2000年8戦8勝、通算26戦14勝。獲得賞金は18億円を超える。
2004年にはJRA顕彰馬にも選出された、超名馬・テイエムオペラオー。
その26戦全てで鞍上を任されたのが、当時の若手・和田騎手だった。
今回はそんな和田騎手に、当時のライバルやテイエムオペラオーの持っていた素質について伺ってきた。(本記事は、新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』収録の和田騎手インタビューから、本編には載らなかったこぼれ話のご紹介となります)
「上の世代の一線級は化け物揃い」
「テイエムオペラオーの走っていた時代は、競馬そのものも面白い時期だったと思いますね。テイエムオペラオーにとってよかったかは別として、上の世代の一線級は化け物揃い。今でこそ牝馬が強いですけど、当時は強い牡馬がガンガンぶつかり合っている時代でした」
和田騎手は、テイエムオペラオーとともに駆け抜けた時代をそう振り返る。
テイエムオペラオーは1998年にデビューし、2001年に引退。20世紀がおわり21世紀が幕を開けた時代、競馬界は大いに盛り上がっていた。
テイエムオペラオーのひとつ上の世代の代表といえば、グラスワンダーやエルコンドルパサー、スペシャルウィークやセイウンスカイなど。歴史に名を残す名馬がひしめき合っていた世代である。
テイエムオペラオーと和田騎手は、菊花賞2着後にステイヤーズSを挟んで有馬記念に参戦。スペシャルウィーク・グラスワンダーと直接対決し、その強さを目の前で感じた。
「あの2頭は本当に強かったですね。スペシャルウィークとグラスワンダーのどちらが強いか、と聞かれることがあるんですが、あの2頭は同じだけの能力があったと思います。どっちが上か、というレベルにはない存在と言いますか。的場さん(グラスワンダー)と、豊さん(スペシャルウィーク)の駆け引きや、レースの展開などで、100回やれば100回結果が変わるような間柄だったと思います」
1999年の有馬記念は、1番人気グラスワンダー・2番人気スペシャルウィークによるハナ差のワンツー決着。5番人気だったテイエムオペラオーは、その2頭に続くクビ差の3着でゴールを果たしている。上位2頭には敗れつつも、同期のナリタトップロード・フサイチエアデールや、年上のメジロブライト・ステイゴールドらには先着した。
「あの時期は、ダービーから続く4連敗中で、かなり悪い流れの中での出走でした。前走ステイヤーズSで負けたのもショックが大きかったです。ただ、有馬記念では3着ではありますが、久々に強いテイエムオペラオーが見せられました。大舞台で改めて力のあるところを見せられたことで、自信がつきましたね。スペシャルウィークはそこで引退でしたし、来年はテイエムオペラオーが成長してさらに力をつけるだろうという確信もありました。翌年は、私が負けてもテイエムオペラオーに乗せ続けてくれたオーナーのご厚意に応えられるような一年になるだろうと感じたんです」
「メイショウドトウは本当に強い馬でした」
有馬記念で感じた手応えの通り、翌年は年間無敗の8連勝を達成したテイエムオペラオー。
京都記念・阪神大賞典・天皇賞(春)・宝塚記念・京都大賞典・天皇賞(秋)・ジャパンC・有馬記念と、中長距離路線の王道を勝ち続けた。まさに伝説の一年とも言える。
「年明けから周りとの力の差も顕著になってきて、深く考えなくても勝てるようになっていました。古馬になってグンと伸びたのか、それとも未熟だった自分がようやく彼の本当の強さに気付けたのかはわかりませんが……(苦笑)」
競馬の前はあまり物事を考えず、淡々と生活したいタイプだという和田騎手。
1年間無敗を達成したのは、そうした生活を送れたことで、集中力を保てたことが大きいのだとか。「この時期に結婚したんですが、奥さんの支えも大きかったです。家で競馬の話をするタイプではないですし、奥さんも競馬を知らないので、逆にリラックスできた部分も大きいです」と振り返る。
2000年にテイエムオペラオーが成し遂げた連勝街道。その中でも、今でも語り草となっているのが、メイショウドトウとの関係だ。
同期のメイショウドトウは、クラシックとは無縁だったが、初めてG1挑戦した2000年宝塚記念で2着と好走。秋の初戦オールカマーを快勝したものの、天皇賞(秋)・ジャパンC・有馬記念と3戦連続でテイエムオペラオーの2着に敗れた。さらに翌年の天皇賞(春)でもテイエムオペラオーの2着となり、ファンの中でも「また2着か……」「テイエムオペラオーさえいなければ……」と言われるほどだった。
