[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]異人たちとの夏(シーズン1-30)

セレクションセール2日目が終わり、理恵さんの車に乗って碧雲牧場に戻ります。到着して真っ先に福ちゃんのもとに向かいました。2か月ぶりの再会になります。福ちゃんは僕のことを覚えてくれているでしょうか。ちょうど牧柵の近くに群れていましたので、近づいていくと、福ちゃん以外の馬たち(ツキくんやミーちゃん、サバちゃんなど)がワラワラと集まってきました。肝心の福ちゃんは、少し遠目に僕を見ながら草を食んでいます。毎月のように会いにきていたのに、2カ月間隔が開いてしまったことに怒っているのでしょうか(笑)。

他の仔たちを相手にしながら、最後に僕から福ちゃんに近づいていき、「久しぶりだね、元気だった?」と声をかけました。福ちゃんは返答するはずもなく、それでも顔や体を触らせてくれました。右目からは相変わらず涙の線が降りていますが、それ以外は全く問題なさそうです。左から見ると、普通の馬にしか見えません。日々成長している姿をYouTube越しに見つつ、たまにこうして実馬と触れ合えるのはオーナーである僕だけの特権かもしれません。

当歳のこの時期は、好きなときに食べて、寝て、遊んで、成長する姿を見せてくれるだけで良いのですが、来年のこの時期は将来のことを考えなければならなくなっているはず。ちょうどお姉さんが競走馬としての岐路に立とうとしているとき、来年のことなど知る由もない福ちゃんの未来をどうしても考えてしまいます。

慈さんが戻ってきて、お祝いの食事をすることになりました。慈さんと理恵さん、慈さんのお母さま、弟の暁洋(あきひろ)さん、みづきさん、みゆさん、そして山際牧場の山際さんまでやってきて、皆で一緒にお寿司やエビフライを食べました。変に気を遣ってもらうことのないよう、「ダートムーアの23の前祝いもですね」と言いながら、僕はなるべく明日のことは考えないようにつとめました。トウカイファインの23は2300万円で売れて、ダートムーアの23は誰にも買われないという、今日と明日の明暗をごまかそうとしていたのかもしれません。

翌日も朝早いため、慈さんたちは引き上げていき、僕も明日に備えて早めに寝ることにしました。この日の北海道は、東京に比べるとずいぶん涼しいのですが、日中の天気が良かったこともあり、やや蒸し暑くて寝苦しい夜でした。窓を全開にして、牧場からの風が入りやすくしながらも、部屋の扉は(自分の家ではないので)さすがに閉めて寝ました。眠りについたようで意識がわずかに残っている状態が続きます。

夢と現実の間を行き来していると、部屋の扉がバタンと音を立てて開きました。お化けでも出たのかと、夢うつつで考えていると、ふと目の前に慈さんのお父さまがいました。亡くなってから数年が経っているのに、僕は不思議なことにそのことを気にかけもせず、「明日のダートムーアの23は主取りになりそうです」と話しかけました。生産者の大先輩としての助言がほしかったのかもしれませんし、弱気な発言をただ受け止めて慰めてもらいたかったのかもしれません。

慈さんのお父さまはそのことには触れず、「昔は馬を売るのが大変だった」と苦労話を始めました。僕の望んだ会話ではありませんでしたが、それでも心が少し落ち着いてくるのを感じました。お父さまは、「生産をやっているとそういうこともたくさんあるし、もっと苛酷な時代を生き延びてきた生産者もいるのだから、あんまり気にするな」と言いたいのだと思いました。僕の意識が朦朧としていくのに伴い、気がつくとお父さまは消えていました。

こんな夢を見たのも、現実のように思えたにもかかわらず恐ろしく思わなかったのも、最近、久しぶりに山田太一著「異人たちとの夏」を読んだからかもしれません。主人公はシナリオライター。妻子と別れ、孤独な日々を送っていると、幼い頃に交通事故で死別した両親とそっくりな夫婦に出逢います。こみあげてくる懐かしさ。心安らぐ不思議な団欒。しかし主人公の恋人は、「もう決して彼らと逢わないで」と懇願します…。静かすぎる都会の一夏における、異界の人々との交渉を鬼気迫る筆で描き出した作品です。

大人になってから、時空を超えて若いときの両親と会うことで、無償の愛を感じ、両親の人格の素晴らしさや人間性に改めて気づかされ、そして小さい頃に思いっきり甘えられなかった郷愁が自分の心の中に残っていることを知るのです。すき焼き店における、両親との別れの場面は涙なしには読めません。

「いい?」と母が、座り直した。「気がせいて、うまくいえないけど、お前を大事に思ってるよ」 

「行っちゃうの?」 

そんな気がした。 

「お前に逢えてよかった」と父がいった。「お前はいい息子だ」 

「そうだよ」と母がいう。 

「よかないよ。ぼくはお父さんたちがいってくれるような人間じゃない。いい亭主じゃなかったし、いい父親でもなかった。お父さんやお母さんの方が、どれだけ立派か知れやしない。暖かくて驚いたよ。こういう親にならなくちゃって思ったよ。ぼくなんか親孝行面してるけど、お父さんたちがずっと生きてたら、大事にしたかどうか分からない。ろくな仕事もして来なかった。目先の競争心でーー」 

いいかけてハッとした。 

母の肩のあたりが頼りないのだ。輪郭はたどれるが、その向うが見えている。 

慌てて父を見ると、父の胸のあたりがもう消えかけている。 

僕もまったく同じです。良い夫でもないし、良い父親でもありません。父や母のように立派な大人になることができなかったし、僕にそうしてくれたように子どもに対して愛情を注いだり、時間をかけて遊んだりしてやることもなかった。自分が夫や親になった今も、いつまでも子どものように自分勝手に生きています。ちょっとしたことでイライラしてみたり、目先のお金に囚われているというよりもむしろ無頓着で、与えてもらった教育に見合うような社会貢献ができているかどうかも極めて怪しいものです。

朝、起きてみると、部屋の扉は開いていました。お父さんが入ってきたのは夢ではなかったのかと一瞬思いましたが、よく考えてみると、窓から吹き込んだ風の強さに押され、部屋の扉が勝手に開いたのだと分かりました。異人たちとの夏はやはり夢だったのです。

昨夜の夢のことを誰かに話そうと思いましたが、やめておきました。特に何の示唆もない話ですし、僕がセレクションセール前に変な感傷に浸っているように思われるのも嫌だったからです。福ちゃんたちに朝の挨拶に行き、いつもより早い朝食(昨日のお祝いの残りのうな丼)を食べていると、理恵さんが迎えにやってきました。慈さん夫妻は牧場から少し離れたところに住んでいます。

「行きますか」

僕は公開処刑に臨む死刑囚のように、何の感情もなく切り出しました。

(次回へ続く→)

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