時には昔の話を~1991年報知杯4歳牝馬特別・イソノルーブル〜

時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望を託した

ゆれていた時代の熱い風にふかれて
体中で瞬間を感じた そうだね

「時には昔の話を」(1987年) 作詞・作曲:加藤登紀子

「おときさん」の愛称で知られる、加藤登紀子さんの名曲。
1992年に公開された、スタジオ・ジブリのアニメ映画「紅の豚」のエンディング・テーマとしても採用されている。

郷愁、ノスタルジー、あるいは寂寥感たっぷりのピアノのイントロ。
淡々としながらも伸びやかで、そして曲が進むごとに重みと厚みを増していく加藤登紀子さんの歌声。
聴く人の胸にそっと仕舞われていた、大切な風景を想起させてくれる。

歳を重ねるごとに味わいが深くなる、珠玉の名曲である。

時には昔の話を。
昔、という語の指す時間は、聴く人それぞれだろう。

10年前。あるいは、20年前。それとも、30年前。

「十年ひと昔」という言葉があるように、10年という年月は、社会や人のありようも、関係性も、大きく変えていく。
いまから10年前の2011年といえば、ヴィクトワールピサとトランセンドがドバイワールドカップでワンツーフィニッシュを決め、震災禍に沈む日本に勇気を与えたことが思い出される。

これが30年になると、世代や時代という言葉に代替されるような、ある種のノスタルジーが生まれるようだ。

2021年から30年前、1991年。
前年の菊花賞馬・メジロマックイーンが父子三代の天皇賞制覇を達成し、「皇帝の息子」トウカイテイオーが無敗の二冠馬となった年。

その春の、桜花賞トライアル。

時には、そんな昔の話をしてみたい。

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1991年、3月17日。

デビューから4戦4勝のイソノルーブルは、GⅡ・報知杯4歳牝馬特別に出走してきた。

彼女は、抽せん馬だった。
セリ市場でJRAが購入した馬を一律価格で馬主に譲渡した競走馬を指し、2003年まで「抽」の文字を丸で囲って表記されていた、抽せん馬。
その言葉の響きからか、比較的安価な価格からか、抽せん馬は人気にならないことが多かった。

イソノルーブルもまた、当初はその実力通りに評価されなかった。
前年9月、中京競馬場の新馬戦を3歳レコードで勝ち、さらに抽せん馬特別を圧勝したものの、12月のGⅢ・ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスでは8番人気という低評価に甘んじる。
しかし、イソノルーブルはそれを気にも留めないかのように、このレースを楽に逃げ切って、その実力を証明した。

年が明けた2月。オープン特別のエルフィンステークスに出走する頃には、ファンは既にその実力を認知していた。単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に支持され、それに応えてまたもスピードの違いを見せつける逃げ切り勝ち。

そして迎えたのが、この報知杯4歳牝馬特別だった。
ファンは前走に引き続き単勝1番人気、1.2倍の支持を彼女に授けた。

その鞍上には、乗り替わりでの騎乗となった松永幹夫騎手の姿があった。

乗り替わりに賛否があるのは今も昔も変わらないが、テン乗りで挑む松永騎手にとって、大きなチャンスであるととともに、重圧もまた大きかっただろう。

松永騎手は、1991年当時はデビュー5年目。
デビュー年に関西新人の最多勝を獲得、3年目にして重賞勝ちを収めるなど、早くからその頭角を現し、前年の1991年には全国11位、関西5位の好成績を挙げるなど、関西のホープとして活躍していた。
同期には横山典弘騎手。さらに一年後輩として、武豊騎手と蛯名正義騎手がデビュー。
才能にあふれた若手騎手の台頭は、この時代の象徴でもあった。

世代屈指の快速馬と、気鋭の若手。
報知杯4歳牝馬特別で、そのコンタクトが実現しようとしていた。

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クラシックの初戦、桜花賞に向けて、優先出走権を取らんとする牝馬11頭での争い。
この年は阪神競馬場が改装工事中であったため、中京競馬場での代替開催となり、距離も1,400mから1,200mに変更されての施行となっていた。

春の風吹く中京競馬場、そのゲートが開く。

大外から3番人気のミスタイラントと安田富男騎手が押していくが、水色のメンコ──イソノルーブルと松永騎手が内から制してハナに立つ。
そのさらに内からトーワディステニーと楠孝志騎手も先行争いに加わり、プレッシャーをかける。

1馬身ほど切れて、松永昌博騎手のテンザンハゴロモが追走し、さらにその後ろの集団に、2番人気のヤマノカサブランカと武豊騎手がいた。

イソノルーブルが軽快に飛ばして先頭をキープし、早くも3コーナーから4コーナーに差し掛かる。

2012年に改装工事を終える前の中京競馬場は、坂のない平坦で直線が約310mと短かった。
このまま逃げられてはと、後続各馬も仕掛けにかかる。

直線を向いた。
先頭はイソノルーブル、その外からトーワディステニー、最内からテンザンハゴロモが追う。
馬場の真ん中からはミスタイラントが差してくる。

残り200m、各騎手とも必死になって追う。

しかし、1頭だけ。
イソノルーブルだけが、軽やかに、そしてしなやかに、伸びていく。
叩いて、押して、追っての後続勢を尻目に、力強いステップを踏む。2馬身、3馬身と後続を離していく。

