[サウジアラビアRC]エアグルーヴやメジロドーベルを輩出。かつての出世レース、いちょうSを探る。

サウジアラビアロイヤルカップ(以下サウジアラビアRCと略)は2021年で7回目を迎える2歳馬重賞で、比較的新しいレースだ。しかし、過去6年の勝ち馬からはダノンプレミアム(2017年)、グランアレグリア(2018年)、サリオス(2019年)と後にG1ホースとなった馬が3頭輩出している。
そしてサウジアラビアRCの歴史を辿っていくと、「いちょうステークス」というレースにつながる。

今回はいちょうステークスの勝ち馬から後にG1ホースとなった馬を振り返りたい。


いちょうステークスは、元々は現在の1勝クラスの条件で行われた、いちょう特別が前身である。『いちょう特別』時代には、スーパーカーと呼ばれ生涯通算成績8戦8勝と無敗の戦績を残したマルゼンスキー(1976年)や、1984年無敗で牡馬三冠馬に輝いたシンボリルドルフ(1983年)らが勝利を収めている。

1984年からいちょう特別はオープンレースに昇格。1986年にこのレースを制したメリーナイスは翌年の日本ダービーを制覇した。1988年にはレース名を「いちょうステークス」と改名。1991年に制したサンエイサンキューは翌年の牝馬クラシックで活躍、1994年に制したヤマニンパラダイスは同年の阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)を制するなど、G1で活躍する馬が続々と登場した。

──そして1995年10月29日。
天皇賞・秋の日に行われた、いちょうステークス。その時に登場した馬が、後に歴史に名を刻む馬となった。

エアグルーヴ(1995年)

1995年7月8日に札幌競馬場でデビューしたエアグルーヴ。父は凱旋門賞など欧州のG1レースで6勝を挙げたトニービン、母は1983年のオークスを制したダイナカールという血統。良血のエアグルーヴは、武豊騎手を背に単勝1.6倍と、ダントツの1番人気に支持された。そのデビュー戦こそ勝利で飾れなかったものの、2戦目では2着に5馬身(0.8秒)差の圧勝を演じた。

続くレースが、オープンのいちょうステークス。

2戦目の好内容から単勝は2.2倍の1番人気に支持された。スタート後は2~4番手を追走し、あとは「最内からどう抜け出すのか?」「そして、どんな勝ちっぷりを見せるのか?」という展開に。

──ところが、直線半ばで他の馬が内へ寄れてしまい、武豊騎手が立ち上がるほどの不利を受けてしまう。普通の馬であれば怯んでしまい、ズルズルと後退してしまうようなアクシデント。案の定、残り200mの地点でエアグルーヴは5番手に後退してしまった。しかし、残り100m手前で再度加速をしたエアグルーヴは馬と馬の間を突きに出る。ゴール手前で抜け出したエアグルーヴは、そのまま先頭でゴールインをした。

いちょうステークスのレースぶりを見て、「来年の牝馬三冠はエアグルーヴが独占するかも」という声が多く上がった。しかし、阪神3歳牝馬ステークスではビワハイジの2着に敗北。4歳(現在の3歳・1996年)になったエアグルーヴは、オークスこそ制したものの、桜花賞は直前に発熱のため回避。秋華賞では10着に敗れるなど持っているポテンシャルを十分発揮できなかった。

だが、5歳(現在の4歳・1997年)のエアグルーヴは「女王」を超える馬になった。天皇賞・秋ではバブルガムフェローとの壮絶なデッドヒートを制し、牝馬としては17年ぶりに天皇賞・秋を制した。ジャパンカップは2着、有馬記念では3着に敗れたが、秋の古馬三冠(天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念)を皆勤し、年度代表馬に輝いた。

6歳(現在の5歳・1998年)のエアグルーヴはG1レースの制覇は無かったものの、ジャパンカップ2着、宝塚記念3着など牡馬相手に互角の競馬をした。有馬記念5着(この時はレース中に落鉄が発生)でもって引退したエアグルーヴ。繁殖牝馬になってからはアドマイヤグルーヴ、ルーラーシップと2頭のG1ホースの母として血を残している。また、孫たちも2021年に急逝した日本ダービー馬ドゥラメンテ、同じく2021年9月のローズステークスを制したアンドヴァラナウトなどが活躍している。エアグルーヴは競走馬としても繁殖牝馬としても偉大なる結果を残した。

メジロドーベル(1996年)

1996年10月27日。天皇賞・秋が行われたこの日にも、いちょうステークスが組まれていた。

1番人気は外国産馬でオープンのアイビーステークスで2着に入ったトーヨーコロニー。
2番人気には芝1400mのサフラン賞で2勝目を挙げたメジロドーベルが続いた。

メジロドーベルの父は1991年の宝塚記念を制したメジロライアン。母方の3代母メジロボサツはメジロ牧場で最も発展した母親の系統になる。種牡馬として活躍しているモーリスの母方の5代母には、同じくメジロボサツの名前が刻まれている。

メジロ軍団の主戦厩舎である大久保洋吉厩舎に入厩したメジロドーベル。騎手は大久保厩舎所属で当時デビュー3年目の吉田豊騎手が騎乗した。7月13日に新潟競馬場でデビューしたメジロドーベルは新馬戦を勝利。続く新潟3歳ステークス(現在の新潟2歳ステークス 1996年は中山競馬場の芝1200mで開催)では最後の直線で挟まれる不利があり5着に惜敗するも、続くサフラン賞で2勝目を挙げた。

