海を渡ったソニンクの血。ディアドラの紫苑ステークス

21世紀の在来牝系

2023年は競馬法制定から100年目にあたる。日本の洋式競馬のはじまりはもっと早く、江戸時代末期、薩摩藩士がイギリス人を殺傷した生麦事件の賠償の一環として、幕府は横浜の根岸にある高台に西洋式競馬場を建設した。これがのちの横浜競馬場だ。日本初の洋式競馬主催団体は大隈重信らが発起人となった日本レース倶楽部。その発足は1880年。これを機に日本全国で競馬会が設立され、競馬は日本各地に広まっていった。

そんな日本の競馬の夜明け前に、明治の大財閥三菱が所有する小岩井農場が海外から輸入した繁殖牝馬、ビユーチフルドリーマー、フローリスカツプ、アストニシメントなどはのちに「在来牝系」と呼ばれ、21世紀の血統ファンの郷愁を誘う。「在来牝系」という言葉は主にこの時代に日本に入ってきた海外の血のことを指すが、現代にも、日本の競馬史に枝葉を広げ、未来へ向けての礎となる牝系が多く存在する。遠き未来、「21世紀の在来牝系」という言葉はこれら血統のことになるかもしれない。そのひとつがソニンクの系統だろう。明治時代、日本の競馬の土台となった「在来牝系」と同じく、イギリスから入ってきたソニンクは、21世紀の幕開けとなる2001年、ノーザンファームへやってきた。2012年に死亡するまで10頭の産駒を残し、うち5頭が牝馬だった。

ソニンクが残した牝馬たち

輸入時にお腹にいた初仔アコースティックスはダービー馬ロジユニヴァースの母であり、2番仔モンローブロンドはビキニブロンドやプラチナブロンド、ソニックベガなど中央で3勝以上した牝馬を送り、その血脈を広げている。3番仔ルミナスポイントは重賞2勝ジューヌエコールを送ったほかに、ルミナスパレードの母でもある。ルミナスパレードといえば、ソングラインの母として知られている。さらに4番仔ヴァイスハイトは直仔ロスヴァイセから青葉賞馬スキルヴィングを出した。間にノットアローン(重賞2着1回3着1回)、ランフォルセ(ダート重賞4勝)を挟み、7番仔がライツェントだ。ソニンクとスペシャルウィークの血を継いだライツェントといえば、2023年日本ダービーに駒を進めたフリームファクシが記憶に新しいところだが、なんといっても、3番目にこの世に送ったディアドラだろう。

「ディアドラ姉さん」

現役時代の後半、約1年8カ月もの間、海外を転戦したディアドラは、いつしかそう呼ばれるようになった。ドバイ、香港、イギリス、アイルランド、サウジアラビア、フランス、バーレーンとアジア、中東、ヨーロッパで走り、文字通り、世界遠征を敢行したディアドラはイギリスのナッソーSを勝つなど、海外14戦1勝2着2回3着2回。競走生活の後半は1度も日本の競馬場を走らなかった。そんなディアドラ姉さんが姉さんと呼ばれる前のこと。3歳秋までについて振り返ろう。

最初のきっかけだった桜花賞

6歳秋まで33戦も競馬に出走したディアドラは、2歳夏、中京で約4年半に及ぶ現役生活をスタートさせた。初勝利は3戦目にあたる秋の新潟芝1400mの牝馬限定戦だった。次走ファンタジーSはミスエルテの3着に入り、素質の片鱗を感じさせるも、ここから桜花賞までは足踏み状態。2、4、3着と2勝目を挙げられず、もどかしい成績が続いた。桜花賞出走をかけたアネモネSも2着止まりで、優先出走権こそ獲得したものの、1勝馬のまま出走した本番は単勝オッズ200倍超の14番人気にすぎなかった。しかし、GⅠは彼女の秘めたる力を引き出す舞台でもあった。桜花賞では後方からレースを進め、直線に賭ける競馬を展開した。ハイペースで進んだレースは、前後半800m46.5-48.0。最後の200mは12.8と時計がかかり、みんな苦しくなった。そこを猛然と追い込んだのがディアドラだった。結果は6着も着差は勝ったレーヌミノルからわずか0.4差、上がり最速も記録し、まさに負けて強し。もっと距離があれば力を出せる、そんな確信めいたものを抱かせてくれた。

