[連載・片目のサラブレッド福ちゃんのPERFECT DAYS]ゆかりの牝系(シーズン1-64)

翌朝、福ちゃんに会いに行く前に、ムー子(ダートムーアの25)の様子を見に行きましたが、昨日と大きな変化は見られませんでした。一昨日と昨日で劇的な変化があったので、この日もさらに良くなっているかと期待はしていましたが、馬房で生気なく立ち尽くしている姿は同じでした。眠たくても寝れないのか、立ったまま舟をこいでいます。ふと意識が戻ってくると、母乳を探して震えながら歩き回り、しかし乳の場所が把握できていないため母馬の胸のところに吸い付いてみたり、乳房の近くまで行っても完全に探し当てることができずに戸惑ったり、ようやく吸えたと思ったらきちんと咥えられていないので口元から母乳が漏れ出てしまったりしています。

母乳がしっかり飲めていないのであばら骨が浮き上がるほど痩せこけ、しかも寝たいときに寝られないので常にボーっとしています。横になって寝ればいいじゃないかと思ってしまうのですが、四肢を折り曲げるという動作が意識的にできないのです。なぜこのようなことになってしまうのか、僕には分かりません。脳の一部に障害が起きているのか、神経系に異常をきたしているのか、とにかく生き物としてずいぶん奇妙な状態が続いているのです。目の前の事象に右往左往している僕の心を見透かすように、パートの青木さんが、「大丈夫ですよ。きっと良くなりますから!」と励ましてくれました。

馬房近くの放牧地には、今年生まれたばかりの当歳馬たちが放牧されていました。ユメノシラベから生まれたユメ子、マンドゥラから生まれたマン次郎(牡馬)、そしてフォーミーから生まれたミー子の3組です。同じ放牧地には、昨年で繁殖を引退してリードホースをしているトウカイファインもいます。昨年はミーちゃん、マンちゃんと、牝馬はちゃん付けにしましたが、今年はYouTubeチャンネル上も分かりやすくするために、ユメ子、ミー子と女の子たちは子、マン次郎と男の子は次郎を付けることにしたそうです。

ユメ子はダートムーアの25と同じダノンレジェンドを父に持つだけあって、煩い性格でマッチョな馬体だそうです。ミー子はドレフォンを父に持ち、牝馬とは思えないほど背が高く、骨量豊富な馬体を誇っています。ドレフォン産駒の牝馬はなぜか馬格がないことが多いのですが、ミー子は全くそんなことありません。フォーミーの仔出しの良さは素晴らしいものがあります。マン次郎は父(アドマイヤマーズ)に似たのか、明るい栗毛で派手な流星が入り、男の子なのに可愛らしい見た目です。

マンドゥラは今年、予定日よりもかなり早く出産しそうになったので(早く生まれすぎると未熟児になるため)、薬を投与したりして、なるべく遅らせようと試みたのですが、結局、この馬も放牧地で産まれてしまったそう。ミー子とは誕生日が1日しか違わないにも関わらず、すでにひと回りほど身体が小さいのはそれゆえでしょうか。ミー子が大きいといえばそのとおりですし、マン次郎が予定よりも早く生まれてしかもマンドゥラ自身が小さい馬なので余計に小さい。それでも元気に走り回る姿を見て、僕は不思議な感情に駆られました。

ユメ子と万次郎、ミー子たちがお互いにダンスをするようにして遊んだり、お母さんにピッタリとついて歩き回ったりしている姿を見て、激しいうらやましさに襲われたのです。嫉妬という感情ではありません。ただ単にうらやましいと強烈に感じたのです。もしかすると、これは心や身体に障害や病気を抱えて生まれてきた子を持つ親が、他の健康な子どもたちやその親たちに対して抱く感情なのかもしれません。ひどく自分たちが劣っているように思え、その分、普通に過ごしている他の親子が輝いて見え、うらやましくて仕方ないのです。

