あの怪我さえなければ、どこまで強くなったのか? 怪我に泣かされた「シャドーロールの怪物」ナリタブライアン

競走馬の代表的な病気に、屈腱炎がある。

根治が難しく発症すると引退を余儀なくされることが多い。3〜4歳時(旧表記)の圧倒的パフォーマンスから一転、5〜6歳時は満足な走りができなかった「シャドーロールの怪物」ナリタブライアンもまた、賛否両論を招いた短距離・高松宮杯(1200m)に敗れたあと、屈腱炎を発症して引退した。


競馬ライターの小川隆行氏を中心に、プロ・アマ問わず競馬愛の強い執筆者たちが、歴史に名を刻んだスターホースのエピソードをまとめた『アイドルホース列伝 1970-2021』(星海社新書)から抜粋。いまでも史上最強馬といわれることの多いナリタブライアンの波乱万丈の競走歴を振り返る。

1994年菊花賞をレコードで走破し史上5頭目のクラシック三冠を達成。写真/フォトチェスナット

圧巻の三冠戦

あの怪我さえなければ──。

故障によって全盛期のパフォーマンスを発揮できなくなったり、未完の大器で終わるスポーツ選手は少なくないが、それは競走馬も同じ。“幻の三冠馬”フジキセキと皐月賞馬アグネスタキオンは屈腱炎を発症し、ともに4戦無敗で引退。クラシック二冠ドゥラメンテは左前脚を故障し、9戦5勝2着4回というパーフェクト連対のまま引退している。そして、ナリタブライアンも「あの怪我さえなければ」と惜しまれる名馬のなかの1頭ではないだろうか。

1993年、三強の一角としてクラシック戦線を沸かしていたビワハヤヒデの弟ということもあり注目度は高く、素質は折り紙つき。デビュー前の調教に騎乗した南井克巳が「オグリキャップと同じ感触」と評するほどだった。8月のデビュー戦は2着に終わるも中1週で折り返しの新馬戦を快勝。その後、函館3歳Sが6着、きんもくせい特別で2勝目を挙げるが、デイリー杯3歳Sが3着と成績は安定しない。その理由はハッキリしていた。気性面の問題である。

もともと興奮しやすく、臆病なところがあり、レースでは能力を十分に発揮できていなかったのだ。そこで、下方の視界をさえぎるシャドーロールをつけたところ、見違えるほど集中力を発揮するようになり、京都3歳Sをレコードで勝利。これが“シャドーロールの怪物”誕生の瞬間といってもいいだろう。ここから連勝劇が始まる。暮れの朝日杯3歳Sを1番人気で勝利し、最優秀3歳牡馬に選出されると、翌年も共同通信杯とスプリングSを連勝。過密ローテともいえるが、前述の“興奮しやすい精神面”の対策として、間隔を詰めてレースに使うことでガス抜きを図っていたのだ。

そうして臨んだ三冠レースは“圧巻”の一言に尽きる。単勝1・6倍の皐月賞はコースレコードで勝利し、まず一冠。二冠目の日本ダービーでは皐月賞を上回る単勝1・2倍の支持を集めた。前年の同レースでマルチマックスに騎乗し、スタート直後に落馬している南井は「怖いのはアクシデントのみ」とばかりに常に外を回る安全運転に徹する。道中は好位の外を追走、4コーナーで早くも先頭に並びかけると、「距離のロスもなんのその」と直線のど真ん中を突き抜けて圧勝した。

秋、三冠制覇への期待が否応なく高まるなか、夏負けで調教が積めず、緒戦の京都新聞杯はスターマンに競り負けて2着。また、菊花賞の前週に行われた天皇賞・秋ではGⅠ3勝の兄に故障が発生するなど、不穏な空気が漂っていた。ファンの間にも期待と不安が入り混じって迎えた菊花賞だが、レースでは先に抜け出したヤシマソブリンを直線半ばでかわすと、あとは後続を引き離すばかり。終わってみれば、2着に7馬身差をつける完勝。実況の杉本清が「弟は大丈夫だ」と何度も繰り返し、史上5頭目のクラシック三冠馬誕生の瞬間を伝えた。古馬との初対決となった有馬記念でも単勝1・2倍の1番人気に支持され、同い年の“女傑”ヒシアマゾンの追撃を封じて危なげなく勝利。この年、4つ目のGⅠ制覇となった。

天国から地獄へ

一般的にサラブレッドとして完成期を迎えるという5歳(※現在の4歳)の緒戦、阪神大賞典では単勝元返し(1・0倍)という圧倒的人気に応えて完勝。しかし、次走の天皇賞・春に向けて調整中、右股関節炎が判明して休養入り。ここから歯車が大きく狂い始める。秋になり、トレセンへ戻るも強い負荷の調教が課されることはなく、競馬評論家の大川慶次郎が「全盛期を100とすれば60か70の状態」というなど、調教不足が指摘されるなかで出走した天皇賞・秋は12着。ジャパンCは6着、有馬記念は4着に沈んでしまう。

天国から地獄へ落ちたかのような95年が終わり、翌年の緒戦は阪神大賞典。前年の年度代表馬マヤノトップガンとの壮絶な叩き合いを制したこのレースを名勝負に挙げる競馬ファンも多い反面、「全盛期のナリタブライアンなら圧勝できたはず」という意見も少なくない。

その後、復活を期待されて3レースぶりに1番人気で臨んだ天皇賞・春は早めにスパートするもサクラローレルに差されて2着に終わり、次戦がラストランとなる高松宮記念である。中長距離のGⅠ馬、しかもナリタブライアンほどの馬が一気に距離短縮となるスプリント戦へ出走するのは前代未聞。世間では「通用する・しない」論争が広げられ、迎えたレースでは先行争いについていけず後方を追走、直線で猛然と追い込むも4着止まり。とはいえ、歴戦のスプリンター相手の結果としては上出来であろう。そして後日、右脚に屈腱炎を発症していることがわかり、引退が決定した。

高松宮記念への出走は陣営のエゴだったのか、それとも「強い馬は距離、競馬場、天候に左右されない」という価値観への挑戦だったのか。もちろん、高松宮記念参戦と屈腱炎発症の因果関係は定かではない。

JRA史上、4歳末(※現在の3歳末)までに芝GⅠ5勝を挙げたのは後にも先にもナリタブライアンのみ。もし、怪我さえなければ芝GⅠ7勝の壁を最初に打ち破るのは同馬だったはず──そう考える人は決して少なくないだろう。

(文・鴨井喜徳)

アイドルホース列伝 1970-2021 (星海社新書)
小川 隆行 ,小川 隆行 ,一瀬 恵菜 ,鴨井 喜徳 ,久保木 正則 ,後藤 豊 ,所 誠 ,榊 俊介 ,広中 克生 ,福嶌 弘 ,三木 俊幸 ,宮崎 あけみ ,吉川 良 ,和田 章郎(星海社 2021年6月25日 発売)

星海社サイト「ジセダイ」
https://ji-sedai.jp/book/publication/idolhorse.html
こちらで試し読みPDFのダウンロードが可能です。

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