岩手県盛岡競馬場で毎年行われるJpnⅠマイルチャンピオンシップ南部杯(以下、南部杯)。

数々の名馬、名勝負が生まれたこの大レースの存在は、地方競馬ネット投票が普及したこともあり、今や中央競馬のファンにとってもよく知られるところとなったと思います。

しかしながら、「南部」の名称が盛岡にとって大きな意味を持つということについて詳しくご存知の方は、そこまで多くないかもしれません。

今回は簡単にではありますが、盛岡と「南部」の関係に触れつつ、これまで私が訪れた南部杯について、記憶を辿りながら振り返ってみたいと思います。

「南部」が盛岡に大きな意味を持つと言っておきながら……なのですが、南部杯は1988年に創設された当初は盛岡競馬場ではなく水沢競馬場で行われていました。

その理由は、旧盛岡競馬場が非常に狭く、最大でも8頭立てのレースしか組めなかったことが関係しています。その後現在の盛岡競馬場が開場された1996年から、盛岡の地で開催されることとなりました。その表彰式では毎年南部家の当主が出席し、南部杯が授与されます。

南部家の当主は現在46代目で、源義家の弟である義光の子孫とされる初代当主・南部光行は、1189年に源頼朝の奥州平泉藤原氏攻めで手柄を立て、現在の青森県東部と岩手県北部の地を拝領したと伝えられています(真偽は不明)。その後、安土桃山時代に豊臣秀吉に領地を認められ、江戸時代にかけて成立した盛岡藩(南部藩)の藩主として、南部家は盛岡の地を治めてきました。1870年、廃藩置県により盛岡藩は廃止となり盛岡県、そして岩手県と改称し現在に至っていますが、現在でも南部家当主は「殿様」とも呼ばれることもあるそうで、そのことからも盛岡において南部家がいかに影響力を持っていたかが窺えます。

また、南部家は馬とも深い関わりを持っていました。現在は絶滅してしまいましたが、かつては「南部馬(南部駒)」と呼ばれる在来種がいたそうです。南部家が治めていた領地は良馬の産地とされ、古来から人々は馬を家族同然に扱い、運搬・農耕などに使っていました。南部家はこの南部馬を改良し軍馬などとして育てる事で、その時代の将軍・幕府と良好な関係を築いていたとされます。明治天皇の愛馬「金華山号」も南部馬で、最後の南部馬とされる「盛号」は明治時代、東京上野の不忍池競馬でサラブレッドなどを相手に2年連続で圧勝を演じたそうです。「南部駒」の名称は現在も岩手競馬の2歳重賞「南部駒賞」として残っています。

そのほかにも南部鉄器や南部せんべいなどが名産品としてあげられますが、盛岡競馬場で売られている南部せんべいのパッケージには南部家の家紋がデザインされています。

このように盛岡の地で非常に大きな意味を持つ「南部」の名を冠した南部杯ですが、私はこれまで3回観戦したことがあります。

1回目は2011年。まだまだ記憶に新しい東日本大震災が起こった年のことです。

震災の影響を受け岩手競馬は開幕が5月にずれ込み、施設や投票所は大きなダメージを受けていました。そこでJRAに支援を要請し「岩手競馬を支援する日」として10月10日、JRAの主催により東京競馬場で南部杯が行われました。当日は売り上げの一部が被災地支援に、そして南部杯の売り上げの一部が岩手競馬支援のために拠出されました。

当日、私は開門前から並び、普段まず入らない指定席へと入りました。場内では岩手グルメの販売や「チャグチャグ馬コ」「盛岡さんさ踊り」の披露、岩手出身の名馬の名を冠したレースの開催などが行われ、東京競馬場内だけでなく日本の競馬ファン全体が岩手競馬を応援しようというムード一色となっていたように思います。入場人員は同年のフェブラリーSを上回り、売り上げも前年の南部杯の約14倍を記録することとなりました。

例年南部杯で使用されているファンファーレが響き渡った後、レースがスタートします。序盤から先頭がエスポワールシチー、2番手にトランセンドと、当時のダート界におけるトップホース2頭が引っ張る展開となりました。

直線に向いて突き放しにかかるエスポワールシチー、外からなダノンカモンが迫ってきて、トランセンドは手応え劣勢で3番手に後退……。

しかし、強烈に印象に残っているのはそこからでした。

一旦後退したトランセンドが盛り返すようにダノンカモンに食らいつき、更にはエスポワールシチーまで捉え、外のダノンカモンに抜かさせることなく先頭でゴールインしたのです。あのトランセンドの勝負根性には鳥肌が立ちました。

最後の直線はとても見応えのある、いいレースだったと思います。ですが、東京競馬場の大歓声のなかで起きていた悲劇を、私は忘れることはできません。

この年の南部杯には、4頭の地方馬が出走していました。

悲劇にあったのはそのうちの1頭、岩手から遠征してきたロックハンドスター。彼はスタート直後に芝とダートの切れ目でジャンプしてしまい故障を発症、助からないという診断が下されたのです。

ロックハンドスターは2009年、岩手競馬のイメージキャラクターであったタレントのルー大柴さんが岩手のことを「ロック(岩)ハンド(手)」と呼んだことにちなんで名付けられたそうです。岩手の星となれるように。

彼は、その名に違わぬ活躍を見せます。2歳時はダートで負け知らず、3歳時には岩手三冠を制覇。更には暮れの桐花賞で古馬を撃破して3歳で岩手の年度代表馬に輝きました。

年が明けて東日本大震災に被災しつつも復帰したものの、疲れがあったのか調子が整わなかったのか、その後3戦とも人気に応えることができませんでした。しかしそれでも、ロックバンドスターは南部杯へと出走したのです。