それにしても、フォーミーの当歳牝馬は、(当歳の馬体を見ても分からない)僕が見ても分かるぐらい立派な馬体をしています。慈さんも驚くほどです。モノが違うと言っても過言ではありません。兄に川崎マイラーズを勝ったムエックスがいるように血統的にも筋が通っています。セリで売ればかなりの金額になりそうですが、この仔は自分で走らせて、牧場に戻そうと考えていると慈さんは言います。トウカイファインとフォーミーのおかげで、牧場の経済が安定して軌道に乗ったこともあり、碧雲牧場にとっては功労馬の1頭だからです。

フォーミーの牝系をさかのぼってみると、母アンファテュエ、祖母バンビファバーの名が見えます。アンファテュエは碧雲牧場の生産馬であり、バンビファバーは白井牧場から譲ってもらった馬だそうです。白井牧場とは創業者である白井民平さんの時代から結びつきが強く、昨年、慈さんが慕っていた2代目の白井岳さんが亡くなってしまい、ユメノシラベを形見として引き受けたのはそのような経緯があるからです。ちなみに、今年の高松宮記念を勝ったサトノレーヴは白井牧場の生産馬。その祖母メガミゲラン、曾祖母モガミゲランから代々つないできた白井牧場ゆかりの血統です。どこの牧場にも、こうしたゆかりの血統や牝系があるのです。

バンビファバーは中山金杯やフェブラリーステークス(G1)を勝ったグルメフロンティアを産んだ名牝です。バンビファバーの仔であるアンファテュエが牧場に戻ってきてから産んだ初仔は、あの志村けんさんが所有したアインイチバンという馬です。慈さんのお父さまと志村けんさんは懇意にされていて、何頭か碧雲牧場の生産馬を買って走らせてくれたけれど、残念ながらあまり走った馬はいなかったそうです。そしてアンファテュエの仔のうちの1頭であるフォーミーが、碧雲牧場に戻ってきて今に至るという歴史の長さ。フォーミーはまさに碧雲牧場ゆかりの血統ですね。

バンビファバーからフォーミーへ、慈さんのお父さまから慈さんへとつながる長い歴史があり、ムエックスやミーちゃん、そしてミー子がいます。その長い時代の途中には、無数の走らなかった馬たち、病気や怪我でデビューできなかった馬たちがいたはずです。特に慈さんのお父さまが牧場を営んでいた時代は、バブルが崩壊して失われた何十年と呼ばれる、サラブレッド産業にとって最も苦しく厳しい時代でした。落胆とあきらめの中でもわずかに光る希望を親から子へとつないで、ようやく走る馬が1頭現れるのですね。サトノレーヴやムエックスのような馬たちは、スターのように一気に表舞台に登場したわけではなく、その陰には悲しみや労苦の長い歴史があるのです。そう考えると、僕が今味わっている絶望や経済的困窮などはちっぽけなものではないでしょうか。

その日、福ちゃんたちの撮影をしながらも、何度もダートムーアとムー子の元に足を運び、馬房の外から様子を観察しました。立ったままウトウトしているムー子を見ると、優しく横にして寝させたい気持ちになります。さすがのダートムーアも、すでに4日間、屋外に出ていないので気が立っているようです。飼い葉を食べることで気を紛らわせているようですが、とねっ子が母乳を飲むのがあまりにも下手なので嫌がる仕草を見せたり、お乳を飲みに近づいてきた仔を避けるような普段は見せない素振りをすることもあります。

生まれてから4日間は元気で自分の周りを跳び回っていた子どもが、急に倒れて元気がなくなり、今は立ったままほとんど動かず、しかもお乳の場所さえ朦朧として定かではなく、当てずっぽうな場所を変な吸い方をしているのを、何かがおかしいとダートムーアも感じているはずです。彼女がいちばん辛いのではないでしょうか。

そんな彼女たちに心を残し、僕は碧雲牧場を後にしました。

(次回へ続く→)

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