奪えなかったが、「パンサラッサの逃げ馬の哲学は、世界最強をも揺さぶる力を持つ」。天皇賞(秋)でそれを確実なものにした。

■中山記念は、パンサラッサの“春”だった
春競馬の幕開けに行われる中山記念。2022年の春、そのレースでパンサラッサは、単なる重賞勝利ではなく、自らの生き方を掴み取った。
中山記念以前の彼は、「速さに翻弄される逃亡者」
中山記念以後の彼は、「速さを哲学に変えた求道者」
あの日、中山の風を切り裂いた大逃げは、パンサラッサにとっての“春”そのものだった。そしてパンサラッサの“春”は、やがて世界の競馬ファンを魅了し、彼を“世界的GⅠ馬”へと押し上げていった。

“春”は、中山記念から──。
今年は、どんな“春”を見ることができるのだろうか。
Photo by I.Natsume
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