そこで勝利することが、ホースマンにとって最高の栄誉となる特別な一戦「東京優駿・日本ダービー」。
勝利した騎手は「ダービージョッキー」、調教師は「ダービートレーナー」という称号が与えられ、競走馬は一生に一度の舞台で勝利した「世代最強馬」として後世に語り継がれる。
まさに格式の高い伝統の一戦だ。
これまで数々の名勝負を繰り広げてきた3歳馬たち。
今回はその中でも、多数のG1馬を輩出して非常にレベルが高い世代と言われた2007年生まれの競走馬たちがしのぎを削った2010年の東京優駿について振り返っていく。
2009年の阪神開催でデビューしたエイシンフラッシュは新馬戦こそ敗れたものの、未勝利戦で後に主戦となる内田博幸騎手と共に初勝利を挙げる。その後は萩ステークスで3着、4戦目に出世レースのエリカ賞を勝利し2歳でオープンに昇級した。
そして年が明け、3歳となる。
クラシックを見据えた年明け初戦。その大事な一戦に陣営が選んだのは、京成杯だった。
これがエイシンフラッシュにとっては初遠征。さらに鞍上は落馬事故により負傷した内田騎手に替わって、初騎乗となる横山典弘騎手とのコンビ。
エイシンフラッシュにとっては初めての条件が重なっているレースだった。
しかしレースでは大外枠から好スタートを切ると食い下がる2着馬を抑え込んで優勝。重賞初制覇となった。タイトルを持って挑んだクラシック1冠目皐月賞でも11番人気ながら追い込んでの3着。重賞やG1でもぶれない安定感を見せていた。
そして、皐月賞3着から挑んだ東京優駿。
この日の東京競馬場は絶好の天候とは言えないものの、それでも多くの競馬ファンが特別な「ダービーデー」を堪能すべく朝早くから集まっていた。
10Rに設定された東京優駿は、皐月賞を制したヴィクトワールピサと青葉賞を制したペルーサの一騎打ちムードだったように思える。少なくとも、エイシンフラッシュは7番人気という評価だった。皐月賞から少し人気は上がったものの、それでもファンからの期待は薄かったのだ。
国歌斉唱の後にファンファーレが鳴り響きいよいよダービーのスタート。スタンド前からの発走でファンの視線が一転に集まる。
ゲートオープンの後に大歓声。
17頭が一斉に飛び出した。
先に抜けたコスモファントムやアリゼオを、外からシャインが追いかける展開。人気のヴィクトワールピサは中団前、エイシンフラッシュとペルーサは中団後ろという体制。ペースは中盤に1ハロン13秒台が続くなど、非常にゆったりとしたペース。
各馬が一団となって、直線に向かった。
アリゼオが二の脚を使って先頭を守ろうとする。
しかし外からローズキングダムが、内をついてトゥザグローリーも伸びてきた。
残り200mで先頭争いが横一線になり、中からは白い帽子エイシンフラッシュが抜け出してくる。続いてローズキングダム。皐月賞同様に内をついたヴィクトワールピサは伸びきれず3番手争いとなる。
ゴール前までローズキングダムが迫るも、内田騎手の豪快なステッキに応えクビ差凌いだエイシンフラッシュが1着でゴールイン。その瞬間内田騎手は右手で持ったステッキをスタンドに掲げた。
最後の600mを32秒7で駆け抜けた豪脚は、まさに名のごとく閃光のようであった。
このレースで内田騎手を管理する藤原英昭調教師は共に初めてのダービー制覇。
特に内田騎手は南関東競馬からの移籍の際もダービージョッキーになることを目標として掲げていた、その思いが叶った瞬間でもあった。
閃光のごとくダービー馬に輝いたエイシンフラッシュは6歳までG1戦線で戦い、平成競馬史の名場面として語り継がれる天覧競馬の天皇賞秋を制覇。
まさにダービー馬の威厳を、レースを通じて私たちに届けてくれる1頭であった。
無観客のダービーは従来の大歓声はないものの、私たちを魅了してくれる格式高い戦いは変わらず届けてくれるだろう。今年も歴史に刻まれるダービー馬が誕生する瞬間を、見届けよう。
写真:Horse Memorys