1995年世代の二冠馬セイウンスカイ。改めて振り返る皐月賞、残り600m12.6の意味。

競馬ファンにはそれぞれ記憶に残るクラシック、世代がある。それは得てして、競馬をはじめたばかりの頃の世代であることが多い。最近、競馬をはじめたばかりの方にとっては2020年コントレイル、デアリングタクトという2頭の三冠馬が無敗で駆け抜けたシーズンだろうか。リアルタイムで自身が体験したクラシック世代の記憶は競馬を続ける限り、未来永劫、残るものだ。10年、20年後、その過去の記憶を解き放ち、競馬が好きな若者に語りかけてほしい。そのとき、ようやくあなたの記憶が後世に渡り継がれていく。歴史とはその当時の人々が書き記した記録と記憶、そしてそこで生きた人が感じた空気が混ぜこぜになったものだ。だから、歴史を学ぶということは行間からうっすらと流れてくる匂いを嗅ぐことでもある。

1995年世代は私が競馬をはじめた頃の世代にあたる。20代前半、それも成人したばかりの若造だった。世界の仕組みを学んだ気になっただけの、なにもできないまさに小僧だった私は1995年世代によくわからない興奮を覚えていた。世界の仕組みを学んだ気になっただけの男には、1995年世代はあまりにスケールが大きすぎた。

朝日杯3歳S、グラスワンダー。皐月賞、セイウンスカイ。NHKマイルC、エルコンドルパサー。日本ダービー、スペシャルウィーク。菊花賞、セイウンスカイ。

グラスワンダーは有馬記念2勝、宝塚記念、エルコンドルパサーはジャパンCを勝ち、フランスでサンクルー大賞、フォワ賞、凱旋門賞2着。スペシャルウィークは春秋天皇賞、ジャパンC、そしてキングヘイローは高松宮記念を勝った。みんな、1998年、3歳になった(当時4歳)同世代。まずもって、これだけの馬が同一年に誕生し、日本の競馬を走ったことが奇跡に近い。グラスワンダーとエルコンドルパサーはともに米国生まれの外国産馬であり、キングヘイローは欧州の至宝ダンシングブレーヴと米国の名牝グッバイヘイローの子ども。みんな、運命に導かれるように日本の競馬を走った。

スペシャルウィークは当時、一世を風靡したサンデーサイレンス産駒。母は日本の競馬に多大な影響を与えた小岩井牝系の祖シラオキの血を継ぐキャンペンガール。スペシャルウィークには生まれて数日で母を失い、乳母馬の気性が荒かったため、人の手によって育てられたという物語がある。

そして今回の主人公セイウンスカイだ。当時、過渡期にあった西山牧場に生まれたセイウンスカイは父シェリフズスター、母シスターミル、母の父ミルジョージ。同世代の錚々たる血統馬たちと比べるのは酷というもの。一見、地味なセイウンスカイがこの世代クラシック二冠をかっさらうわけだから、競馬は止められない。

そもそもこの世代で最初にベールを脱いだのは9月に新馬を勝ったグラスワンダー。ここから4連勝でGⅠまで止まらなかった。次がキングヘイローで、こちらも3連勝で東京スポーツ杯3歳Sを勝ち、鞍上の福永祐一騎手とともに一気に注目を浴びた。キングヘイローの翌月にダートでデビューしたのがエルコンドルパサー。5連勝でNHKマイルCまでノンストップで駆けあがっていった。エルコンドルパサーがデビューした11月末、スペシャルウィークが新馬戦を勝ち、2戦目を落としたものの、翌年きさらぎ賞を勝ち、弥生賞ではキングヘイローとセイウンスカイを飲み込み、クラシック最有力候補に押し上げられた。弥生賞で敗れたセイウンスカイは5頭のなかではもっとも初陣が遅く、徳吉孝士騎手を背に1998年最初の開催でデビュー。5番人気だった。

だが、セイウンスカイも遅れを挽回するかのように短期間に新馬とジュニアCを連勝。特にジュニアCは弥生賞、皐月賞と同じ中山芝2000mで2着メガヒットに5馬身差をつける圧逃劇を披露し、弥生賞ではキングヘイロー、スペシャルウィークに次ぐ3番人気に支持され、三強の一角を形成するまでに至った。体調が思わしくなかったセイウンスカイはジュニアCより2秒6もタイムを縮め、レース全体も前後半1000m61.2-60.6と走りのレベルが一段上の競馬をしたにもかかわらず、スペシャルウィークにきっちり差し切られてしまった。記録した上がり600mタイムはセイウンスカイの36.2より0.8も速い35.4。サンデーサイレンス譲りの瞬発力を前に完敗だった。