「メイショウドトウは本当に強い馬でした。決して、善戦マンのような扱いを受けるべき馬ではありません。いつも『あの馬さえ負かせば勝てる!』と思って乗っていたほどですよ。メイショウドトウのすごいところは、どんな条件でも走るところ。着順を拾いにいく競馬じゃなくて、常に勝ちにいく強気の競馬をしていました。普通は勝ちにいくと、負けた場合は4〜6着あたりに沈むものですが、あの馬は2着に食い込むんです。とんでもない馬です。ジャパンCだって、世界のデットーリ騎手・ファンタスティックライトに先着していますから。本当にタフでしたね、まだ生きている(2022年8月現在)というのも、それを証明している気がします」
2001年になると、テイエムオペラオーは大阪杯で4着に敗れる。天皇賞(春)では勝利をあげたものの、宝塚記念では遂にメイショウドトウに先着を許し敗北。放牧明けにあげた京都大賞典での勝ち星が最後の勝利となり、天皇賞(秋)とジャパンCでは2着、有馬記念では5着と3連敗での引退となった。
「あのシーズンももっとやれるものだと思っていたのですが……。下の世代は勢いもありました。テイエムオペラオーへの研究が進み対策をとられたというのもありますが、勝った馬(アグネスデジタル、ジャングルポケット、マンハッタンカフェ)も、素晴らしい走りで勝利しています。認めたくはないですが、世代交代があったということでしょう」
「もう一生出会えないような名馬」
テイエムオペラオーは、デビュー間も無く骨折をしたことがある。長期の休養を挟み、復帰してから出走した2戦は、いずれもダート戦だった。和田騎手は、そこにも可能性を感じたという。
「ダートを選択したのは骨折の影響もあるでしょうし、まずは脚元の様子をみるためだったと思うんですが、ここでもちゃんと走って勝ち上がれたのはすごいことだったと思います。欧州血統なので重い馬場もこなせましたし、そのままダート路線でやっていってもある程度やれたんじゃないでしょうか」
実際、テイエムオペラオーの産駒は、2021年までにあげた113勝のうち、ダートで58勝をあげている。もしかすると本当に、ダートでも歴史に名を残す活躍をしたのかもしれない。
「こうしてテイエムオペラオーの戦績を振り返るとき、どうしても悔しいレースが先に頭に浮かびます。本当は、勝ったレースを思い出したいんですが、いまだに頭から離れない敗戦はあります。特に前半は、未熟さにより負けたレースも多かったですから……。ただ、あの時期だからしんどかったんでしょうけど、あの時期だからこそよかったとも思っています。あの日々は、自分にとって必要なものでした。あれがなければ、騎手として全然活躍していなかったかもしれません」
テイエムオペラオーは、テイエムトッパズレ・テイエムエースといった障害重賞馬、交流ダート重賞で活躍したテイエムヨカドー、ダートOP競走・昇竜Sを制したテイエムヒッタマゲなど様々な産駒を世に送り出す。そして2018年5月17日にテイエムオペラオーは心臓麻痺により急逝する。22歳だった。和田騎手は、天にのぼった戦友を、今でも思い返すことがあるという。
「もう一生出会えないような名馬だと感じています。たくさんの馬に乗せていただいて、同じようなレベルの馬を見つけようと思ってもなかなか……。ただ、自分自身はテイエムオペラオーに相棒として認められたわけではないとも思っています。今でも上で笑っているかもしれないですね。本当に、感謝しています」
きっとテイエムオペラオーも、天から応援しているに違いない。
写真:かず
聞き手・文:緒方きしん
テイエムオペラオーの世代にスポットライトをあてた新書『テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち』が2022年10月26日に発売。
製品名 | テイエムオペラオー伝説 世紀末覇王とライバルたち |
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著者名 | 著・編:小川隆行+ウマフリ |
発売日 | 2022年10月26日 |
価格 | 定価:1,199円(本体1,090円) |
ISBN | 978-4-06-529721-6 |
通巻番号 | 236 |
判型 | 新書 |
ページ数 | 240ページ |
シリーズ | 星海社新書 |
内容紹介
君はあの完璧なハナ差圧勝を見たか!
90年代後半に始まるサンデーサイレンス旋風。「サンデー産駒にあらずんば馬にあらず」と言っても過言ではない時代にサンデー産駒の強豪馬たちと堂々と戦いあった一頭の馬がいた。クラシック勝利は追加登録料を払って出走した皐月賞(1999年)のみだったが、古馬となった2000年に年間不敗8戦8勝、うちG15勝という空前絶後の記録を達成する。勝ち鞍には、いまだ史上2頭しか存在しない秋古馬三冠(天皇賞、ジャパンC、有馬記念)という快挙を含む。競馬ファンのあいだで「ハナ差圧勝」と賞賛された完璧な勝利を積み重ね、歴史が認める超一流の名馬となった。そのただ1頭の馬の名をテイエムオペラオーという。