1.寺山修司との出逢い
「言葉の錬金術師」と評された文筆家・寺山修司のことを、私が競馬評論家として認識したのはいつだっただろうか。はっきりとは覚えていないのだが、そのきっかけとなった言葉は覚えている。
レースはただ、馬の群走にすぎないがその勝敗を決めるナンバーは、思想に匹敵する
──寺山修司『ポケットに名言を』(角川書店、1977)より引用(初出は『東京零年』)
競馬を「思想に匹敵する」と表現したこの名言(寺山自身は「私には「名言」はない」と述べているが、あえてこの表現を遣いたい)には、大きな衝撃を受けた。競馬は単なる娯楽ではなく、人生を懸けるに値する対象だ、と思うようになったのは、寺山の名言があったからに他ならない。
神戸三宮の古書店で『馬敗れて草原あり』(角川書店、1979)と『競馬への望郷』(角川書店、1979)の二冊を手に入れてからは、寺山の紡ぐ言葉の魅力に取り憑かれた。
私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。その逆に、「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである。この二つの警句はよく似ているが、まるでちがう。前者の主体はレースにあり、後者の主体は私たちにあるからである。
──寺山修司「競馬場で逢おう」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用
競馬ファンは馬券を買わない。
財布の底をはたいて「自分」を買っているのである。
──寺山修司「競馬場で逢おう」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用
人生はたかが一レースの競馬だ、という気がするのだ。
──寺山修司「競馬場で逢おう」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用
概して、寺山は競馬を一つの人生として捉えている。自分の人生の投影図としての競走馬が走る姿を見守ることに、競馬の代え難い魅力があるのだ、と気づかされた。私の競馬観・人生観を大きく変えたのが、寺山修司との出逢いであった。
2.「自分」の買い方
さて、競馬が投影図を見守る場であるとするならば、どの馬に自分を投影させるか、つまりどのように「自分」を買うのか、が問題となる。寺山は、レースにおける馬の選び方について次のように語る。
すべての競馬ファンが、運を克服しようとして科学的なレーシング・フォームを読み漁るとき、賭けが「自由」へのあこがれであることが明らかになる。誰だって運命からの脱出を夢みる。だが同時に「幸運の誘惑」から免れることはできないのである。
(中略)賭博者の真意は、どんな幸運の誘惑からものがれて、自由になりたいのではないかと思う。そうでもなかったら、血統、体重、能力、成績などから、馬を選ぶはずがない。もっと好き嫌いで馬を選ぶことになるだろう。
私は、知るために競馬をやっている。
私は運命からの自由が、世界を支配できる日のためには賭けない。私は言葉の占星学、思念の十二支の中で、ただひたすら「幸運の誘惑」に遊蕩することが願いである。
──寺山修司「私の競馬ノート」(『馬敗れて草原あり』角川書店、1979)より引用
競馬ファンが新聞を読み、血統や能力などの要素を加味して予想を行うとき、そこに「運命からの脱出」を試みる気持ちがあると寺山は指摘する。競馬は予想外のことが起こるスポーツである。血統的な適性がある馬や絶対的な能力がある馬が必ず勝つならば、レースは意味を為さないだろう。しかし、馬券を通して「自分」を買う、となったとき、人は何かしらの根拠を求めてしまう。揺るぎない「自分」の拠り所を見つけて判断の正しさを保証していく作業が予想なのだ、と言えるだろう。
しかし、寺山はあえてそのような「運命からの自由」の「支配」を拒否し、「幸運の誘惑」に遊蕩することこそを理想とする。つまり、「好き嫌いで馬を選ぶ」ことが望ましい「自分」の買い方だと考えるのである。私は馬券を積極的に買うタイプの競馬ファンではないが、応援する馬を決めながらレースを観戦する。その際に大きな決め手となるのは「血統」だ。現役馬で言えば、タイトルホルダーはドゥラメンテの仔だから、イクイノックスは母父がキングヘイローだからという理由で応援している。その身に承けた血を証明する走りをしてくれる競走馬に、私は声援を送ってきた。
