長い歴史を誇る凱旋門賞では、これまでに何頭もの競走馬が素晴らしいパフォーマンスを繰り広げてきました。トレヴ、デインドリーム、ザルカヴァ、シーザスターズ、サキー……その中でも、格別の強さを発揮した名馬がいます。今回はその1997年の勝ち馬、パントルセレブルをご紹介します。

1 名馬の時代

 多くの競技において、ややオカルト的な見方ではありますが地域を問わず優秀なアスリートの続出する時代があると言われます。競馬界では、当時の欧州がまさにそうした時代だったように私は思います。地元フランスだけでも前年の凱旋門賞の優勝馬にしてサンクルー大賞を2回、ガネー賞を制したエリシオ、もう1歳年上のキングジョージ、コロネーションCに勝利したスウェイン。隣国イギリスに同世代のBCターフ、バーデン大賞、エクリプスS、愛チャンピオンSの優勝馬ピルサドスキー、ヨークシャーオークスとヴェルメイユ賞の覇者マイエマ。アイルランドに愛セントレジャー連覇のオスカーシンドラー。さらにドイツに独ダービーとバーデン大賞に勝利した3歳牝馬ボルジア、独二冠牝馬ケベル。1997年のこの年はこれらの強豪たちが全て凱旋門賞に向かっていました。例外は前年のジャパンCの勝ち馬にして、当年のドバイワールドC、コロネーションCの勝ち馬シングスピールくらいです。同馬は秋の大目標をBCクラシックに定めたため、凱旋門賞は回避したのですが、ヨーク国際Sの勝利直後に骨折が判明し引退していました。

 なお日本馬はというと、このときはまだ海外遠征が当たり前のように行われる時代ではありませんでした。当年の古馬戦線はマヤノトップガンが天皇賞・春をレコード勝利したものの故障引退、マーベラスサンデーは宝塚記念で悲願のタイトルを獲得したものの骨折で長期休養、オークス馬エアグルーヴが札幌記念で復活の勝利を挙げていました。ただし3歳馬では翌年にモーリス・ド・ゲスト賞を制するシーキングザパールと、同じく翌年にジャック・ル・マロワ賞に勝利するタイキシャトルが快進撃を続け、2歳ではあのエルコンドルパサーがデビューに向けてトレーニングに励んでいた頃です。まさに今日に続く日本馬の海外躍進が始まる前夜といったところでしょうか。正確にはこの年はサクラローレルが凱旋門賞に挑戦する予定だったのですが、ステップレースのフォワ賞で重症を負い引退してしまいました。

2 栗毛の優駿

 さて、次に本稿の主人公であるパントルセレブルの凱旋門賞に至る歩みを辿ることにしましょう。本馬は1994年3月、アメリカはケンタッキー州でこの世に生を受けました。馬体は明るい栗毛です。出生地こそ北米でしたが、生産者及び馬主はフランスの画商ダニエル・ウィルゲンシュタイン。間もなくフランスへ渡り、名調教師アンドレ・ファーブルのもとへ預けられました。鞍上は全てのレースで当時、同調教師の主戦騎手だった名手オリビエ・ペリエが務めています。競走馬デビューを飾った2歳の8月ドーヴィル競馬場では2馬身差で勝利したものの、翌月の次戦GⅢシェーヌ賞は3着。1着、2着馬は2歳戦線で重賞に連対していることから、まだ未完成な部分があったのでしょう。以後は休養に入り、このシーズンは1600m戦を2戦1勝で終わりました。

 ところで本馬の血統は父ヌレイエフ、母はパンチュルブルー、母の父はアリダーです。父は2000ギニーで1着入線(後に失格)、母の父は北米のクラシックで活躍し最適距離はおそらく中距離、さらに母母父はスプリンター種牡馬のハビタットで、祖母の半姉に英仏オークスとキングジョージの優勝馬ポウニーズがいるとはいえ、普通であればマイル近辺での活躍を期待するところです。しかし血統はあくまで確率と言える好例でしょうか、陣営は本馬の能力をより長い距離に見いだしていたようで、以降はクラシック路線を進んでいきます。その判断は正解でした。

