[連載・クワイトファインプロジェクト]第19回 2006年アルゼンチン共和国杯出走馬たちのそれぞれの生き様

JRAの規定では、視力を失ったサラブレッドは、原則として競走馬として登録できませんが、例外として登録後に片目のみを失明した場合は、平地競走に限り出走することができます。

……と、言葉で書くのは簡単ですが、レースにおいて多くのライバルたちと近接しながら勝負するサラブレッドにとって、片目の視界がない恐怖は計り知れないものでしょうし、それを導く騎手、ケアする厩舎スタッフの方々の労苦には頭が下がります。

片目の視力を失いながらも競走馬として活躍した馬のことを調べてみました。海外ではここ最近もいくつかの事例があるようですが、日本では、少し前になりますが2004年の日経賞の覇者で種牡馬にもなったウインジェネラーレという馬があげられます。

他にも、重賞勝ちはなかったもののウインジェネラーレと同年齢で芝中長距離のオープン馬として活躍したのがルーベンスメモリーという馬で、この馬も片目の視力を失っていました。

実は、この2頭が一度だけ同じレースで戦ったことがあります。それが、2006年アルゼンチン共和国杯です。いろいろ調べてこのレースにたどり着いた時、私は運命のいたずらめいたものを感じました。

 ウインジェネラーレは失明という不運に見舞われたもののタマモクロス後継として種牡馬入りして1世代だけでしたが産駒を残し、用途変更後も牧場で余生を過ごすことが出来たようです。一方で、この2006年アルゼンチン共和国杯出走馬たちの中には、その後過酷な運命に弄ばれた馬も少なくありませんでした。

 まず勝ち馬のトウショウナイト。武士沢騎手に初の重賞タイトルをもたらしたのがこの2006年アルゼンチン共和国杯でした。この後もずっと武士沢騎手とのコンビで日経賞を2年連続2着するなど活躍しましたが、調教中の事故のため残念ながら予後不良となってしまいました。

 5着馬がトウカイトリック。この頃はまだ重賞勝ちはありませんでしたが、このアルゼンチン共和国杯で当時は短期免許での来日であったクリストフ・ルメール騎手とコンビを組みます。この後2戦を挟み、2007年2月のダイヤモンドSでルメール騎手に導かれ重賞ウイナーの仲間入りを果たします。この後の活躍は説明するまでもないでしょう。長距離重賞の常連として天皇賞・春に7年連続出走やメルボルンCに挑戦するなど記憶に残る馬でしたが、この馬も引退後ほどなく放牧中の事故のためこの世を去ることになってしまいました。

そして、私が個人的にもっとも忘れがたいのが、2着馬アイポッパーです。

このコラムでも書いたことがありますが、私は今も日本競馬にとって本来最も残すべき父系はディクタス→サッカーボーイだったと思っています。この血を絶やしてしまったことは日本競馬にとって計り知れない損失だったと自責の念に駆られているほどです。

アイポッパーは父サッカーボーイの晩年の産駒としては最も活躍した1頭です。長距離馬であったため、仮に無事で引退しても種牡馬にはなれなかったかも知れませんが、それでも天皇賞・春を勝てば何とか種牡馬入りの道が開けるのではと淡い期待を抱いてずっと応援していました。

アルゼンチン共和国杯2着の後、ステイヤーズSでオリビエ・ペリエ騎手を背に初の重賞タイトルをつかむと、続く阪神大賞典を武豊騎手とのコンビで連勝。安藤勝己騎手とのコンビで臨んだ天皇賞・春では1番人気に支持されました。

結果は4着。スタートや位置取りがどうとか、武豊騎手が続けて乗ってくれていればとか、今さら振り返ってもどうにもなりませんが、競馬の神様はサッカーボーイの血に少しだけ冷たかったようです。この馬自身はずっと蹄が弱く、陣営の方がそのケアにご苦労されていたという話も記憶しています。結局、8歳の秋に蹄葉炎が悪化し安楽死処分となってしまいました。

ウインジェネラーレに話を戻しますと、重賞タイトルは2004年日経賞の1つだけでしたが、負かした相手がゼンノロブロイだったこともあり潜在能力を買われて種牡馬入りすることができたようです。結果としてタマモクロスの産駒で種牡馬になったのはこの1頭だけです。事情はわかりませんが種牡馬生活は供用1年間、3頭の牝馬への種付けを行い血統登録された産駒は2頭という結果に終わりました。

タマモクロス自身が活躍したのは私が競馬に関心を持つ前でしたので現役時代の記憶はまったくありませんが、プロジェクトを応援していただいている方の中にはタマモクロスのファンの方もいらっしゃいますし、その方からもタマモクロスの血が途絶えていくことに何もできなかった口惜しさがあるのでクワイトファインのプロジェクトを応援します、と言っていただいた言葉は今も私の心に突き刺さっています。ウインジェネラーレが片目の視力を失うという艱難辛苦を背負いながらも、タマモクロス唯一の後継種牡馬になれたこと、そして非業の死を遂げたライバルたちの分まで穏やかな余生を送れたことも、様々な運命の巡りあわせだったのかなと思います。

最後になりますが、そもそも私が片目の視力を失ったサラブレッドのことを調べたのは、同じく2006年に活躍した「ある馬」のことがきっかけでした。しかし、その馬については、私が今書くべきではないと思います。当プロジェクトとも深い関係のあるその馬の生涯についてもぜひ読者の皆様に知っていただきたく、機会を別に設けたいと考えています。

写真:たまもくろすはうす( @tamamocrosshous )

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