直線に血をたぎらせた、二冠馬。夢のように駆け抜けたドゥラメンテの生涯。

2021年、8月31日。

ドゥラメンテの訃報を受け、一瞬で2015年皐月賞の舞台に引き戻された。


「こりゃダメだ! 終わった!」

競馬ファンであれば誰もが経験したことのある、応援馬の絶望的な位置取り。

ドゥラメンテの場合、第4コーナーで斜走してしまい大きく外にふくれてしまっていた。鞍上のミルコ・デムーロ騎手でさえ、「絶対に届かない」と一瞬、あきらめてしまうほどに。

しかし、競馬に絶対はない。

直線、残り1ハロンでドラマは起こった。

後に本格化するキタサンブラックを共同通信杯ウイナーのリアルスティールが軽やかに交わしたところ、ドゥラメンテは恐るべき末脚を解放する。

この馬だけが、別の生き物なのではないかと思うような衝撃の数秒間。

気が付けば、リアルスティールの1馬身半先でドゥラメンテは同世代の猛者たちを置き去りにしていた。

まさに、馬名の『荒々しく』を体現したレースだった。

ゴール直後、「これほどまでに強いのか!」とアナウンサーが叫ぶのと同時に、興奮していた私はたくさんの言葉を口走っていた気がする。

「強い! 怖いくらいに強い! (良い意味で)常軌を逸している!」と。

常軌を逸するのも無理はない。ドゥラメンテには伝説の名馬たちの血が流れている。

ダイナカールの血を継ぐ者

ドゥラメンテは2012年3月22日生まれ。

名牝ダイナカール一族の超良血馬として、デビュー前から活躍を期待されていた。

ダイナカールは5頭がもつれた末に勝利をもぎ取ったオークス馬。彼女と凱旋門賞馬であるトニービンとの間に生まれたのが女傑の異名を持つエアグルーヴである。

エアグルーヴは、オークス母子二代制覇を達成したのち97年天皇賞(秋)、サイレンススズカやバブルガムフェローを一掃する快挙をやってのけ、その年の年度代表馬にも選出された。

類まれなる一族の強さは、エアグルーヴとサンデーサイレンスとの仔、アドマイヤグルーヴに継承され、エリザベス女王杯連覇へと導く。

ドゥラメンテはそのアドマイヤグルーヴの第6仔にして、忘れ形見。父はキングカメハメハだ。

あまりにも輝かしく、身震いするほどの血統。ドゥラメンテはまぎれもない近代競馬の結晶だった。

強さと儚さ、敵は自分の中にいた

トモの緩さがあったドゥラメンテは堀厩舎でじっくりと体を作り上げ、2014年10月に新馬戦を迎える。

大物のデビュー戦とあって、単勝は1.4倍。

しかし、期待とは裏腹にドゥラメンテはゲートを出遅れ、2着に敗れる。ダイナカール一族は強さの反面、気性難に泣かされてきた一族で、ドゥラメンテもその宿命を背負っていた。

直線6馬身も突き放した2戦目でさえ、ゲート内で暴れ、出負けしている。

もし、落ち着き払った状態でレースを進めることができたなら──。

底知れぬ素質馬の真の強さを、誰もが欲した。

3戦目、セントポーリア賞の直線で"その瞬間"がやってくる。

先団、中央から進出したドゥラメンテは遊んでいるようだった。それでいて、どこまでも突き抜けて、終わってみれば5馬身差の圧勝だった。

この結果を受け、陣営は勢いそのままに中一週の共同通信杯への出走を決断。

しかしそこでは、今まで体験したことのない好スタートに調子を崩したのかもしれない。道中で口を割ったドゥラメンテは、完璧なレース運びをしたリアルスティールに交わされ2着に終わる。

有り余る強さ、抑えなれない気性の儚さ。

敵は、自分の中にいた。

強すぎる世代の、その先頭へ

2015年のクラシック世代を振り返ると、後の名馬たちがしのぎを削っていたことに驚かされる。

GⅠ7勝のキタサンブラック、宝塚記念と香港ヴァーズを勝ったサトノクラウン、さらにクラシック不参加だったものの、ジャパンカップを制したシュヴァルグラン。

近年でも有数の、強い世代だった。

その頂点を証明するため、まず一冠を獲りたい。

本来ならばトライアルを挟むべきところだが、陣営はドゥラメンテの状態を最優先し、除外覚悟で皐月賞に直行した。

運は味方した。
36年ぶりのフルゲート割れ。
手綱は、ミルコ・デムーロ騎手に託された。

序盤は後ろで脚をためる展開となり、ここからという第4コーナー、突然ドゥラメンテは大外に斜行する。

並みの馬なら、ここで完全に勝負を捨ててしまうだろう。だが、ドゥラメンテは違った。一族の血がそうさせたのか、自身の根性がそうさせたかは定かではない。すぐさま体勢を立て直すと、一気に先頭に襲いかかったのである。

