サイコーキララ - クラシックは勝てずとも忘れられない、世代屈指の天才少女。

フェブラリーステークスが終わり、街のそこかしこで次の季節の兆しを感じ始めると、春競馬の季節がやってくる。春競馬といえば、なんと言ってもクラシックという人も多いだろう。

その幕開けに行われるのは、明け3歳のタレントたち、父母に名馬の名前をちりばめた良血たちを中心に、出世レースと呼ばれる条件戦や3歳限定重賞などを勝ち抜いてきた優駿たちが鎬を削るトライアルレースである。チューリップ賞やディープインパクト記念弥生賞、フィリーズレビューやスプリングステークス。歴代の勝ち馬に名だたる名馬や良血馬が名を連ねるトライアルレースでは、出走する3歳馬の陣営の思惑がぶつかり合い、悲喜こもごもの結果を生んできた。

今でも伝説に残る名馬たちには、そんなトライアルレースを勝ち抜いて主役の座を射止め、名馬の階段を駆け上っていった者たちが数多くいる。しかしここでは彼ら・彼女らではなく、一流馬になろうともがきながらも、残念ながら頂点には立てなかった馬にスポットを当ててみたい。

サイコーキララ。1997年5月1日生まれ。牝馬。

父はアリダー直仔の外国産馬、リンドシェーバー。母はサイコーロマン。母の父はモーニングフローリック。北海道は浦河町の高昭牧場の生産。管理厩舎は、ビワハヤヒデやビワハイジ、ファレノプシスと名馬を輩出した栗東の浜田光正厩舎。馬主は㈱中村。主戦騎手は浜田厩舎所属の石山繁。

彼女が栗東トレーニングセンターに入厩した1999年当時は、日本の競馬界は輸入種牡馬の産駒が席巻していた。中でも突出していたのがサンデーサイレンス。初年度からジェニュイン・タヤスツヨシ・ダンスパートナーなどクラシック馬を輩出し、あれよあれよという間に日本のサイヤーラインを次々と塗り替えていた。次いで挙がるのは、ブライアンズタイム。こちらも凄まじい破壊力でクラシック三冠レースを制圧したナリタブライアンを筆頭に、チョウカイキャロル・マヤノトップガンなど大舞台に強い大物を続出していた。さらにトニービンも欠かせない。初年度産駒からベガ・ウィニングチケットといったクラシック馬を送り出し、主に東京競馬場での無類の強さを見せていた。

対してサイコーキララの父リンドシェーバーは、早逝したアメリカの名馬アリダーの後継として希少な血脈を残すべく大きな期待を背負っての種牡馬入りであったが、未だGⅠ馬は輩出してはいなかっため、産駒の勢いで言えば上記三頭に大きく水を開けられていた。結論として彼女は、世界的にはアリダーの血を受け継ぐ牝馬という名血なのだが、日本競馬のトレンド、良血の流行からは少し外れていたと言って良いだろう。

騎手に目を向けると、彼女に跨ることとなる石山繁騎手は、1995年に競馬学校騎手過程を卒業して栗東の浜田光正厩舎所属としてデビュー。デビュー初年度の勝ち星は17勝で、3年目の1997年からは障害競走の騎乗も開始した。そんな彼が、若手ジョッキーの一群から一歩抜け出せるチャンスは、意外に早くやってきた。1997年11月、浜田厩舎からデビューするファレノプシスの鞍上を任されたのである。このファレノプシス、父はブライアンズタイムに母はキャットクイル、三冠馬ナリタブライアンと4分の3同血という超良血であり、馬主である(有)ノースヒルズマネジメントも厩舎サイドも翌年のクラシックに大きな期待を持って送り出そうとしていた。その彼女の騎乗チャンスに恵まれた彼は、ダートでのデビュー戦を2着に9馬身差をつけて2歳レコードタイムでの圧勝を収めた。続く条件戦、年明け緒戦のエルフィンステークスを快勝。春に控えた牝馬クラシック戦線への最有力候補と目された。しかし一番人気で迎えた3月のチューリップ賞で試練が訪れる。ゲートで出遅れ、道中から直線にかけて終始馬群に包まれ、抜け出せないままにダンツシリウスの4着に敗れたのだ。痛恨の騎乗ミスにより、桜花賞本番で彼女の背にいたのは、石山騎手ではなく、武豊騎手だった。乗り替わりの苦い痛みを、桜花賞を勝って称賛を浴びる元のパートナーの姿を、石山騎手はどんな思いで受け止めていたのだろう。

1999年12月12日、阪神競馬場で行われた芝1200mの新馬戦で、サイコーキララはデビューした。鞍上には石山繁騎手。2.4倍の1番人気に推された彼女は、二着ハツノブライアンに1.1秒の差をつけて快勝した。明けて2000年1月15日、京都競馬場で行われた紅梅ステークスに出走した彼女は、生涯のライバルとでもいうべき好敵手と出会う。日本を席巻するスーパーサイヤー・サンデーサイレンスの産駒であるチアズグレイスである。

サイコーキララは4番人気5.1倍と伏兵的な扱いだったのだが、レースでは道中は3番手から4番手あたりにつけ、直線で追ってきた2番人気チアズグレイスを1馬身抑え1着でゴールした。次走は2月5日、京都競馬場の芝1600m、出世レースと呼ばれるエルフィンステークスに出走し、再び対戦したチアズグレイスに3/4馬身差で勝利し、デビューから3連勝を飾った。

