
「3月11日、東日本大震災が日本を襲いました2011年。自分と向き合い、他人を想い、絆を確かめ合った2011年。掉尾を飾るGⅠは、もちろん有馬記念です」
これは、オルフェーヴルが一度目に勝利した有馬記念のスタート前、中山競馬場の実況を担当していた舩山陽司アナウンサーが発した言葉である。
この年、巨大地震と津波が日本列島を襲い、東日本を中心に未曾有の被害をもたらした。週末に開催予定の競馬は取りやめとなり、とりわけ甚大な被害を受けた福島競馬場は1年以上も開催中止を余儀なくされた。それでも、翌週から阪神と小倉で競馬が再開され、オルフェーヴルは史上7頭目のクラシック三冠馬となった。
さらに、この有馬記念でもGⅠ6勝のブエナビスタら強豪古馬に完勝。名実ともに日本一の座を勝ち取った。ゴール後の「オルフェーヴル時代の到来です!」の実況どおり、2012年はこの馬を中心に回っていくことを誰もが確信するような内容だった。
また、この勝利を祝うように、表彰式の最中に降りはじめた雪もどこか幻想的だった。
あまりにも辛く、悲しい出来事が起きた一年──。
この雪は、いまだ癒えぬ心の傷を、痛ましい記憶をほんの僅かな時間でも忘れさせ、オルフェーヴルは被災した人々の希望の光、心の灯火となった。
そして、オルフェーヴルが活躍した足かけ4年。私にとっても、今も記憶に残るさまざまな言葉と宝物のような出会いがあった。
「齋藤さん。もうフランスに行っちゃいましたかね。それでもいいや。私も遠く日本で応援しています。こうなったら、チームジャパン一丸となって日本の悲願が達成されるといいですね」
2012年10月。当時サラリーマンだった私は、リフレッシュ休暇の制度を利用し、凱旋門賞を現地で観戦することにした。これは、当時担当していたお客様から出発前日にいただいたメールである。
このお客様と私は、現在ともに当時の職場を離れ別の道を歩んでいるものの、飲みに誘っていただいたり、神宮球場で野球観戦をしたりと、ありがたいことに今も細く長いお付き合いをさせてもらっている。
2012年の上半期、「時代の到来」を確固たるものとするはずだったオルフェーヴルに、思いもよらぬ試練が訪れた。厳冬の影響か、放牧先のノーザンファームしがらきで通常より爪がすり減ってしまったオルフェーヴルはしなやかな動きを失い、首との連動性やハミ受けが悪化。操縦性が悪くなり、シーズン初戦として臨んだ阪神大賞典の2周目3コーナーで逸走してしまう。
その後、信じられない勢いで盛り返し2着と健闘したものの、調教再審査が課され、それはいつもの走り慣れた坂路とは異なるダートコースで行なわれた。結果、審査には問題なく合格したが、天皇賞(春)は11着と大敗。調子も下降線を辿ってしまった。
それでも、再びノーザンファームしがらきで英気を養い徐々に調子を取り戻したオルフェーヴルは、7割のデキで出走した宝塚記念を完勝。劇的な復活を果たし、フォワ賞から凱旋門賞に臨むことが決まった。
その凱旋門賞を観戦しようと私が日本を出発したのはレース2日前のこと。飛行機に乗り込むと、機内は日本人でいっぱいになった。もちろんお目当ては凱旋門賞。みな、歴史的瞬間をこの目に焼き付けようとしているのだ。
自席に着くと、早速「オルフェーヴルの関係者ですか?」と、隣の男性二人組が話しかけてきた。聞くと二人はオルフェーヴルの出資者で、10時間を優に超える独り旅になるはずが終始競馬の話で盛り上がり、楽しく充実した道中を過ごすことができた。
さらにレース当日。開門前にロンシャン競馬場の正門に到着した私は、再び日本人のおじさんに話しかけられた。そのおじさんは、当時、東京競馬場に行くとお互い連絡先も知らないのになぜかよく会い、毎回5分ほど話をする人だった。この4年後、キタサンブラックが一度目に勝利した天皇賞(春)を見に行った際、京都競馬場で偶然出会った時もさすがに驚いたが、まさか日本から10000km近く離れたフランスの地で会うことになるとは。やっぱりみんな競馬が、オルフェーヴルが大好きなんだ。
陣営は、池江泰寿厩舎のスタッフはもちろん、新たに寮馬となったアヴェンティーノを帯同させ、さらに現地で受け入れ先となった小林智調教師の手厚いサポートもあり、その陣容はまさに「チームジャパン」だった。一方、我々、日本からの応援団も、期せずして一つのチームを結成したかのようだった。
