[ウマ娘]才能豊かなスーパーカー! ウマ娘マルゼンスキーと、史実馬マルゼンスキー。

「今日の走りもチョベリグ! お立ち台までイケイケよ!」

とてつもないポテンシャルを持ちながら、威張ることもなく、学園のウマ娘みんなのお姉さんとして慕われているマルゼンスキー。

ドライブが大好きで、よく学園のウマ娘をドライブに誘ってはヘロヘロにさせたりと面白い一面を持っているキャラクターです。また学園で唯一1人暮らしが許可されていたり、学園長秘書のたづなさんと友達であった、なにかと学園で特別な存在となっています。マルゼンスキーがトレセン学園で特別な存在として描写されている理由は彼女の現役時代にあります。

今回は数奇な運命に立ち向かい、ファンから"スーパーカー"と評されるようになった、マルゼンスキーの現役時代について解説させていただきます。

マルゼンスキーの目標レース

メイクデビューに出走

マルゼンスキーは日本生まれですが、持込馬という少し特殊な経歴の持ち主でした。持込馬とは、母が海外滞在中に母体に生を宿し、日本に渡ってきた後に産まれた仔馬のことを持込馬と言います。そんなマルゼンスキーの母は良血馬シル、父は競馬の本場イギリスで三冠馬となったニジンスキー。

当時の日本競馬界では「とてつもない血統を持つ馬が日本に来るぞ」と話題になったほどです。

1974年5月19日に無事日本の地で産声を上げたマルゼンスキーは、すくすくと育っていきました。血統面だけでも十分に一流馬となる可能性が高かったのですが、成長していくマルゼンスキーを見た関係者の方が「伸びた後脚を戻すのがものすごく速い」と感心するほど、幼少期から素質の片鱗を見せていました。

1976年10月9日、マルゼンスキーは東京競馬場でデビューします。

スタートから悠々と先頭を奪うとそのまま押し切り、2着の馬に2秒差を付ける圧勝。鞍上を務めた中野渡騎手は「セーブしたせいもあるけど、それほど走るとは思わなかった。新馬戦も、ボチボチ勝てるかな、ぐらいの感じだった」とコメントしているように、全力を出さない中でも圧倒的な力を見てました。

朝日杯FSで5着以内

新馬戦を勝ってから、さらに『いちょう特別(300万下)』『府中3歳ステークス(OP)』と連勝を重ねたマルゼンスキーは、満を持して朝日杯3歳ステークスに出走します。

デビューから圧倒的なポテンシャルを見せつけ勝ち上がってきたマルゼンスキーを、ファンは単勝1.7倍の1番人気に支持します。実は前走の府中3歳ステークスでは2着のヒシスピードにハナ差と僅差の勝利だったマルゼンスキー。しかし直線までヒシスピードを待って追い始めて競り勝ったというレースぶりから「着差以上の強さを見せた」と評価されていました。後日談ですが、マルゼンスキーのトレーナーさんは写真判定の結果が出るまで、汗びっしょりになってしまったようです。それほどマルゼンスキーは勝って当たり前の馬と徐々に評価されるようになっていたのでしょう。

前走の反省点を糧とし、マルゼンスキーはスタートから先頭を奪うとそのまま逃げ切り体勢へ。

そして直線では、前走ハナ差だったヒシスピードに13馬身差を付ける圧勝劇を演じます。

鞍上の中野渡騎手は「馬の上に跨っていただけ。3コーナー過ぎからは、後ろの馬の足音も聞こえなかった」と語り、ヒシスピードに騎乗していた小島太騎手も「ありゃバケモンだな」と舌を巻いたそうです。

ここまでマルゼンスキーの「ジュニア級」に相当するレースでの内容を見て頂きました。

いかがだったでしょうか?

デビューから、圧勝的勝利を飾るマルゼンスキー。

……もし皆さんが朝日杯を2着に大差で勝ったウマ娘の担当トレーナーであれば、何を考えますか?

