[追悼]マイネル軍団、岡田繁幸総帥へ。

マイネル軍団の総帥として親しまれていた岡田繁幸さんが、2021年3月19日、亡くなられました。突然のことに多くの競馬関係者、競馬ファンが、驚くとともに、深い悲しみにつつまれました。多くの方がSNSやブログ、インタビューなどで岡田繁幸さんとの思い出を語っていましたが、ほとんどが総帥の人柄の良さが伝わってくるものばかりでした。

私、プーオウも、岡田繁幸総帥が大好きでした。ただのマニアックな競馬ファンではありますが、今回は岡田繁幸さんへの追悼文として、筆をとらせていただきます。

私が競馬を知ることになったのは、今はウマ娘で有名となったミホノブルボンが3冠を逃した菊花賞……ライスシャワーが勝った菊花賞からです。それからどんどん競馬にのめりこんでいきました。

この頃応援していた馬の一頭に、マイネルヨースがいます。
思い切りの良い逃げ馬で、応援していた方も多かったのではないでしょうか。
この時は一口馬主のことをよく知りませんでしたが、マイネル馬と岡田繁幸総帥のことは、よく耳にするようになっていきました。

それからしばらくして、マイネルジェイソン&亀山泰延騎手のコンビを熱烈に応援するようになります。
もともと谷中公一騎手のファンで、谷中さんが所属していたのが阿部新生厩舎。その阿部厩舎に所属したのが亀山騎手だったので、応援するのは自然な流れではありました。(ちなみに谷中公一騎手の、現役最後の勝利はマイネピュール号、これも何かの縁でしょうか)

マイネルジェイソンは、57戦4勝ながら2着11回と、なかなか勝ちきれないのが良くも悪くもラフィアン馬らしく、愛着のわく馬でした。亀山泰延騎手が53戦に騎乗して、ゲーム『ダビスタ』にも登場しているので、マイネルジェイソンといったら亀山騎手というくらい名コンビでした。
血統面でみると、母ゴールデンボタンからマイネル馬は5頭出ていて、そのうち4頭は4勝以上ですから、ラフィアンとの相性が良い牝馬でした。とはいえ父ローズリーフⅡの産駒は100頭近くいて、2番目に稼いだ馬でも4000万円以下。ところが、1番稼いだマイネルジェイソンは、ほとんどが500万下(現1勝クラス)か1000万下(現2勝クラス)を走っていたのに、1億円以上を稼ぎだしているのです。
マイナー血統をガンガン走らせて稼ぐ、ラフィアンらしい馬──それがマイネルジェイソンでした。
そしてマイネルジェイソン&亀山泰延騎手が、中山競馬場の勝浦特別を勝利したのを目の前で見たときは、とても興奮して「ようやく勝ったな!」と叫んだものでした。

その後、一口馬主の存在を知り、2008年に「一口馬主をやってみよう!」と思い至ります。そしていろいろ調べてみて、金沢競馬の名牝トラベラーの仔が、岡田総帥のラフィアンで募集されていることを知ります。
私は、良血嫌いの穴党でマイナー大好きな人間です。「マイネルジェイソンみたいな馬を持てたら面白いだろうな」と思い、迷うことなくラフィアンに入会しました。
しかしながらそのトラベラーの仔・マイネリトルラバーは、輸送による肺の病気で死亡。続くマイネルブエロは二回連続大差のタイムオーバーで引退と、つらい結果となりました。
トラベラーの仔を2年連続、ラフィアンの募集馬に入れたということは、岡田総帥が認めてくれたから、と嬉しく感じていました。しかしながら、2頭とも未勝利に終わったので、相馬眼がある方でも難しいものなのだな……とも感じたのを、今でも覚えています。
とはいえトラベラーの仔で、中央競馬の未勝利を勝ち上がった仔が2頭、地方競馬で8勝している仔が1頭いることを考えると、巡り合わせの良し悪しがあったかもしれません。

私はそれ以降もさらに、他の血統の馬の一口も買うようになり、ゴールドヘイロー産駒マイネルネオハートで、ついに一口馬主初勝利をあげました。
この時は仕事のため、現地で応援することはできなかったのですが、仕事が終わってから家でレース映像を見て、一人狂喜乱舞したものです。
100分の1とはいえ、自分が出資をしている馬が勝つのが、これほど嬉しいものだとは……。
「ラフィアンに入った自分を褒めたい!」と感じました(笑)
そしてもちろん、このような体験をさせてくれた、ラフィアンの岡田総帥に対して、感謝の気持ちで一杯に。