残念ながら、結果は完全な勝ちパターンから名手オリビエ・ペリエ騎手と伏兵ソレミアのコンビにゴール前で大逆転を許し、あと一歩のところで快挙を逃してしまったが、世界との差が確実に縮まっていることを実感するような内容だった。
「齋藤さん、凄いレースでしたね。最後の直線、泣きながらテレビの画面を見ていました」
オルフェーヴルの引退レースとなった有馬記念の翌日、また別のお客様からこんなメールをいただいた。前日、中山競馬場のスタンドで、私もこの方と同じ気持ち、同じ感情であの圧勝劇を見ていたが、こんな感情になったのは、決して我々だけではなかっただろう。
ちなみに、現在このお客様と繋がりはないものの、ありがたいことに、現担当営業から私のことを気にかけてくださっていることを聞いた。これもまた、オルフェーヴルがくれたかけがえのない出会いである。
5歳シーズンを迎えた2013年。この年の上半期も、オルフェーヴルはやや順調さを欠いた。始動戦の大阪杯を完勝したものの、連覇を懸けた宝塚記念の直前に肺出血を発症し出走を回避。その後は、フォワ賞から凱旋門賞という前年と同じローテーションが組まれたが、叩き良化型のオルフェーヴルにとって、宝塚記念の回避は誤算だった。
前哨戦のフォワ賞こそ、前年よりはるかに楽な内容で勝利したものの、雪辱を期した凱旋門賞は地元フランスの3歳牝馬トレヴに5馬身差の完敗。帰国後は、有馬記念を最後に引退することが陣営から発表された。
その有馬記念で繰り広げられた8馬身差の圧勝劇──。
今、思えば不思議なことだが、阪神大賞典や一度目の凱旋門賞など、それまでのオルフェーヴルが怪物級の強さを示し「伝説」と称されたレースは、ともに自身が敗れたレースだった。
いや違う。俺の実力はこんなもんじゃない。
あの日、オルフェーヴルは我々にそう伝えたかったのだろうか。果たして、現役生活最後の直線。オルフェーヴルは、その意見が必ずしも正しいといえないことを自らの走りで証明した。同じステイゴールド×メジロマックイーンの黄金配合を持つゴールドシップとの最初で最後の対決は、永遠のライバル・ウインバリアシオンとの7度目の対決。そこで、生涯最高のパフォーマンスを惜しげもなく披露してくれた。
だからこそ、これが最後というにはあまりに惜しく、同時に途方もない寂しさが胸の中に込み上げた。そして、その思いが心の琴線に触れた瞬間、私は涙が止まらなくなった。それは、今までに経験したことがない、味わったことがない不思議な感情だった。
競馬には、ギャンブルの側面だけではないドラマがある。血のドラマ。競走馬に関わる人のドラマ。競走馬自身のドラマ。大敗からの劇的な復活。穴馬が本命馬を負かす大番狂わせ。大本命馬の圧勝劇──。
オルフェーヴルは、そんな競馬の魅力に改めて気付かせてくれた。同時に、競馬が大好きな人たちとのかけがえのない出会いや繋がり、絆ももたらしてくれた。そして、オルフェーヴルとの出会いそのものが、私にとってなによりの宝物だった。
文:齋藤 翔人
新書『オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君』(星海社新書)好評発売中。本記事は『オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君』には収録されていないオリジナル原稿となります
第一部 オルフェーヴルかく戦えり
第二部 一族の名馬と同時代のライバルたち
- 一族の名馬たち
- 同時代のライバルたち
- 主な産駒たち
第三部 オルフェーヴルを語る
- 血 統 競馬評論家/栗山求
- 馬 体 『ROUNDERS』編集長/治郎丸敬之
- 育 成 Tomorrow Farm 齋藤野人氏に聞く
- 厩 舎(前・後編) 池江泰寿調教師に聞く
- 海外遠征 森澤光晴調教助手に聞く
- 種牡馬 社台スタリオンステーション 上村大輝氏に聞く
第四部 オルフェーヴルの記憶
巻末 [座談会]語り尽くそう! オルフェーヴルの強さと激しさを
| 書籍名 | オルフェーヴル伝説 世界を驚かせた金色の暴君 |
|---|---|
| 著者名 | 著・編:小川隆行+ウマフリ |
| 発売日 | 2025年02月19日 |
| 価格 | 定価:1,350円(税別) |
| ページ数 | 192ページ |
| シリーズ | 星海社新書 |