桜花賞がディアドラを覚醒させたのか、続く矢車賞であっさり2勝目を挙げる。これまでの歯がゆさはいったいなんだったのかと思うほどの完勝だった。距離延長を引き金に成績が上昇するのは、いかにもハービンジャー産駒らしい。ハービンジャーは結果的に最後になった芝12ハロンのキングジョージ6世&クイーンエリザベスSでケープブランコに11馬身差をつけた欧州最強馬の一頭だ。その覚醒は4歳シーズンに訪れており、いくらか遅咲きながら、なにかのきっかけで一気に駆け上がるのはハービンジャーの子どもたちの特徴でもある。

コーナー4つの2000m戦との出会いと走る気持ちよさ

ディアドラもまた、3歳夏にさしかかり、ようやく覚醒のときがやってきた。オークス4着後、秋に向けて3勝目を目指し、北海道へやってきた。HTB賞の舞台は札幌芝2000m。オークスに続き、コーナー4つの競馬に挑む。距離2000mはこのレースが初出走だった。このとき、ディアドラは自身がもっとも力を発揮できるコーナー4回の芝2000m戦に出会う。桜花賞のハイペースと距離延長という引き金に続き、もうひとつのきっかけがここにあった。ハービンジャー産駒が覚醒する条件がそろったのだ。気分よさそうに中団の外目を走り、勝負所で札幌の大きなコーナーをまるで音もなく加速していき、あっさり抜け出した。両前脚の赤いバンテージが小気味いいステップを刻む。札幌の洋芝をまるで軽やかに踊るよう駆けていた。ディアドラはここにきて、走る気持ちよさを知ったにちがいない。

コーナー4つの芝2000mとなれば、秋華賞だ。その出走を確実にすべく、陣営は阪神外回り芝1800mのローズSではなく、コーナー4つの芝2000mで行われる紫苑Sを選んだ。前年から重賞に格上げされた紫苑Sはその初年度から秋華賞馬ヴィブロスを出し、これまでのイメージを変えつつあった。HTB賞で3勝目を挙げたディアドラはその内容が評価され、初の中山出走でも、1番人気に支持される。

レースはミッシングリンクが外からハナを奪い、隊列は自然な形で決まっていった。ディアドラは中団後ろの外目と多頭数の重賞であっても、HTB賞と同じような位置につける。自然流の隊列は徐々にペースを落としていき、800~1000m12.8と遅いラップが刻まれ、前半1000m通過は1.01.3。中山芝2000mでスローペースに陥れば、レースの動き出しは早い。3コーナーに入る残り800mから11.9-11.5とコーナーで加速できないとついていけない形になった。

ディアドラと同じ位置にいた2番人気ルヴォワールの鞍上が懸命に食い下がろうとファイトを促すなか、ディアドラはさらに外を馬なりで加速していく。気持ちいい走り方を覚えた彼女にとって、早めのペースアップは心地よく馬場を吹き抜ける秋風ぐらいに感じたにちがいない。4コーナーで7、8頭分、外を通っても平気だった。なにせ、気分がいい。中山の小さなコーナーも関係ない。右前を主軸にして、右半身に力をこめ、左で遠心力を吸収する。このフォームがお気に入りだ。少し右に傾いた視界に入るスタンドと鮮やかな緑の芝生は美しく、周囲の馬たちの息づかいも感じなくなるほど、集中できる。こんなに走るのが楽しいとは思いもしなかった。ディアドラの心の内を思わずこんな風に想像してしまうぐらい、その走りは弾んでいた。

海を渡ったソニンクの血、再び海を渡る

海外を転戦したディアドラ姉さんの眼には、世界各国の競馬場はどんな風に映っただろうか。父と母の故郷イギリスでなにかを感じただろうか。凱旋門賞のフォルスストレートはコーナー好きのディアドラにとって拍子抜けしたりしなかっただろうか。同い年のエネイブルはどんな雰囲気だったのか。ディアドラ姉さんに聞いてみたいことはたくさんある。もちろん、それが叶うことはないが、それだけ壮大な競走生活だったのは間違いない。

ディアドラは引退後、日本に戻らず、アイルランドのクールモアスタッドで繁殖生活に入った。「21世紀の在来牝系」ソニンクの系統はディアドラによって世界に広がっていってもらいたい。やがて在来という言葉ではなく、「21世紀の世界の牝系」になる日が訪れるかもしれない。

写真:かぼす

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