3.「シュウジ」という名の馬
だが、ある馬に関しては「幸運の誘惑」の中でレースを追いかけていたと思う。2015年7月に行われた中京2歳ステークスの出馬表に「シュウジ」という名を見つけたときは、それほど気に留めていなかった。よくある人名であるし、オーナーの家族などが由来だろうと考えていたのである。しかし、その馬が3馬身差をつけて逃げ切る強い競馬を見せたことで、ふと由来が気になった。調べてみると、寺山修司にちなんだ名だという。2015年は寺山修司の生誕80年に当たる。そのことを踏まえて名付けられたとのことだった。これを知ってシュウジという馬に興味を抱くようになった。
正直なところ、馬体も血統も、私の好みという訳ではない。次走の鞍上は岩田康誠騎手とのことだが、特に応援している騎手ではない。応援する要素は、「寺山修司に由来する馬名」の一点のみである。個人的な「好き嫌い」の次元であり、馬の本質とは全く関係ない。正に「幸運の誘惑」によってシュウジを応援していたと言って良いだろう。すると、次走の小倉2歳ステークスで、シュウジは2着に2馬身半差をつける快勝を見せた。
内容自体も前走から変わって控える競馬で、馬の充実を感じさせた。その後もデイリー杯2歳ステークスは2着、朝日杯フューチュリティステークスは5着と堅実に結果を残す。私はシュウジの走りを嬉しく見守っていた。
4.「幸運の誘惑」
一方で、この頃になると、いつもの通りに応援する同世代の馬も決まっていった。それは、所謂「5億円対決」の新馬戦を勝利し、条件戦も快勝していた「サトノ」期待の星・サトノダイヤモンドであり、母エアメサイアの主戦を務めた武豊騎手と共に戴冠を目指すエアスピネルであり、母父トウカイテイオーの重賞馬ブレイブスマッシュであった。この3頭は、馬体や血統から私が能力を見込み、今後の活躍を期待した馬たちである。しかし、シュウジに対する思いは異質であった。今後のローテーションや将来の可能性といったことは考えず、ただ出走したレースで力を出すことのみを望んだ。私の関心は、「幸運の誘惑」に遊蕩することを理想とした寺山修司の名を持つ馬が、「言葉の占星学」たる競馬の世界で「幸運」を掴むことができるのか、その一点のみにあった。
果たして、私が応援した馬たちはそれぞれ実績を残した。サトノダイヤモンドは3歳にして菊花賞と有馬記念を連勝し、種牡馬としても初年度から重賞馬を輩出する上々のスタートを切っている。エアスピネルはGⅠ勝ちこそ無かったもののGⅡ富士ステークスなどを勝ち、競走生活晩年はダート戦線の有力馬として息の長い活躍を見せた。ブレイブスマッシュは豪州移籍後にGⅠを2勝して当地で種牡馬入り。「皇帝」・「帝王」の血脈を海外に広げることが期待されている。
対して、シュウジは3歳時にGⅡ阪神カップを勝って実力を見せるものの、古馬になってからは精彩を欠くレースも多くなっていった。戦場をダートに移した初戦の千葉ステークスこそ勝利したが、その後は勝ち星を積み重ねることができないまま引退。しかし、その一方で、寺山修司が47歳の若さでその生涯を終えたことを考えると、2歳の7月から8歳の8月まで、長きに亘る競走生活を全うし、キンシャサノキセキの後継種牡馬となったシュウジは、「幸運」な馬であった言えるだろう。
結局のところ、シュウジという「幸運の誘惑」に遊蕩した6年間を経ても、私の競馬観が大きく変わることはなかった。2023年クラシックも、サトノクラウン産駒のタスティエーラとサトノダイヤモンド産駒のサトノグランツという2頭を応援している。やはり競馬は「血の証明」の場であると考えてしまうのだ。「血統」という要素に「運命からの脱出」を求める私は、「幸運の誘惑」に遊蕩する境地には程遠いだろう。しかし、シュウジを応援する時間は、自らの競馬観を客観的に見つめ直す機会をくれた。再びあのような出逢いがあれば幸せに思う。
写真:Horse Memorys、かぼす、なかけん