蛇行する男と真っ直ぐ駆ける王者。名馬オジュウチョウサンを振り返る

人生の傍らに競馬があると、救われることがある。

不思議としんどい想い、手詰まり感に支配されたときだけは馬券が当たる。築地の世界に飛び込み、はじめての年末で泡を食っていたとき、有馬記念でダイワスカーレットから総流しをかけ、アドマイヤモナークが引っかかった。疲れ切って買い目を絞る気力がなかっただけだが、これが当たり馬券を引き寄せた。競馬では不思議なことが起こる。誰もがこんなエピソードがあるはずだ。

競馬が傍らにあると、便利なこともある。先週、なにを食べたか思い出せなくても、ダービー馬の名前は忘れない。有馬記念が来るたびに、あの時、どこでどんな状況、心境でレースを目にしたのかを思い出す。たとえ自分の歩んだ道が消えかけたとしても、競馬の歴史がその道を補ってくれる。人に競馬あり、競馬に歴史あり。その歴史に自分がいる。

オジュウチョウサンがはじめて中山大障害に出走したのは2015年のこと。引退レースの中山大障害は2022年だから、その間、7年もの時間が流れた。どちらも6着。6着ではじまった歴史は6着で幕を閉じた。引退レースでGⅠを勝ち切った父ステイゴールドはファンを驚かせすぎて、ちょっとキザだが、オジュウチョウサンは健気だ。オジュウチョウサンの7年に自分の歴史を重ねる。代表して私の人生を扱うが、読者の皆さんも自分の人生に置き換えてみてほしい。これが競馬の醍醐味だ。

2015年12月26日。夏に障害オープン2勝目をあげたオジュウチョウサンはイルミネーションジャンプS4着から中山大障害に挑んだ。6番人気。1番人気は入障から5連勝のサナシオン。勝ったのは春のグランドジャンプを制したアップトゥデイト。オジュウチョウサンとの着差は4秒3もあった。

このころ、築地は移転問題を抱えていた。豊洲開場が2016年11月に決まり、この年末は築地で迎える最後の年の瀬だと、オヤジ連中はしんみりしていた。自分が勤める小さな仲卸が移転に耐えられるかどうか。なにより、自分はこのままずっと市場にいていいのかと迷いが頭をよぎった。だが、だからといって、30代後半に入り、今さらなにができるわけではないと、諦めの境地でもあった。闇雲に市場を出たいと考え、行政書士試験を受けて、落ちたのも響いた。

2016年12月23日。オジュウチョウサンは春に中山グランドジャンプでサナシオンを破り、障害GⅠタイトルを手にした。伝説がはじまった。その後、東京の障害重賞を連勝し、単勝1.4倍の支持を受け、2度目の中山大障害に出走した。相手は前年覇者アップトゥデイトただ一頭。序盤は3、4馬身後ろにつけ、大股一歩で跨ぐように障害を越えていく。2度目の深い谷を過ぎ、大生垣を越え、逆回りから順回りに戻ると、アップトゥデイトが勝負に出る。オジュウチョウサンはそれでも3、4馬身圏内を離れない。向正面の障害でオジュウチョウサンが動き、馬体を併せにかかる。そして、抵抗するアップトゥデイトを最後の直線で突き放した。その差9馬身は中山大障害に限ると、オジュウチョウサンがつけた最大着差でもあった。前年の4秒3差敗退から1秒5差勝利へ。その差5秒8こそが絶対王者の成長そのものだ。

この年、私は優駿エッセイ賞でグランプリを獲った。相も変わらず、悶々とした日々を過ごし、気がつくと豊洲移転は延期になっていた。ワイドショーが自分たちのことを連日とりあげ、当事者としては不思議な気分だった。みんな、どうでもいいと他人事だったはずが、いつの間にか当事者のような顔をするようになった。突然、仲間が増えた当事者はただただ戸惑うばかり。そんな夏、ふと優駿を広げると、エッセイ賞の募集告知が飛び込んできた。昔から文章を書くのは嫌いではなかった。築地を出るなら、これかもしれない。そんな直感に従って、エッセイを書きあげた。築地で過ごした最初の暮れ、有馬記念のダイワスカーレットがテーマだった。慣れない世界での気苦労を競馬が救ってくれた。そんな内容だった。

最終選考に残ったのを優駿誌上で知った日に、グランプリ受賞を知らされた。知らない電話番号に一瞬、出るかどうか迷った。あのとき、電話をとらなかったらどうなっていたんだろうか。中山大障害の前日、私は優駿編集部を訪ねた。そして、「なにか書く仕事はありませんか」と編集者に尋ねた。これが私の運命を動かすことになる。大声自慢の築地人にとって、編集者の声はか細く、実際はなにを言ってるかよくわからなかった。こんなに小声で話す世界があるのかと驚いた。

2017年12月23日。オジュウチョウサンはこの一年、負けなかった。何連勝なのかよくわらかない。最後に負けたのはいつなのかも思い出せないほど。これほどの馬に生きているうちに巡り合えてよかった。中山大障害連覇、障害GⅠ4連覇をかけての出走だった。もちろん、勝ったのはオジュウチョウサンなので、主役であるのは間違いないが、この中山大障害の主役はライバルのアップトゥデイトだった。前年1秒5差。春は1秒9差とさらに着差を広げられた。このまま絶対王者に引導を渡されたままではいられない。アップトゥデイトは覚悟をもって挑んだ。