クラシックの声が聞こえてきた3月、サイコーキララは桜花賞トライアルレースに主役の一頭として挑戦することとなった。3月12日に行われる阪神競馬場芝1400m戦、報知杯4歳牝馬特別である。無敗の3連勝を好感して、単勝1.4倍の1番人気に支持されたサイコーキララ。ここでも彼女は強敵と巡り合う。それが、ブライアンズタイムを父に持つ、ダートで2連勝中の新星シルクプリマドンナと、トニービン産駒で母にフランスのGⅠ勝ち馬スキーパラダイスを持つエアトゥーレの2頭だった。

レースでは、ゲートが開くといちばんいいスタートを切ったのはシルクプリマドンナ。マイスッピンガールがこれをかわして先頭に立つ。サイコーキララは折り合って3番手あたりにつけ、エアトゥーレは後方を進んだ。そして、4コーナーを回って直線。サイコーキララは楽に抜け出し、先行して粘り込みを図るシルクプリマドンナに1馬身3/4の差をつけて、無敗の4連勝を飾った。シルクプリマドンナが2着、エアトゥーレが3着。サイコーキララ鞍上の石山騎手は、2年前のファレノプシスでの苦い経験を払拭する手綱さばき。これが人馬共に重賞初勝利であった。

クラシック本番の桜花賞を迎えた4月10日、トライアルレースを横綱相撲で勝ち切ったサイコーキララを、競馬ファンは単勝1.8倍の1番人気で迎えた。流行りの血統であるサンデーサイレンスでもブライアンズタイムでもトニービンでもない、日本で現役生活を送ったリンドシェーバーの産駒を1番人気に推したことや、また鞍上にはまだまだ重賞実績の少ない若手の石山繁騎手でありながらのこの人気の集中ぶり、いかに前走の4歳牝馬特別でのサイコーキララのパフォーマンスがインパクトのある勝ち方であったかを物語っていると言えるだろう。強敵であるチアズグレイスとの直接対決では2戦2勝、シルクプリマドンナやエアトゥーレとも1戦1勝であり、もう既に勝負付けが済んだとの見方もあった。

阪神競馬場の咲き誇る桜の下、ゲートが開いた。エアトゥーレが大きく出遅れるなか、サイコーキララもスタートでやや出負けしてしまう。ジョーディシラオキが逃げる展開、3番手につけるチアズグレイス。その後方にミスワキ産駒のマヤノメイビーとシルクプリマドンナがポジションを確保する。そしてサイコーキララは道中は予定より後方の中団外めを追走。4コーナーを回って直線へ。一足先に抜け出してスパートをかけるチアズグレイス。追いすがろうと脚を伸ばすマヤノメイビーとシルクプリマドンナ。サイコーキララも外を回って追いかけるが、いつものようには伸びない。早めスパートからセーフティーリードを取ったチアズグレイスが先頭でゴールイン。2着にマヤノメイビー。サイコーキララはシルクプリマドンナにもかわされて4着となり、連勝は途切れてしまった。

クラシック最初の一冠を逸して、サイコーキララは自身の適性から見て不向きとも思えるオークスへと歩みを進めた。一生一度のクラシックで何とか一冠でも獲らせたいという陣営の思いでもあろうが、前走で敗北したことや、父リンドシェーバーという血統で距離が不安視されたことなどから、競馬ファンの評価は4番人気であった。5月21日、レースでは逃げたレディミューズが1000メートル通過63秒5の超スローペースで逃げる展開に。サイコーキララは3番手あたりにつけて折り合いに専念した。その後方に桜花賞馬チアズグレイスと1番人気シルクプリマドンナ、マヤノメイビーは後方。距離ロスを考慮してか直線でインを突いたサイコーキララ。しかし思ったほど伸びない。ゴール前は先行各馬の争いになり、シルクプリマドンナの藤田騎手が右手を上げてガッツポーズ。2着はチアズグレイス。サイコーキララは6着に終わった。レース後、右前脚の落鉄が判明した。

オークスの結果は、やはり距離の適性がモノを言ったという考えが大半であった。陣営は秋はローズステークスから復帰する青写真を描いていたが、右前脚に屈腱炎を発症し回避、放牧に出された。

春のクラシックを戦い抜いた2000年牝馬クラシック上位組であるが、実はこの後勝ち星を挙げている馬はいない。桜花賞馬チアズグレイスは2戦0勝、桜花賞2着馬マヤノメイビーはオークス後引退、オークス馬シルクプリマドンナは10戦0勝である。サイコーキララもまた屈腱炎に悩まされたのち、2001年の夏、札幌開催のクイーンステークスで1年3か月ぶりに復帰するも11頭立ての11着と精彩を欠き、そのまま引退となった。

長年競馬を見ていると、このように世代をリードするべきクラシック上位組が、古馬になると全く衰退してしまう例を見ることがある。世代間のレベルの差もあるだろうが、一頭一頭の馬にとってクラシックとはそれだけ消耗を強いられる過酷な通過儀礼であり、陣営も馬主もそして馬自身も、全身全霊をかけて獲りに行く何物にも代えがたい勲章であると言えるのではないだろうか。ついGⅠ 勝ち星の数があたかも馬の評価と直結するように錯覚してしまうことがある。しかし時には一つのレースについて、一頭一頭の馬に想いを馳せ──苛烈な戦いに鎬を削る彼らを、高配をもたらす使者としてだけではない存在として見守り続けたいと思う。たとえ記録的な勝ち星を重ねられずとも、彼らの輝いた瞬間をこそ憶えていることが、過酷なクラシックロードを生きた彼ら彼女らにしてあげられる、唯一のお返しなのだろうと思う。そう、例え伝説にならなくとも、ぼくは彼女を忘れない。

写真:かず

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