ゴール寸前に入れた、わずか一発の鞭が、心憎かった。

イソノルーブル、1着。
勝ち時計は1分9秒8。
3馬身半離れた2着にトーワディステニー、さらにクビ差の3着にテンザンハゴロモと先行勢が粘り込んだ。

これでイソノルーブルは5戦5勝。
春霞の彼方にあった無傷の桜が、確かに輪郭を帯びた走り。
松永騎手は、1番人気の乗り替わりという重圧のかかる騎乗に、見事に応えた。
はじめてのGⅠ戴冠に向けて、視界良好となった、1991年3月17日。

イソノルーブルと松永幹夫騎手、報知杯4歳牝馬特別を制す。

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無敗の戴冠を期待されたイソノルーブルは、桜花賞でも1番人気に支持された。
しかし、好事魔多しなのか、それとも運命の悪戯か、あるいは神様の試練か。

発走直前に、イソノルーブルの右前脚に落鉄が発生。
極度の興奮状態の彼女は、蹄鉄の打ち直しを10分以上拒否し続けたため、落鉄したままの状態でゲートに誘導されることとなった。
右前脚だけ裸足で走ることを余儀なくされたイソノルーブルは、彼女本来の伸び脚を欠き、同じく無敗だったシスタートウショウの5着に敗れた。

「裸足のシンデレラ」に、桜は微笑まなかった。

しかし、白眉だったのが、捲土重来を期したオークス。
不利な大外20番枠から逃げ込みを図り、シスタートウショウの追い込みをハナ差退け、見事に雪辱を果たした。渾身の逃げを打った松永幹夫騎手は、これがGⅠ初勝利となった。
あれから30年が経ったが、2021年3月現在、イソノルーブル以降でオークスを逃げ切った牝馬は現れていない。

その後、イソノルーブルはエリザベス女王杯で敗れた後、故障を発生して引退となった。
全8戦という少ない戦績ながら、観る者に鮮烈な印象を残したイソノルーブルは、母としても11頭の仔を送り出し、2013年に鬼籍に入った。


そんなイソノルーブルを見事にエスコートした、松永幹夫騎手。
彼女とともに初めてのGⅠタイトルを獲得した松永騎手は、その後もスター騎手として多くの名馬とともにターフを沸かせてきた。

どこまでも、画になるスターであった。
端整な顔立ちから、「ミッキー」の愛称とともに、多くの若い女性ファンからの支持を集めた。

松永幹夫騎手は、立ち振る舞いが美しく、品があった。
2005年、JRAとして初の天覧競馬となった天皇賞・秋で、ヘヴンリーロマンスを駆って優勝したウイニング・ラン。馬上でヘルメットを取り深々と頭を下げた最敬礼は、どこか絵画のようなワンシーンとしてファンの心に焼き付いている。

彼は、不屈の男だった。
1996年の春、調教中の事故により、腎臓の半分を摘出する重傷を負った。
それでも同年の秋に復帰すると、すぐにファビラスラフィンを秋華賞で勝利に導く。春の蹉跌から長期休養明けだったファビラスラフィンとの、人馬ともに不屈の精神で成し遂げた、復帰祝いだった。

そして、女ゴコロを知る"オトコ"だった。
ファビラスラフィンの秋華賞、キョウエイマーチの桜花賞、チアズグレイスの桜花賞、ファレノプシスのエリザベス女王杯、そしてイソノルーブルのオークス。
騎手時代に挙げたJRAでのGⅠ勝利すべてが、牝馬によるものだった。
調教師となってからもレッドディザイア、ラッキーライラックを管理するなど、名牝と縁が深い。

さらに彼は、義理に厚い騎手だった。
調教師と騎手の関係が変わり、多くの騎手がフリーエージェントとなる中で、デビュー時から引退まで山本正司厩舎に所属した。
前述の天皇賞・秋のヘヴンリーロマンスは、山本調教師とのタッグで成し遂げた勝利だった。
また自身が調教師として歩み始める際も、引退する山本厩舎を引き継ぐ形で開業している。

そして騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日、メインレースのGⅢ・阪急杯を11番人気のブルーショットガンで勝ち、さらに最終レースも勝って通算1400勝を達成するという離れ業を演じた。

その後は調教師として、多くの活躍馬を手掛けている。

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そんな松永幹夫騎手とイソノルーブルとの邂逅から、はや30年が経つ。
報知杯4歳牝馬特別も、いまはその名をフィリーズレビューに変えて施行されている。

イソノルーブルやシスタートウショウと同じく、あの1991年の牝馬クラシックを賑わせた優駿には、スカーレットブーケやタニノクリスタルがいる。
前者はダイワメジャー、ダイワスカーレットの兄妹の母として、後者はあのウオッカの母として、いまでは競馬史にその名を刻んでいる。

季節は移ろい、時は流れ、世代は変わり。
これからも新たな名馬、そして名手は誕生していくだろう。

それは、連綿と紡がれていく、毎年、毎月、毎レース、いまこの瞬間の積み重ねの先にあるのかもしれない。

一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが空しいものだと
それは誰にも言えない

今でも同じように
見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね どこかで

「時には昔の話を」(1987年) 作詞・作曲:加藤登紀子

微かな桜の気配を感じるこの時期になると、あのイソノルーブルと松永幹夫騎手の快走、そして落鉄と雪辱の春を思い出す。

今年もフィリーズレビューが、やってくる。

写真:のだまハイ、Horse Memorys

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