2000年の自分に贈る言葉…。花びら散らすピンクのメンコ。 - チアズグレイスの桜花賞

20世紀最後の一年、西暦2000年は私にとって苦い一年として海馬に刻まれている。年月を重ね、萎縮が進んだであろう私の海馬は、ウマフリの原稿依頼をきっかけに当時の自分を蘇らせた。

2000年3月、私は大学を出た。中学時代からそこそこの成績を収め、現役で大学に進み、なんとなくとぼとぼと歩み、人生の分岐点を迎えた。大学までは足元に道が見えていた。受験という面白味のない1年も道の途上にあっては受け入れるしかなかった。この道を進めばいい。どこか楽観的で、安心感に満ちた空気に包まれ、大学までやってきた。祖母は現役で合格したことを快挙と称え、大層喜んでくれたが、本人にはそんな感慨はなく、あくまでそこに道があったから、なぞってきただけだった。

だが、大学で過ごした4年間。いつの間にか足元に描かれていた道は消えていた。ここからは自分で描け。ここにきて、突然、そんなライフデザインを突きつけられても、どうしたらいいか分からない。おぼつかなくなった足元を支えてくれたのが夢だった。それをかなえるという道を見つけ、私はまた安心感を取り戻した。だが、それはこれまでのそれとは違った。あれは安心感ではなく、ある種の憑き物のような気さえする。盲信といってもいいだろう。演劇青年まっしぐらだった私は、演劇でひと肌あげるという危険な夢にその身を任せてしまった。今にして思えば、無謀としかいえない。ただの一回でも、観客から喝采を浴びるような舞台をつくったことすらないのに、どうやってひと肌あげろというのだ。だが、当時の私にそんな自分を冷静に見つめる力がなかった。

大学3年の後半から同級生がリクルートスーツに身を包み、大学の就職課に足しげく通っていても、私はすべてを無視してきた。最後まで就職課には一度も足を運ぶことはなく、自分の意志を貫き通した。そういえばカッコいいが、実際は就職という行為から逃げていただけだった。こうして大学を出ながら、無職という肩書で私は世に出ていった。もうそこには道はなかった。こう進めばいいという道しるべすらない。これほど無謀な一歩を踏み出したのは、あとにも先にも2000年3月ただ一回だけだ。

お金にならない演劇をやり、宙ぶらりんなまま、街を彷徨う日々が続いた4月。競馬なんぞに手を出していい身分ではなかったが、実家暮らしと時給が高いアルバイトでの稼ぎを味方に馬券を買いあさっていた。そんな暢気な春だった。

クラシック第一冠桜花賞は、あの頃の私にとって夢と自由に満ちたスタートだった。その先に待っている失望も迷走も微塵も感じていない。いわばバカな若者がウインズ錦糸町にいた。単勝1倍台と圧倒的な人気を背負ったのがサイコーキララ。騎乗する石山繁は学年でいうとひとつ上の同い年。あの頃の私にはGⅠの1番人気に騎乗する石山は輝いていた。だが、眩いものに背を向けがちなのが夢見るバカな若者というもの。サイコーキララを負かす馬を探し、競馬新聞に視線を走らせる。目についたのが山内研二厩舎だ。どの馬もピンクのメンコを被り、その額にはベンツマーク。のちに、あれはベンツではなく、山内家の家紋である三つ柏であると知るが、あの頃、山内厩舎といったベンツだった。さらに2、3歳といえばこの厩舎だった。早期デビューで賞金を稼ぎ、積極的にレースに出走してクラシック出走に必要な賞金を稼いでくる。ゲーム世界にも存在するほどの山内厩舎はこの年、桜花賞に4頭出しで挑んだ。3戦2勝重賞2着とパーフェクトなシルクプリマドンナに藤田伸二。世代最初の新馬を勝ち、年明けは紅梅S、エルフィンS2着、チューリップ賞10着で人気を落としたチアズグレイスは松永幹夫。桜花賞まで11回も走り、アネモネSを勝って権利を獲ったサニーサイドアップは四位洋文。九州産でひまわり賞を勝ったカシノエトワールには笠松の安藤勝己。関西のトップジョッキーがズラリと並ぶラインアップをみても、山内厩舎の信頼感が伝わる。サイコーキララはこの山内厩舎包囲網のほかにも、藤沢和雄厩舎が送る関東の刺客レディミューズは岡部幸雄を配し、武豊は自身が騎乗したアンドレ・ファーブル厩舎所属スキーパラダイスの仔エアトゥーレに騎乗する。2戦2勝無敗のフューチャサンデーと横山典弘は底知れない不気味さすらあった。

