
武豊騎手の勝負服といえば。
その問いに対する答えはファンの年代によって色々違ってくる。40年近くトップジョッキーであり続ける男に対する答えは多彩であり、その歴史にこそ武豊騎手の価値がある。個人的に答えるとするなら、「紫、白鋸歯形」。臼田浩義氏の勝負服だ。そう、はじめて栄光の日本ダービーを手中に収めたスペシャルウィークの馬上にいた武豊騎手がもっとも輝いてみえた。あれから30年近く。ずいぶん長い時間が過ぎた。大物個人馬主のひとりでもあった臼田氏は2010年以降、馬主業から順次撤退したため、あの勝負服自体を目にする機会はなくなり、臼田氏も2019年にお亡くなりになった。「紫、白鋸歯形」の勝負服で最後に重賞を勝ったのは京成杯オータムハンデのファイアーフロート。2006年生まれであり、臼田氏が所有した最後から4番目の世代にあたる。この世代には重賞ウイナーがもう一頭いる。それがダービー2着馬リーチザクラウン。その鞍上は武豊騎手。この勝負服をまとい、主戦騎手を務めた最後の馬だ。

そのデビュー戦は2008年10月26日京都5R芝1800m。鋭い競馬ファンならピンとくるだろうか。のちに「伝説の新馬戦」と称されるレースだ。このとき、リーチザクラウンの手綱は小牧太騎手がとった。武豊騎手は別の馬に騎乗しており、おそらく先約があったのだろうと推察できる。勝ったのはのちに皐月賞を勝つアンライバルド、リーチザクラウンは中団から差し届かず2着、3着ブエナビスタ、4着スリーロールスとのちのGⅠ馬に挟まれる形で敗れた。2戦目の未勝利戦は同年11月16日京都3R芝1800。武豊騎手が手綱をとり、単勝1.2倍の圧倒的な1番人気に支持された。武豊騎手はスタートを決めると、前に行くように促すと、リーチザクラウンは小気味よく先頭に立たんとダッシュをきかせる。内から2頭が競りかけるや、武豊騎手は一旦、引く姿勢をみせる。行きたいなら行かせればいい。そんな競馬を想定していたようだ。ところが、抑えにいった瞬間、リーチザクラウンにスイッチが入った。あふれるばかりの速く走りたい気持ちを表現してくる。ここで機転を利かせられるのが武豊騎手が天才たるゆえん。手綱を緩め、リーチザクラウンに速く走っていいよとメッセージを飛ばす。鞍上からレースを任されるや、踊るように先頭に飛び出し、後ろをじわじわと引き離していく。夢中になって走った結果が2着馬に大差圧勝。「伝説の新馬戦」2着馬の底力に震えるほどのスケールを抱かせた。
次走千両賞を安藤勝己騎手で逃げ切り、2勝目をあげ、いよいよ重賞に挑戦する。それも2000mに挑んだラジオNIKKEI杯2歳Sでは武豊騎手とともに果敢に逃げ、厳しいラップを刻んでいくも、余裕でついてくる馬が一頭だけいた。それがのちにライバルとなるロジユニヴァースと横山典弘騎手。残り200mでかわされると、4馬身と大きな差をつけられて敗れた。これまで逃げればついて来られる馬がほぼいなかったリーチザクラウンにとってある種ショックを受けるような敗戦だったといえる。
年が改まり、3歳。リーチザクラウンはきさらぎ賞から勝負の春へ歩みはじめる。単勝1.5倍。敗れたとはいえ、暮れにみせたパフォーマンスは文句なし。それがファンの評価ではあった。それは納得である一方、心配はあった。気分よく走り、マイペースに持ち込んだ逃げ馬があっさりかわされた心理的ダメージはファンが考える以上に大きい。自信を砕かれた次こそが試練であり、そこで立ち上がれるから強くなれる。これは人も馬も同じ。大きな心ほどダメージはあり、その傷はそう簡単には消えない。だが、その傷が埋まったときにはさらに大きな心を築くことができる。ただし、それには時間が必要だ。よく「切りかえろ」と声をかけるが、「わかっちゃいるけど、待ってくれ」といいたくなる。解決には時間がほしいからだ。はたしてリーチザクラウンは2ヵ月ちょっとで立ち上がることができるのか。その内面が心配だった。

そんな時こそ武豊騎手。そのエスコートが必要だった。そして、武豊騎手はリーチザクラウンの心に寄り添うような騎乗をみせる。同じ舞台の未勝利戦で繰り広げた主導権を渡すような形ではなく、きさらぎ賞でしっかり主導権を握ってレースを進める。あくまでそっと先頭に立たせ、急かさず、ゆっくり走っていいよと合図する。いわゆるスローの溜め逃げはこの先のクラシックを睨んだ上で必要な走りだったのは事実だが、もしかすると、リーチザクラウンが再び立ち上がるきっかけを与えようとしていたのではないか。夢中にならなくていい。ゆっくりいっても勝てる。これまでリーチザクラウンが知らなかった競馬は次に進むべき道を示す役割もあった。後ろをしっかり引きつけて迎えた最後の直線、武豊騎手のゴーサインにリーチザクラウンは呼応した。待ってろ、ロジユニヴァース。リーチザクラウンがファイティングポーズを取り直した瞬間がそこにあった。最後は2着リクエストソングに3馬身半。この勝利を契機に皐月賞、ダービーへと向かっていく。やはり、「紫、白鋸歯形」をまとった武豊騎手は華麗であり、頼もしい。
そして、リーチザクラウンと武豊騎手をダービーで差し切ったのが横山典弘騎手とロジユニヴァース。この二人がダービーで1、2着になったのは2025年まででたった一度だけ。そこにはまた別の物語がある。

写真:Horse Memorys
