障害競走で素敵な花を咲かせた歴戦の名馬、ニシノデイジー - 2022年中山大障害

1934年に「大障害特別」の名で実施された競走に端を発する、障害馬による暮れの大一番「中山大障害」。
私が見た、初めての中山大障害は2017年のもの。アップトゥデイトの全身全霊を賭けた大逃げ策に、オジュウチョウサンが真っ向から食らいつく。まさに死闘とも呼べるこのレースに、大いに魅了された。

その時は、まさかこのレースに"彼"の姿があるとは、まったく思っていなかったのだけれども──。


2022年も終盤に差し掛かったある日、何気なくSNSを見ていると、私の目に驚くべき内容が飛び込んできた。

「ニシノデイジー、次走は中山大障害を予定」。
思わず、「え」と声が出てしまったことを今でも覚えている。

ニシノデイジーは2018年の札幌2歳S、東京スポーツ杯2歳Sを優勝。ホープフルSでも3着と善戦し、期待馬の一角としてクラシックシーズンへと駒を進めていた。
しかし、以降は気性等の問題もあり、中々結果が伴わない時期が続いた。

そんな彼に転機が訪れたのは2022年の1月。久しぶりの芝レースで12着となったことを鑑み、陣営は障害への転向を決断した。

その障害デビュー戦こそビーマイオーシャンの3着だったものの、中2週で挑んだ障害2戦目では逃げたカクシンを4コーナーで捉え、直線でのファルヴォーレの猛追も凌ぎ切り、見事、東京スポーツ杯2歳S以来の優勝を掴んだ。

次に挑んだのは初の障害OP戦の秋陽ジャンプS。1番人気に推されたものの、ひとつ年上で11番人気だったコウユーヌレエフとマッチレースの末、半馬身差の2着と惜しくも敗れてしまった。

その上で、陣営は中山大障害へと歩を進める決断をした。私も驚きはしたものの、いちファンとして、非常に楽しみな決断だった。
"絶対王者"に挑む、最初で最後の機会が訪れたからだ。

中山グランドジャンプ6勝、中山大障害3勝。2016年での初勝利からここまでで合計で9つのJ・GⅠレースを制した競走馬、オジュウチョウサン。

障害をなぎ倒すかのような低姿勢の飛越と、鞍上の石神騎手の巧みなコース取りも併せて、時に鮮やかに時に泥臭く勝利をもぎ取っていった彼らは、まさに"絶対王者"だった。
そんな彼も、2022年の中山大障害を最後にターフを去ることが、公式に発表されていた。


絶対王者の引退レース。それは、新時代の王者を決める戦いでもある。

この年に障害重賞を3勝したホッコーメヴィウスこそ参戦しなかったものの、前走の東京HJでそのホッコーメヴィウスやオジュウチョウサンらに土をつけたディープインパクト産駒のゼノヴァース、春の大一番中山GJでJ・GⅠ初挑戦ながら3着に入ったマイネルレオーネ、新進気鋭の小牧加矢太騎手とともに巻き返しを図るケンホファヴァルト等、有力馬総勢11頭が冬の中山の大一番に顔を揃えた。

1番人気のオジュウチョウサンは初のJ・GⅠと同じ1枠1番から。2番人気の実績馬ブラゾンダムールはベテラン西谷誠騎手とのコンビで5枠5番に収まった。並んだ3番人気にはゼノヴァースが支持され、栗東の若きエース森一馬騎手とコンビを組み、大外8枠11番から勝負をかける。

──そして、5番人気のニシノデイジーは、障害練習時から面倒を見てくれていた五十嵐雄祐騎手とともに、7枠9番から勝負をかけることになった。

パドックの様子が映し出される中、私の脳内には様々な思いが駆け巡っていた。
『中山の大障害コースは初だけれども大丈夫かな』『無事に走り切れるといいな』『勝つところが見たいけれども無理はしないでほしい……』。
あまりに考え込みすぎて、頭の中がパンクしそうになっているうちに、軽快な金管楽器の音が耳に飛び込んできた。