迎えた、いちょうステークス。ゲートが開くと逃げた馬の3番手に付けたメジロドーベルとトーヨーコロニー。前半の800mの通過タイムが46.9秒とやや速い流れの中でレースが進んでいく。4コーナーを回ると加速したメジロドーベルに対し後退するトーヨーコロニー。このレースは1勝馬なら牡馬も牝馬も負担重量が53Kgの中、唯一の2勝馬であるメジロドーベルだけが54Kgを背負っていた。しかしそれでもメジロドーベルは力強く抜け出すと、2着のスカイバロンに2馬身1/2(0.4秒)差を付けてゴールイン。上がり3ハロン(ラスト600m)のタイムは最速の35.7秒をマークした

好内容で連勝を飾ったメジロドーベル。
続く阪神3歳牝馬ステークスも制し、吉田騎手はデビュー3年目、大久保調教師は厩舎開業して21年目にして初のG1レース制覇となった。阪神3歳牝馬ステークスの快勝で、メジロドーベルは最優秀3歳牝馬(現在の最優秀2歳牝馬)の栄誉にも輝いている。

年が明け、4歳(現在の3歳 1997年)は桜花賞ではキョウエイマーチの2着に敗れたが、オークス・秋華賞を制し牝馬二冠を達成。その年の最優秀4歳牝馬(現在の最優秀3歳牝馬)にも選出されている。

5歳(現在の4歳 1988年)は牡馬相手に果敢に挑んだエアグルーヴとは違い、牡馬相手のG1では宝塚記念の5着が最高位だった。しかし、エリザベス女王杯ではエアグルーヴに勝利し、最優秀5歳以上牝馬(現在の最優秀4歳以上牝馬)を獲得。6歳(現在の5歳 1999年)時もエリザベス女王杯を制し、最優秀5歳以上牝馬に輝いた。4年連続の年度表彰を受けたのはメジロドーベルがJRA史上初であった。

メジロドーベルは母親になってから10頭の子供を産む。6番目に生まれたメジロダイボサツが種牡馬入りした他、5番目に生まれたメジロオードリーは繁殖牝馬として活躍。今年のフラワーカップを制したホウオウイクセルの母として、メジロドーベルの血は受け継がれている。

イスラボニータ(2013年)

1997年に東京スポーツ杯3歳ステークス(現在の東京スポーツ杯2歳ステークス 以下東スポ杯と略)が重賞レースとして新設されると、有力馬の多くが東スポ杯に参戦し、いちょうステークスの位置付けはやや曖昧なものになった。そこで、2012年からは東スポ杯のステップレースとして距離を芝1800mに延長して開催されるようになる。その直後の2013年に登場したのが、イスラボニータだった。

6月2日のデビュー戦をスタートで出遅れながらも2着馬に1馬身1/4(0.2秒)差を付けて快勝。続く新潟2歳ステークスでは4コーナー13番手から抜け出す。イスラボニータも上がり3ハロンのタイム33.7秒をマークして自分のレースはした。ところが、更に後方にいたハープスターが上がり3ハロン32.5秒という破格の時計をマークし優勝。2着争いは激しい叩きあいの中、イスラボニータは2着を確保した。

迎えた10月19日に東京競馬場で行われたいちょうステークス。新潟2歳ステークス2着の実績を持っていたイスラボニータは唯一の56Kgの負担重量が嫌われたのか単勝3番人気に落ち着いた。1番人気はデビュー戦を制し、コスモス賞2着の実績を持つディープインパクト産駒のサトノフェラーリ。2番人気はデビュー戦を強い内容で勝ったクラリティシチーが続いた。

スタートを切ると、マイネルメリエンダが逃げ、2番手にコスモスパークルがぴったりとマーク。デビュー戦とは違いまずますのスタートを切ったイスラボニータは4,5番手を位置する競馬。クラリティシチーやサトノフェラーリは中団のやや後ろで競馬を進めてきた。

前半の1000m通過は61.5秒のペースでレースは進む。3~4コーナーに掛けて馬群が団子状態になる中、蛯名正義騎手騎乗のイスラボニータは終始内で脚を溜める。直線に入り、前を行くハイアーレートが内に寄る中、イスラボニータの進路は十分開いた。府中の直線の坂を上る中、手ごたえ十分のイスラボニータ。外からウインフェニックスとサトノフェラーリが迫ってくると、蛯名騎手は追い出しにかかる。2着争いが接戦の中、イスラボニータは2着に1馬身1/4(0.2秒)差を付けてゴールした。

イスラボニータは続く東スポ杯を東京競馬場芝1800m2歳レコードとなる1分45秒9で優勝。3歳の2月に行われた共同通信杯を快勝し、2番人気に支持された皐月賞を快勝。G1レースの優勝は皐月賞のみであったが、セントライト記念、マイラーズカップ、阪神カップを制し、6歳の冬まで活躍した。2021年に産駒がデビューし、すぐにプルパレイが2勝するなど種牡馬としては上出来のスタートを切った。

そして、いちょうステークスは2014年に重賞に昇格。

第1回のいちょうステークスを制したクラリティスカイはNHKマイルカップを制し、出世レースとして健在ぶりをアピール。だが、翌2015年には日本とサウジアラビアの外交関係樹立60周年を記念して、いちょうステークスはサウジアラビアRCと改称された。ただし開催回次はいちょうステークスから引き継がれず、2015年は改めて「第1回」としてサウジアラビアRCが行われたのだった。その後、いちょうステークスは開催されず、現在に至っている。

写真:かず、Horse Memorys

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