本当のところは私には分かりませんが、南部杯出走にあたってロックハンドスターは恐らく万全の状態ではなかったかもしれません。それでも、岩手競馬のファンのために、また岩手競馬のために応援してくれる日本の競馬ファンのために。とても多くの人の感謝・希望・夢……様々な想いを乗せて、陣営はロックハンドスターを大舞台へと送り出したのではないでしょうか。

そして、送り出した人々はその後、地元へ凱旋した彼の素晴らしい走りを期待していたはずです。しかし、ロックハンドスターは地元で走ることなく、この世を去ることになりました。

間違いなく歴史に残るレースとなる2011年の南部杯で、ロックハンドスターがいたこと、彼が一生懸命走ろうとしたこと、忘れないでいてほしいと思います。

2回目となったのは2013年です。

前年から盛岡競馬場へ開催が戻った南部杯当日は快晴と絶好の競馬日和で、場内は翌月に開催される金沢JBCのPRイベントなどでも賑わっていました。

1番人気は4歳を迎えJpnⅠ2連勝を含むダートグレード5連勝と本格化の兆しを見せていたホッコータルマエ。2番人気は南部杯5年連続出走となるエスポワールシチー。3番人気は同年のフェブラリーSの覇者グレープブランデーとGⅠ/JpnⅠ勝ち馬が人気上位を占めました。エスポワールシチーは8歳を迎え、前年の南部杯以来勝ち星がなく、衰えも懸念されていたところですが、盛岡コースでの走りはひと味もふた味も違うものでした。

大方の予想通りハナを切ったエスポワールシチーはマイペースに持ち込みます。本当に盛岡が得意だったんだなと思わせたのはここからでした。4角から直線にかけて一気にスパートして後続を突き放し、そのままホッコータルマエを抑えて押し切ったのです。見方によっては早仕掛けに映るかもしれません。しかしこれは前年に南部杯を楽勝した時とほとんど変わらない、むしろコピーとさえ言える仕掛けでした。一気にスパートして後続に迫る隙を与えない──これが、エスポワールシチーの盛岡での走りでした。

しかし、騎乗していたのは前年の鞍上佐藤哲三騎手ではなく、初騎乗となる後藤浩輝騎手でした。

佐藤騎手は前年の南部杯のひと月後に落馬で重傷を負い休養中で、結果的にその事故で騎手生命を絶たれることになりました。後藤騎手もまた落馬で重傷を負い、1年の休養から復帰して1週間後のレースがこの南部杯でした。後藤騎手はインタビューでこう話しました。「佐藤哲三さんになったつもりで乗っていました」、「哲三さんだったならどうするだろうかと馬に聞きながら乗りました」、「ボクと哲三さん、GⅠジョッキーが2人乗っているわけですから負けるはずがないと思っていました」。

まさに佐藤騎手と2人で掴んだ勝利でした。エスポワールシチーは南部杯連覇で通算では3勝目、盛岡で行われた南部杯では3勝、2着1回と盛岡コースでは無類の強さを発揮しました。

後藤騎手はインタビュー冒頭で「ただいま!」と叫び、本当に嬉しそうなインタビューでしたが、この約1年半後、騎手生命を絶たれるどころか帰らぬ人となろうとは当時は想像だにしていませんでした。改めて今一度、ご冥福をお祈りいたします。

3回目となったのは2015年です。

この年の南部杯で一番印象に残っているのは、競馬と全く関係ないのですが、とにかく「寒かった」ということです。

前日から雨が降り、当日はほとんど降らなかったものの、気温が上がらず日射しもなかったため体感温度がかなり低く、とにかく喫煙所のストーブにあたっていた記憶があります。

レースは連覇を狙うベストウォーリアが断然の人気を集め、続いて同年かしわ記念の勝ち馬ワンダーアキュート、JRA相手のJpnⅠでも好走を続けていた地方のハッピースプリントの順に人気となり、以下は離れました。

絶対的な逃げ馬不在の様相から一転して、蓋を開けてみると先行争いが雁行状態で緩まぬハイペースとなり、ワンダーアキュートはやや追走に苦労している様子でしたが、対するベストウォーリアは楽々先行争いを見る形で追走。ハッピースプリントはスタートで躓き中団を押し上げていきました。

直線にかけて先頭に並びかけたベストウォーリアは直線半ばで楽々と抜け出し連覇を達成。ハイペースの消耗戦となったものの逃げたタガノトネールが渋太く粘って2着、ワンダーアキュートはジリジリと差を詰めたもののタガノを捉えるまではいかず3着まで、ハッピースプリントは伸びを欠いて6着止まりでした。

初めにお話したようにこの日はとにかく「寒い」が一番で、競馬の記憶はあまりなかったりします。最終レース後の餅まきで動き過ぎたせいで、レア物のZIPPOを失くしたことでしょうか(笑)

盛岡の餅まきは戦場になります。くれぐれも胸ポケットなどに物を入れないことをオススメします。そして身軽な態勢で臨みましょう。

ここまで私が訪れた3回を振り返ってみました。競馬であれ、競馬以外であれ、それぞれどれも印象深い南部杯でした。今度の南部杯ではどんな熱戦、ドラマが生まれるでしょうか。

現地へ行く方はもちろん、行けない方も是非お見逃しのないよう注目していただきたいと思います。

写真:馬人

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