その後私は、ラフィアンの牝馬「マイネ」で一番稼ぐこととなる、マイネイサベルに出会います。マイネイサベルのことや、イサベルで得た経験は、過去の記事にてお話させていただいた通りです。本当に、良い経験となりました。

ラフィアンに入会して嬉しかったことに、一口馬主クラブのパーティーで、多くの競馬関係者と出会えたことがあります。
マイネイサベルを管理した水野貴広調教師や、イサベルの主戦松岡正海騎手──多くの調教師や騎手の方々と、毎年お話できたのは、良い思い出です。これも、岡田繁幸総帥がそうした場を設けてくださったお陰なのです。

もちろん岡田繁幸総帥ご本人とお会いしてお話できたのも嬉しかったし、楽しかったです!
総帥は、私みたいな年に1~2頭出資するだけの弱小会員でも、とても丁寧に優しく接してくれました。パーティーだけではなく、ラフィアン募集馬を牧場で見るイベントでも、多くの会員の方々に丁寧に接していて、場を盛り上げてくださっていたのを、今でも鮮明に覚えています。

総帥のお人柄を一言で表現するならば「永遠の競馬大好き少年!」ではないでしょうか。
そのため発言が正直すぎて、物議を醸すこともありましたが、私は大好きでした。
あのように、自分の好きなことを追いかけ続け、自分の言いたいことをはっきり言い、自分に正直に生きる──。
一介のサラリーマンである私には、その姿が羨ましくて、とても眩しかった。だからこそ総帥に魅かれたのかもしれません。

実は私は、「ラフィアンの岡田さん」の名前を、比較的早い段階で耳にしていました。
私の親戚に、北海道十勝新得町で馬産をしていた竹迫タツエさんがおります。代表生産馬は北関東菊花賞を勝ったサホロランラン、父はトドロキヒホウ。知っている方はほとんどいないと思いますが……。

私が競馬好きになってから、実は馬産をしている親戚がいると知って遊びにいきました。その時すでにタツエさんの夫、竹迫俊正さんは亡くなっており、竹迫牧場にいた繁殖牝馬は3頭程度、あと数年したら牧場をたたむとのことでした。竹迫家には、何枚かの写真が飾ってあり、そのなかに「マイネルシャッツ」の新馬戦、山藤賞の口取り写真がありました。
それを見つけた私が「あっ!マイネルの馬!」と言うと、タツエさんは「そうなの! マイネルの岡田さんが買ってくれてね。このレース勝った後、ケガしちゃって残念だったわ……」と教えてくれました。

マイネルシャッツは父トドロキヒホウで中央競馬3戦2勝。ケガがなければ……という馬でした。
もう一頭マイネルギンガ(父ダイゼンキング)は12勝0勝と未勝利を勝ち上がれませんでしたが、入着を繰り返して1000万近く稼ぎました。
馬産が盛んではない十勝の、このようなマイナー種牡馬の産駒をよく買ってくれたものだな……と、今になって改めて感心します。血統的には決して華やかではない2頭ですが、中央競馬でこの実績を残せたのですから、やはり岡田総帥の相馬眼は凄まじいということなのでしょう。

総帥とも、この話をしたことがあります。タツエさんの名前を出すと、覚えていてくださいました。
「あぁ、十勝の! 十勝だと、竹迫さんや小野瀬さんから馬を買ったことがあるんですよ!」
この時は、本当に嬉しかったです。

その竹迫タツエさんは、昨年100歳近い年齢で大往生。今後竹迫家から馬が生産されることはありませんが、ラフィアンのおかげで名前はずっと残ります。

私は個人的な事情から、一旦一口馬主を辞めたのですが、いずれは復活したいと思っており、その時は岡田親子のラフィアンでと思っていましたが……。パーティーやイベントの場で、総帥にお会いすることはできなくなりました。本当に、残念です。

総帥が競馬を愛して、盛り上げてくれたことで、馬産をしている方々、競馬関係者の方々の多くが、競馬で夢を見て、希望を持つことができました。
また私のような一介の競馬ファンが、一口馬主を通して、普通ならできない経験がたくさんできました。その経験があったからこそ、今でも競馬を愛し、楽しむことができています。

総帥、本当にありがとうございました!

岡田繁幸総帥は近年、体調があまり思わしくなかったということです。痛みや辛さから解放されて、天国で大好きな馬たちと過ごされることを願ってやみません。
岡田繁幸さん、どうぞ安らかにお休みください。

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