クラシック級で三冠制覇……シニア級で宝塚、有馬記念制覇……と夢が膨らむのではないでしょうか。

しかしマルゼンスキーは”持込馬”としての宿命にぶつかってしまいます。

マルゼンスキーの宿命とは

当時のルールとして、マルゼンスキーのような持込馬はクラシック競走への出走権がありませんでした。

つまりマルゼンスキーがどんなに強い競走馬でも、当時のルールでは皐月賞、菊花賞、なによりもダービーという大舞台に立つことはできなかったのです。

勿論当時のマルゼンスキー陣営はダービーに出走できるよう懇願しました。
中野渡騎手の「日本ダービーに出させてほしい。枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一切しない。賞金もいらない。この馬の能力を確かめるだけでいい」という悲痛な叫びは有名です。

一番不利な大外から、賞金もいらない。マルゼンスキーの能力をただ確かめたい。

──しかしその願いも虚しく退けられ、マルゼンスキーがダービーに出走することは叶いませんでした。

マルゼンスキーのその後

ダービーに出走できなかったマルゼンスキーは、日本短波賞に出走し圧勝。初めてのダートレースとなった短距離ステークスでも大差勝ちを収めました。

有馬記念には出走が許されていたマルゼンスキーは、有馬記念を目標にトレーニングを積みます。その有馬記念の後は、フランスに渡り凱旋門賞に挑戦する予定でした。

しかし調教中に柵にぶつかるアクシデントに見舞われ、それが原因で屈腱炎を発症。一度は症状も軽くなり、復帰のプランもあったそうですが、血統的にも能力的にもマルゼンスキーにリスクを背負わせることはできないと考え、引退させることを決断させました。

新馬戦から殆ど圧勝劇を重ね、無敗で競争馬人生を駆け抜けたマルゼンスキー。
全8戦で2着につけた合計馬身は61馬身。ファンは圧倒的な走りを見せた彼のことを「スーパーカー」と評していました。

ウマ娘のマルゼンスキーがスーパーカーを乗り回しているのは、この2つ名が由来になっています。

引退後のマルゼンスキーは種牡馬としても大活躍しました。

父としては自身が出走叶わなかったダービーを制したサクラチヨノオーや菊花賞を制したレオダーバン。
母の父としては、漆黒のステイヤーライスシャワー、ダービー馬ウイニングチケット、そして日本総大将スペシャルウィークなどを送り出しました。

アプリ内でライスシャワーを助手席に載せたら必ず渋滞するにもかかわらずドライブに誘ったり、スペシャルウィークの相談を聞いてあげているのは、マルゼンスキーにとってこの2人が大切な存在であるからです。

競馬とはブラッドスポーツとよく言われますが、もしマルゼンスキーの母シルが来日していなかったら……。

もしあの時最強馬であったマルゼンスキーをすぐ種牡馬にしていなかったら……。

先ほど紹介した3頭は勿論ですが、スペシャルウィークの子として日米オークスを制したシーザリオ、そのシーザリオの産駒であるエピファネイア、そしてそのエピファネイアの産駒であるデアリングタクト、先日皐月賞を制したエフフォーリアは、生まれていなかったでしょう。

現代の競馬ファンに元気を与えてくれる競走馬は、20年、30年前の競走馬たちからバトンを受け継いでいる存在でもあります。クラシックに出走することがかなわなかったマルゼンスキーの血を引いた馬たちが次々と、ダービーをはじめとしたクラシックを制覇していく姿を見ていると、競馬の面白さ、ドラマというものを楽しんでいただけるのではないでしょうか。

最後に

持込馬としての宿命に立ち向かったマルゼンスキーを紹介させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?

限られた条件の中でも己の強さを証明し続けたマルゼンスキー。約30年もの時を超えてウマ娘となった彼女は、皆さんと一緒にトレセン学園でも圧倒的な強さを見せつけているのではないでしょうか。

モデル馬のマルゼンスキーの引退式の時、1枚の横断幕が掲げられました。

「さようなら マルゼンスキー 語り継ごう おまえの強さを」

その横断幕の通り、マルゼンスキーの強さはファンの中で語り継がれてきました。
マルゼンスキーが亡くなった後に生まれた"ナウなヤング"な方でも、ウマ娘でマルゼンスキーを知り彼女の強さに引かれ、モデル馬マルゼンスキーのファンになるかたもいるほどです。

まさかこんな形で人気が再燃するとは当のマルゼンスキーも驚いてるかもしれませんが……(笑)

どんな形であれ、競馬ファンがマルゼンスキーを語り、そして血統のバトンを受け継いだ競走馬たちを応援することが、マルゼンスキーを早期に引退を決断させたマルゼンスキーの馬主様──そして何よりも天馬となったマルゼンスキーが報われることになるのではないかなと私は思います。

これからも、マルゼンスキーとのチョベリグな学園生活をお楽しみください。

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