 明け3歳の緒戦GⅡ2100mグレフュル賞を制すと、当時2400mで行われていた仏ダービーを2馬身差で優勝し念願のGⅠを初制覇、続く不良馬場2000mのパリ大賞典も2馬身差で勝利します。なおこれらのレースは目を見張るような強敵揃いではありませんでしたが、2歳GⅠクリテリウム・ド・サンクルーの勝ち馬シャカや、古馬になってガネー賞に勝利するアスタラバドがおり、まったく相手に恵まれていた訳でもないように思えます。ともかく春は3連勝と最高の形で終え、欧州3歳の筆頭格に躍り出ました。こうなると当然ながらシーズン後半の大目標は凱旋門賞となります。ところが休養を挟んでの秋緒戦、GⅡニエル賞では波乱が待ち受けていました。6頭立ての1.1倍という大本命に押されながら他馬の徹底マークに逢い、外を塞がれ前が開かず首差の2着に敗れてしまったのです。とはいえこのとき計測された同馬の上がり4ハロンは44.4秒と、(単純な比較はできませんが)後に天皇賞・春でティープインパクトが繰り出した上がり4ハロンは44.8秒をも上回る目覚ましいものでした。またこの頃になると十分な実績を積んだばかりか距離の不安も払拭され、本番では1番人気に推されていました。

3 第76回凱旋門賞

 例年は雨が多いにも関わらず、この年の秋のパリは珍しく晴れや曇りの日が続いていました。足元は固く早い時計の出やすい馬場です。そしてロンシャン競馬場には前々項に挙げた有力馬と本馬ほか4頭のGⅠ馬を含む18頭が集い、多くの観客が注目する中でレースが始まりました。スタートが切られると人気薄のビジーフライトが先頭に立ち、2番人気のエリシオ、4番人気のスウェイン、6番人気のオスカーシンドラーらがこれに続きます。ほか有力どころでは8番人気のボルジアが後方から3番手、2番人気のピルサドスキーがおよそ8番手。1番人気の本馬はそれと時折入れかわるような形で全体のやや後方につけました。この位置取りは従前とは少し違っていました。というのもこれまでは少頭数のせいのときもあり、勝利したレースは中団につけて抜け出すパターンが多かったのです。しかし鞍上のペース判断もあったのでしょうか、これは正解でした。逃げを身上とするエリシオがレース前半で先頭を奪い、続くスウェインとオスカーシンドラーが決め脚勝負では分が悪いためか退かず、乾いた馬場も手伝ってハイペースになったためです。

 淀みのない流れで直線に入ると、やはり先行馬は力が尽きかけておりいつもの勢いがありません。そこへ残り400mほどになったところで、ばらけかけた馬群を割って一頭の栗毛が進出を始めます。パントルセレブルです。首を低く下げ、脚を前一杯に伸ばし、全身を躍動させる見事なストライドでどこまでも加速していきます。彫像のように鍛えあげられた馬体が陽の光を浴びて光り輝くさまは、まさに走る芸術品でした。先頭に立ったラスト200mから後続を突き放し、最後は5馬身の差をつけ優勝。2着にはピルサドスキー、その2馬身半後ろに3着にボルジア、4着にオスカーシンドラーが入り、前年優勝のエリシオが6着、スウェインが7着と有力馬がほぼ力を出し切った紛れのない決着となりました。そして観客はこの素晴らしいレースとその出走馬たちを称賛すると同時に、驚くこととなります。計測された勝ちタイム2分24秒6は、1987年にトランポリノが記録した2分26秒3を1秒7も更新するレコードだったからです。これは14年後にデインドリームが0秒11上回るまで保持されました。なお、このレースの動画は現在ウェブ上に複数上がっていますが、私は当時放送されていた「世界の競馬」で録画ながら観戦し、超一流馬が繰り出す超一流のパフォーマンスがこれほど美しいものかと感動と衝撃を受けました。

4 それから

 このレースは後々も高い評価を受けました。というのは単純にタイムが優秀だったからだけではありません。7着のスウェインが翌年もキングジョージを連覇して史上2頭目となる連覇を達成しカルティエ賞最優秀古馬に選ばれ、3着のボルジアが同年のBCターフでも2着に入ったほか古馬になって香港ヴァーズで優勝、2着のピルサドスキーが直後にチャンピオンSとジャパンCを連勝しカルティエ賞最優秀古馬のタイトルを獲得と、出走馬の一部がその後も活躍を続けたのです。

 ではパントルセレブルはというと、BCターフやジャパンC参戦も囁かれつつ休養に入り、当年は凱旋門賞を含むGⅠ3勝の成績で文句なしにカルティエ賞の年度代表馬と最優秀3歳牡馬に選ばれました。翌年も現役を続行しましたが、シーズン緒戦のガネー賞直前に屈腱炎を発症し引退となりました。通算7戦5勝。種牡馬入りしてからはサンクルー大賞などGⅠ3勝の牝馬プライド、プリンスオブウェールズSの勝ち馬バイワード、独ダービー馬ダイジンなどを出しましたが、自身に匹敵する産駒は輩出できていません。その種牡馬も2014年に引退し、現在は静かに余生を送っています。果たしてあの優れた能力は一代限りなのでしょうか、それとも残された産駒や後継種牡馬から自身と同等以上の馬が現れるのでしょうか。私は後者であることを願っています。

写真:ラクト

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