多士済々な桜花賞。あの頃はまだ旧阪神コース。おむすび型でクセが強く、スタート直後に2コーナーに突入するため、不利を受けることが多く、ポジション争いが向正面まで続けば、ほぼハイペースは確定する。エアトゥーレがスタートのタイミングを完全に逸し、大きく出遅れたため、スタンドはどよめいたが、1番人気サイコーキララも一完歩目で遅れをとってしまった。このコースで出遅れてしまうと、ポジション争いで挽回するのは至難というもの。それでもサイコーキララは位置をとりに行った。石山は焦っている。競馬歴の浅い若者はウインズのモニターに映る行きたがるサイコーキララと抑えようとする石山にそんな感想を抱いた。山内厩舎のピンクのメンコは向正面の桜とシンクロするようにバラバラに配置され、馬群に万遍なく桜の花びらを散らす。前にチアズグレイス、その後ろにシルクプリマドンナ、中団にサニーサイドアップ、後方にカシノエトワールがいた。

勝負の第4コーナー。逃げるジョーディシラオキに外からチアズグレイスが並んでくる。松永幹夫にしては積極的な運びによって、前と後ろに1馬身ほど差が生まれる。サイコーキララはさらに大外。勢いあまって少しオーバーランしながらコーナーを回ってくる。その懐に飛び込んできたのがシルクプリマドンナ。藤田伸二は一瞬のスキを決して逃しはしない。岡部幸雄らしいインを巧みに使うコース取りでレディミューズが顔をのぞかせる。チアズグレイスの後ろから追ってくるのは若き幸英明のマヤノメイビーだ。大外にいったサイコーキララは石山の右ステッキに反応し、外へ逃げ気味に走り、チアズグレイスとの差を詰め切れない。坂下で先頭に立ったチアズグレイスはピンクのメンコがひと際目立つ頭の高い走りでゴールを目指す。それゆえに首を上手に使えない不格好な走りが愛らしい。坂を上がって追い詰めるのはマヤノメイビーとシルクプリマドンナ、わずかに遅れるサイコーキララもゴール前は再び加速し、前を追う。だが、粘り込むチアズグレイスは止まらない。さすがは牝馬のミキオ。その気にさせる手口が憎く、しっかり最後まで諦めさせない。最後は1馬身半とリードを保ち、ゴール板に飛び込んだ。桜の女神は4頭出しの山内厩舎に微笑んだ。つづくオークスは3着に敗れたシルクプリマドンナが勝ち、牝馬クラシック二冠を独占した。三つ柏が躍動した春だった。

駆けだしの馬券野郎だったバカな私は馬連ボックスでこのレースを的中させた。抽選対象だったマヤノメイビーをなぜ買い目に入れたのかナゾだが、ボックスの一角にはサイコーキララがいたのは覚えている。当時も今も1番人気を買い目に入れるのは珍しく、石山へのエールでもあった。眩い存在を正面から見ることはできなかったが、その眼の端にサイコーキララと石山はいた。

それまで足元にうっすらあった道を見失い、とんでもない場所に向かって歩み始めたあの頃の自分。もしそんな自分に声をかけるとすれば、どんな言葉がいいのか。「やめとけ」と忠告すればいいのか。それもどうも違う気がする。だが、「がんばれよ」も無責任な気がしてイヤになる。だからあえてこう言いたい。

「バカヤロウ」と。

写真:かず

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