デムーロ騎手は、荒々しく首を振ると、早々にガッツポーズを作った。

その姿は、この勝利が嘘ではないと自分に言い聞かしているようであり、純粋にドゥラメンテの強さに痺れているようでもあった。

一冠獲得、さらには史上初となる牝系による母子4代GⅠ制覇。

偉大すぎる記録は一瞬で鮮やかに塗り替えれられ、我々の常識を越えていく。

──これだから、競馬はやめられない。

迎えたダービー、3番人気だった皐月賞から再び1番人気に返り咲いたドゥラメンテは、これぞ王者の走りと言わんばかり、直線に入ると中団から堂々と抜け出した。

サトノラーゼン、サトノクラウンが食い下がる余地すら許さずに、とうとうドゥラメンテは、世代の頂点に立つ。

「夢みたいね」

デムーロ騎手は、勝利ジョッキーインタビューで感慨深く語った。

タイムは、2分23秒2。

父、キングカメハメハ、そしてディープインパクトの持つレースレコードを更新する歴史的瞬間を見届けた多くの者は、三冠達成と凱旋門賞への想いを抱かずにはいられなかった。

しかし、放牧中に骨折が判明。

三冠の夢は閉ざされ、世界への挑戦は来年に持ち越しとなった。

だが、ドゥラメンテの勇姿はしっかりと競馬を愛する人々の心に届いていた。その証拠に2015年の優駿3歳牡馬に選出されている。

ちなみに年度代表馬は、短距離界を席巻していた同厩舎のモーリスだ。

あらためて、堀厩舎の手腕にも鳥肌が立つ。

復活、世界、猛追の果て

翌年の中山記念、ドゥラメンテは9か月ぶりにターフに戻ってきた。

世界を見据える復帰初戦、ここは軽く一捻りといきたい。しかし、相手は同世代のリアルスティール、アンビシャス。さらにイスラボニータ、ロゴタイプとの3世代皐月賞馬対決とあって、さすがのドゥラメンテでも楽勝とまではいかなかった。

クビ差までアンビシャスに迫られたが、休み明けで仕上げも万全ではなかったし、斤量の差があったことを考慮すれば、十分に合格点と言える。

折り合いに関しても改善が見られ、デムーロ騎手との息も合ってきている。

この調子であれば、次走のドバイシーマクラシックも期待が持てる、はずだった。

異国の地に、一族の血が騒いだか。

パドックでは堀調教師に頭突きをし、彼方にメガネを吹っ飛ばした。レース直前には右前脚を落鉄。

ドゥラメンテには前脚を高く上げ、パカパカ歩く特技があった。強さと裏腹にその姿がなんともチャーミングで、私はそのギャップにやられていたのだが、今回ばかりは裏目に出た可能性が捨てきれない。

暴れ続けるドゥラメンテに打ち直しは叶わず、結局、裸足のまま出走させるほかなかった。

本来の力を出し切れなかったドゥラメンテは、ポストポンドに詰め寄ることすらできず、2着に甘んじる。

──再起の舞台は宝塚記念に移った。

さあ、今度こそ、あの皐月賞のような荒々しい競馬を魅せてくれ。

みんなの愛馬になりかけているキタサンブラックや、前年の勝ち馬であるラブリーデイ、かつてのダービー馬や菊花賞馬、ステイヤーの手練れたちをすべてぶち抜いて、最強馬であることを証明してくれ。

初めての稍重の馬場に体力を奪われながらも、残りわずかとなった直線でドゥラメンテは勝負に出た。来た来た、やっぱり来た、我々のドゥラメンテが、今ここに復活する。

ステファノス、ラブリーデイは交わした。
あとは逃げ切ろうとするキタサンと道悪巧者のマリアライトがいる。

──猛追の果て。

勝者はマリアライト。2着は、最後の力をふりしぼり、キタサンを交わしたドゥラメンテだった。

残された者たち

宝塚記念レース後、ドゥラメンテは馬場の悪いところで躓いたことが原因で故障を発生、そのままターフを去った。

下馬した後の、むなしさでいっぱいになったデムーロ騎手の背中を忘れることができない。

まさかその5年後に、急性大腸炎で旅立ってしまうなんて。

──夢みたいね。

すべてが夢だったのか、いや夢にはさせない。

まだ、5世代の産駒たちが残っている。

この産駒の中からきっと、ドゥラメンテの意思を継ぐ者が現れる。

デムーロ騎手は、ドゥラメンテの訃報に際し「自分が乗った中で一番強い馬」と語った。

さあ、息子よ、娘たちよ。

その一番の座を奪ってみろ。

父のかつての相棒を背に、三冠を取り、世界の最高峰へ荒々しく駆けてゆけ。

写真:Hiroya Kaneko

あなたにおすすめの記事