陸上自衛隊東部方面音楽隊による、J・GⅠファンファーレ。

そしてこの時、ふと思ったのだ。
『大丈夫…なんて、気軽には言えないけれども、今の私にできることは彼の走りを見届けることなのだ』と。

オジュウチョウサンが少々嫌がるそぶりを見せたものの、全馬ゆっくりとゲートに収まる。
係員が離れ、決戦の火ぶたが切って落とされた。

まずはビレッジイーグルがダートコースでハナを取るなか、各馬が最初の障害へと向かう。
そこにアサクサゲンキとケンホファヴァルトが取り付き、さらにその後ろにはオジュウチョウサンが控える。
一方でニシノデイジーは、最初の障害飛越後に少し五十嵐騎手が手綱を引く場面があり、後方からの駆け出しとなった。
スタンドを離れ、生垣の第三障害を越えたところで、ゼノヴァースが三番手に上がり、オジュウチョウサンは中団に下がる。

先頭のビレッジイーグルが作る淡々とした流れの中で、各馬がバンケットを越え、大竹柵を飛越した。

──おや、と思ったのは再度大障害の襷コースへと足を踏み入れた時である。

大障害コースへと入る際の下り坂で、2番手を追走していたケンホファヴァルト、ゼノヴァース、オジュウチョウサンが外へ膨れたのだ。
そのタイミングを、五十嵐騎手は見逃さなかった。

大障害コースに入る前には、オジュウチョウサンの後ろにつけていたニシノデイジーが、空いたスペースを駆け抜けて一気に先頭集団へと取りついたのだ。
大生垣の飛越時三番手にいたニシノデイジーはカーブでビレッジイーグルの内に進路を取った。
後ろにはゼノヴァースやオジュウチョウサンらが続き、再度、第三障害の生垣を越える。

ダートコ-スを横切り、谷を下ったところで、ついにニシノデイジーが先頭に立った。
谷の登りの際に、ケンホファヴァルトとの接触もあったが、ひるむことなく先頭に立ったのだ。

先頭に立った地点からゴールまではおよそ1200m。残る障害はあと2つ。さらにその途中にはバンケットもある。
とはいえ、私はここで『彼ならやってくれるのではないか』という願いを抱かずにはいられなかった。

何故なら、彼はここまでの多くの経験を積み、研鑽を重ねてきたからだ。
3歳のクラシック以降は確かに振るわない成績だったかもしれない。しかし、ここに来るまで、彼は様々なレースに出走してきた。ダービーの舞台にも立ち、牡馬クラシック三冠を完走した。彼とともに走ったことのある馬には、後にGⅠの栄冠をつかんだ者だっている。だから私は『彼にだって栄冠を掴めるはずだ』と、心の底からそう思ったのだ。

そんなことを考えている間に、向こう正面の第四竹柵障害を飛越したニシノデイジーは、単独で先頭に立った。

ゼノヴァースやオジュウチョウサン、マイネルレオーネもバンケット前後でペースを上げてくる。

仕掛けた彼らに注目していたレース映像が、引きの画面に変わった時、私は目を疑った。

最終障害に向かっていくニシノデイジーが、後ろを3馬身離している。そして後続を引き連れて、4コーナーに姿を現したのである。

直線ではマイネルレオーネ、オジュウチョウサン、マッスルビーチが差を詰めようとするも、上がり最速の脚で駆け抜けたニシノデイジーは先頭を譲らなかった。

走破タイムは、4:45:9。ついにニシノデイジーが、栄冠を掴み取った。

2着にはゼノヴァース、3着には6番人気のマイネルレオーネが名を連ねた。

正直、レースを中継で見ていた時はあまりにも感極まってしまい、何も考えられなかった。
今まで何度も何度も夢に見たけれど、菊花賞以降は出走すら叶わなかったGⅠ級競走の舞台。
平地から障害へと舞台は移ったけれども、彼はついに、関係者・ファンのみんなの夢をかなえてくれたのだ。

諦めなければ夢はかなう…とは言わない。様々な理由・原因が現実では立ちふさがることもある。
けれども確かに私はその日、彼に一歩を踏み出す勇気を貰ったのだ。

中山大障害。12月の末に開催される、JRAにおける最高峰の障害レース。
その頂点に、次はどんな夢が刻まれるのだろうか。

写真:かぼす

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