たとえ、完調になったところでセイウンスカイは皐月賞を勝てるだろうか。私は当時、自分と同世代で自身の父と武豊という二人の天才を追う福永騎手に肩入れし、年明け初戦の弥生賞を叩いたキングヘイローの上昇度合いと世界的超良血に惹かれ切っていた。そのせいもあり、セイウンスカイには懐疑的だった。まだまだ世界を知った気になっただけの若造が描いた安直な推理は見事に打ち砕かれる。

横山典弘騎手にスイッチしたセイウンスカイはスタートで内にいたコウエイテンカイチにわずか遅れをとり、ハナに行かないという道を選んだ。外から気分よくキングヘイローが好位にとりつき、スペシャルウィークは瞬発力を信じ、後方で動かなかった。武豊騎手特有の遊びがある長手綱は自信のあらわれだ。

1コーナーで後ろを引き離したコウエイテンカイチから少し下がった位置2番手をセイウンスカイが主張すると、キングヘイローは少し下げて、それをマークする形をとる。12.5-11.2-11.8と急かした流れは2コーナー出口から12.5-12.4と落ち着きを取り戻したが、1000m通過60.4は弥生賞より0.8速い。少し下がっていたセイウンスカイは弥生賞より少し速い程度で自身のリズムを守っていた。スペシャルウィークは後方4番手の外目を走り、いつでも動ける態勢をとりつつ、その機を待っていた。キングヘイローはセイウンスカイより外で前に馬を置かない形だったため、ペースが少し速くなると、前を追いかけようとした。

残り600m。コウエイテンカイチのスタミナが尽き、かわってセイウンスカイが押し出される。このとき、外にキングヘイローが取りついており、後ろからはスペシャルウィークが迫っていた。勢いそのままにセイウンスカイが先頭に立ってしまえば、格好の標的になってしまう。横山典弘騎手はそんな状況を見透かしていた。一気に行かず、じわじわと脚を溜めつつ、キングヘイローをけん制。直線入り口の残り400mまでを12.6とペースダウンしてみせた。ここが結果を大きく分けた。残り1000mは12.0-12.2-12.6-11.9-12.2。コウエイテンカイチとペースをあえて消し、ここでひと腰置いた横山典弘騎手の判断は当時の若造にはわからなかった。一旦、緩めながら、すぐに11.9と一気に加速したことで、緩急への対応が苦手だったキングヘイローは福永騎手の闘志とは裏腹に応戦しきれなかった。緩めたことを察知したスペシャルウィークはすかさず好位に一気に押し上げる。さすがは武豊騎手。わずかな駆け引きでも見逃さない。

最後の直線はセイウンスカイ、キングヘイロー、スペシャルウィークによる攻防が独占した。その攻防も絶妙なペースチェンジでキングヘイローを引き離したセイウンスカイがスペシャルウィークの瞬発力まで封じ込め、制してみせた。

一度は置かれかけたキングヘイローがゴール前に息を吹き返し、スペシャルウィークを抑えて猛然と追いかける走りに若造は日本ダービーを確信した。そんな記憶がいま、よみがえる。

セイウンスカイに悪いことをしたような気がしてならない。この馬の精緻なレース構成を理解できるようになったのは、競馬キャリアを相当重ねてからだった。いま、再び振り返ると、これほど芸術的なレースをする人馬はそうはいない。さすがは最強世代の二冠馬だ。

競馬は血統だけでは決められないものであり、年明けデビューであっても、力があればクラシックは間に合う。1986年以降、年明けデビューで皐月賞を勝ったのはヤエノムテキ、セイウンスカイ、ノーリーズンの3頭だが、年明け初勝利はさらに3頭増えてテイエムオペラオー、ダイワメジャー、エポカドーロ。この6頭のうち、もう一つクラシックをつかんだのはセイウンスカイしかいない。年が明けてクラシックシーズンに突入してから始動し、皐月賞を勝つということは想像以上にタフであり、さらにもう一つ菊花賞を上乗せしたセイウンスカイは類まれなる体力と精神力の持ち主だったことは言うまでもない。

私は競走馬が時より表現する、人の想像を超える力と心に胸を打たれ、その虜になってしまったがために、20年以上、競馬から離れられないでいる。その原体験はセイウンスカイをはじめとする1995年世代にある。

写真:かず

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