最初の正面スタンド水壕で先手をとったアップトゥデイトは、これが4100mの大障害コースであることを忘れているのではないかと思うほど、飛ばしていく。スタミナの化け物であるオジュウチョウサンに勝つには、限界のその先へ行くぐらいの覚悟で物理的な差をつけるしかない。その差は10馬身以上あった。受けて立つオジュウチョウサンは2番手に躍り出て、これを追う。だが、アップトゥデイトは緩めることなく、その差は一向に縮まらない。3番手以下はもうついてすら来られない。最終障害手前でオジュウチョウサンがじりじりと差を詰めていく。直線入り口でその差は3馬身に。残り200m標識を過ぎると、オジュウチョウサンが底力を開放する。覚悟を決めてつくった差を守りきろうとするアップトゥデイト。交わしたのはゴール前3完歩。4100mを逃げ、たった3完歩だけ足りなかった。

この年は前年の暮れを経て、築地を去る決意を固めていく一年だった。移転騒動はなんやかんやと移転決定に落ち着き、小さな仲卸は廃業の道を進んだ。私の勤務先もまたしかり。何千万円の借金を背負って移転したとて、返せる算段がつくはずもない。店を継ぐ話を断り、私はひと足早く築地を去り、出版社への就職が決まった。築地の仲買人から書籍の編集者へ。信じられない転向だが、優駿エッセイ賞グランプリ受賞という肩書が加勢してくれたおかげだ。これまでトタン屋根一枚のふきっしらしにいたので、空調が効いたオフィスがありがたかった。前厄にして、書籍の編集者へ。脈絡がない人生はいかにも自分らしかった。

2018年12月23日。オジュウチョウサンは土曜の競馬場ではなく、日曜の競馬場に姿を現した。夏から続く平地挑戦は有馬記念出走にたどり着いた。障害界絶対王者としての誇りを胸に果敢に先行するも、9着。ブラストワンピースのまくりに抵抗できなかった。

有馬記念の翌年は中山グランドジャンプで絶対王者の力を見せ、秋は平地へ。平地と障害の二刀流を経て、2020年、再び障害に戻ってきた。この間、ウイルスが世界を一変させた。競馬場から観客は消え、毎朝、電車に乗って出勤するという揺るぎないものが崩れた。その直前、勤めていた出版社が倒産。私はまたも失業した。仲卸業も出版業も20世紀に隆盛を極めた世界。時代の潮流のなかで進化しないとやっていけない。前厄で転職し、後厄で失業。厄年の恐ろしさを知り、笑うしかない。いっそ開き直ってライターになろう。そう決めた矢先にコロナ禍。幸先の悪さに笑うしかない。だが、ウマフリに寄稿していたことが仕事につながった。ウイルスは縁までは断ち切れない。同時に大きな出版社に派遣社員として潜りこめた。コロナの直前だった。このギリギリのタイミングに変な運の良さを感じる。

普段からタイミングが悪いというか、変についていないことが多い。バイクで走行中に鳥のフンがピンポイントで膝を直撃したり、外へ出ると、晴れていた空が突然、真っ暗になったり。お目当てのものを手に入れようと行列に並ぶと、目の前で売り切れになったり。自分の運のなさを嘆く一方で、突然、絶妙なタイミングで幸運に恵まれる。運の総量は決まっているなんて説があるが、あながち間違っていないとさえ思う。日常の不運が幸運を呼ぶ。フラフラと右へ左へ蛇行する人生だが、それでも穴ぼこには決して落ちない。不思議でしかない。

オジュウチョウサンは2022年12月24日。最後の中山大障害に出走した。前年、4年ぶりに中山大障害を勝ったオジュウチョウサンはこの年、中山グランドジャンプも勝ち、王者であり続けた。だが、それは決して永遠ではない。平地デビューから9年あまり。人生の傍らで障害を飛び続け、勝ち続けた王者との別れのときだ。私は優駿の依頼を受け、検量室前で取材した。はじめて中山大障害を勝ったとき、築地での未来に漠然とした不安を抱いていた男は、目の前で競馬場を去る王者を見送った。私がぐらぐらと人生を進める間、ずっと競馬場で戦っていた。蛇行する男と真っ直ぐ駆ける王者。恥ずかしくもあり、うれしくもあった。そんな時間だった。

戦いを終えた王者は普段と変わらぬシルエットと仕草で競馬場に詰めかけたファンの前に立った。かつて、誰もいないスタンドの前を走った王者の目に大勢の視線はどう映っただろうか。自分に向けられた無数のカメラに応える。その姿に「ああ、オジュウチョウサンはこれが最後だと知っているんだな」と感じた。以前感じた威圧感は消え、同時にようやく肩の荷をおろせるという安堵感すら漂っていた。負けたことで終われることを知った。人生も勝ち続けられはしない。まして勝ちっぱなしで終われもしない。勝ち続ける緊迫、張りつめる神経に耐えることの辛さを知るからこそ、最後は負けて終わるのだ。絶対王者だからこその幕切れだった。

まだまだオジュウチョウサンには遠く及ばない私は、今も変わらず蛇行する日々を送る。変わらぬものと変わっていくものの間に身を置き、不運と幸運の狭間を今日も生きる。嘆きも歓喜もごちゃ混ぜになって、未だにぐらぐらなまま。競馬はそんな人生に一本、筋を通してくれる。競馬と出会ってよかった。私は競馬に助けられている。そう確信する。

写真:s1nihs

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