英国競馬242年の歴史を変えた名牝スノーフォールがくれた希望

生きるとは死へ向かうこと。

死が訪れない生命はこの世にいない。長寿の象徴とされるカメも実際には1万年も生きるわけがなく、小型のカメで20~30年。大型のゾウガメでも100年を超える程度だという。

実家にナリタ君というカメがいた。成田にあるゴルフ場のグリーンをのんびり歩いていたところを父が見つけてきた。連れてきたっていいことないのにと言っても父は聞かず、飼育することになった。餌をやり、たまに玄関先を散歩させ、父はナリタ君を可愛がった。犬や猫のような戯れる楽しさはないものの、飼育器のなかをガサゴソ動くナリタ君は家族にとって、癒しだった。

それは雪が降るような寒い冬のことだった。父はふとナリタ君が長生きするには冬眠が必要なのではと考えた。家ガメは冬眠などしない。冬の間も休まずに動き回ることで、その寿命が短くなるかもしれない。父はナリタ君に長生きしてもらうべく、春になるまで飼育器を外に出し、新聞紙で包んで暗くし、冬眠させることにした。

だが、暖かくなったころに飼育器を室内に入れたところ、ナリタ君は干からびて死んでいた。ナリタ君にとって良かれと思ってしたことが、その命を奪うことになった。父は乾いた甲羅をなでながら、静かに涙を流し、謝った。命を奪いたくて奪う人などいない。だからこそ、命を散らす瞬間、人はどうしても悲しくなる。死は生の終点だと分かっていても、悲しくなる。まして、ナリタ君のように決して終点とは思えない死はなおさらだ。

2021年JRA賞が発表された夜。

どうにもやるせない思いのなか、SNSを開かないようにしていた。だが、いつもの癖でベッドに入ると、SNSを開いてしまった。そこにあったのは、イギリス・レーシングポストのツイートだった。学生時代、英語をさぼった私は、あわてて翻訳してみた。競馬用語を理解できない支離滅裂な翻訳ソフトが伝えた内容が、スノーフォールの死だった。骨盤骨折のため、安楽死処分。4歳になったばかりだった。

ディープインパクトを交配するためにやってきたアイルランドのベストインザワールドが日本で、ノーザンファームで出産したのがスノーフォール。母の父はガリレオ。欧州の至宝と日本の英雄の血が流れるスノーフォールはアイルランドに戻り、欧州競馬のカリスマであるエイダン・オブライエンに預けられた。

重厚なガリレオより四肢が長く、華奢な印象すら与えるスマートな体型はディープインパクトを想起させた。その父はスノーフォール1歳の夏にこの世を去った。ディープインパクトがサンデーサイレンス末期の最高傑作だったように、きっとディープもどこかに最高傑作を遺したはずだ。亡くなった直後、そんな予感をスノーフォールのひとつ年上のコントレイルが現実のものにした。父以来になる無敗の三冠馬コントレイルは無事に父の後継種牡馬になった。

スノーフォールを一躍名牝にしたレースがある。2021年オークスステークス。242年前、1779年。英ダービーより1年早い。舞台はエプソム競馬場の芝2400m。馬蹄型のコースはスタートから前半1000mをのぼり、4コーナーで一気にくだり、最後の直線は約600m。直線入り口からはゴール板が見えない。それは遠いからではない。はるか丘の上にあるからだ。最後の200m、その丘を一気に駆けあがる。非力な馬では決して勝てない。

レース序盤は中団より後ろに構えたスノーフォール。急角度の第4コーナーではライバルはみんなジョッキーが激しく追いたてる。馬が走ると土の塊が飛ぶような重い馬場状態、3歳牝馬にとって過酷なレースだった。そんんななか、スノーフォールの手応えは抜群。騎乗するランフランコ・デットーリ騎手は馬なりのまま、進路を探す。

ライバルがブロックに来ると、スノーフォールはそれを力強く弾き飛ばす。残り400mからスパートすると、追いかけられる馬はいなかった。異次元とはこのこと。まるでスノーフォールだけが新潟の直線を走っているかのように軽やかにエプソムの丘を駆けのぼった。

2着につけた着差16馬身はレース史上最大着差。そう、オークスステークス242年間でもっとも強い競馬をしたのだ。そんな馬が日本産、それもディープインパクト産駒。信じられない馬が現れた。ディープ牡馬の最高傑作がコントレイルなら、ディープ牝馬の世界最高傑作はスノーフォールだ。エプソムの坂を颯爽と走るスノーフォールは日本の、いや世界の希望だった。

その後、アイリッシュオークス、ヨークシャーオークスを連勝。秋はヴェルメイユ賞2着、凱旋門賞6着、チャンピオンズフィリーズ&メアズステークス3着と惜敗。4歳シーズンに備え、厩舎で休んでいたなかで、事故に遭った。我々ファンにとっても悲しい出来事だが、スノーフォールに関わった関係者の悲しみは想像できない。

スノーフォールの終焉は4歳1月ではなかったはずだ。彼女には未来があった。もちろん、死はいつかは訪れる。できるなら、喜べる死でありたい。やれることはすべてやり切った。この世に思い残すことはない。喜んで死ぬとはそういうことだ。

だが残念ながら、競馬では突然訪れる終点とはいえない死が多い。スノーフォールの悲劇の前には、ワグネリアンの病死もあった。名馬だけではない。馬だけでもない。今日もどこかに悲しい死はある。奪いたくない命を奪ってしまった人がいる。ああすればよかった、こうしたほうが命を落とさずに済んだのでは。悔しくて悔しくて、その贖罪の念を一生背負って生きる人がいる。そんな人たちであっても、自身の終焉は幸せであってほしい。そのためにも世界には希望が必要だ。

スノーフォールの母ベストインザワールドはスノーフォールを出産したのち、ふたたびディープインパクトを交配、アイルランドに戻り、スノーフォールの全弟を産んだ。名前はニューファンドランドという。2022年で3歳になった希望の若駒だ。活躍も期待したいが、欧州におけるディープインパクトの血を伝える馬として、スノーフォールの分も生きてほしい。

生きるとは死に向かうこと。だからこそ、生きていたい。生きていてほしい。

写真:RacingTV

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